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わが家のモノを整理しているとこれまでの時間の蓄積をかんじる


はじめに

 こんなものがまだ家にあったのかと思い知らされる。モノを所持することに安心し、そのうちもっていることをわすれてわたしたちは生きている。それをつくづく感じる作業。

現在の進捗率35%ぐらい。

きょうはそんな話。

整理はつづくよ、どこまでも

 先日来、おなじ目的でわが家のモノの整理をすすめている。まだ3割程度といったところか。テレビの処分を皮切りに、つかえそうなものは知りあいなどにゆずる。究極の理想としてはかばんひとつで、「じゃあ。」と片手をひょいとあげてわが家をあとにできればと思う。

そんなことはできるはずがない。理想と現実のギャップはすごい。日々の作業をすすめると「まだとっておこう。」と慎重で弱気で懐疑派のもうひとりの自分が言う。

翌週になるとそのうちの半分はやっぱりいらないか、ヒトにあげようかと減る。その数日後にのこりはさらに半分に。本ですらそうだった。4年前にあるNPOの活動の一助にと所蔵本、ダンボール15箱ぐらいを寄贈した。

さっそく図書スペースを設立したばかり。NPOの図書の一部にくみ入れてもらえた。貸借ノートをめくると、わりと利用者にやりとりされている。

これはまだいいほう。きのうおこなったリビングのたなやひきだしのなかみ。けっきょくのところのこりは、確定申告で保管の義務のある過去の帳簿類、それとつい先日、買ったばかりのスティックのりと封筒。

この封筒をつかう取引先が先日廃業。さしあたり出番がない。このままもっていてもしかたないので、事業をはじめたこどもにわたそう。確定申告の書類も毎年ふるいものから1年ずつ処分している。

最終的にスティックのり1本だけかあ~。

こんな調子

 なあんだ。だいじにゴミをかかえこんでいただけ。最初からのりと封筒だけとりだして処分すればよかった。時間をかけて選別してしまった。一見むだに思えてしまうがそうでもない。数日前は本のあいだから商品券が10枚でてきて小おどりした。

身を包んでいたぐらいのものをゴミとして処分すると周囲がうすら寒くてかぜをひかないだろうか。それほど家のなかからモノ(≒ゴミ)がなくなっていく。これからは最難関のダイニングキッチン。

先日、電気炊飯器の釜の内張りの樹脂がいたんだので炊飯器をとりかえた。つかいふるしの釜はにわで園芸につかおうと思ったが、賃貸ぐらしになるので庭しごとをすることはもはやないのかとかんがえなおし処分。

たしかにおとずれて庭を掃除するにしても、こんなに容器はたくさんいらない。ふたつもあればじゅうぶん。どうしてもビンボウショウの質はなおらない。これでわが家には「アトデツカウカモシレナイ」わけのわからないものが蓄積している。もはやなんの目的に転用するつもりだったのか思い出せずに、けっきょくのところゴミになってしまう。

ゴミ出し

 このところ行政のゴミ出しカレンダーをひんぱんにみる。分別がこまかくいきとどき、月1回しか回収してもらえないものがある。金属ごみなどがそう。きのうはちょうどそれだった。にもかかわらず、その日のうちにおなじくらいたまった。

つぎにこれらを処分できるのはすでに来月になってしまう。あ~あ、はてしなくおぼえておかないと。つぎのチャンスをなんどか見落とすと、ひっこしさきに運送代をはらい、ごみを移転先に運ばないとならないかも。

おわりに

 わが家のモチモノの処分はこのさきもえんえんとつづく。ゆずれるものからはやいうちに話をつけないと、ひっこしまでにめんどうがふえてしまう。気にしだすときりがなく、つねにあたまにいれておこう。

こんな大規模な整理はもうやることはない。だって整理したくてもモノはすでにない。ズボラなわたしはそれを妄想してニンマリする。それにしても半生のあいだにこんなにモノがふえるなんて。

じぶんは質素な生活なほうだろうというおもいこみは撤回しないと。はずかしながら「ゴミ」を手放していき、うすらさむくなりつつあるわが家をみわたしてそう思った。大汗をかかないですむまでにはおわらせようっと。


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