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ひとりぐらしで食べられる・飲みきる分量を買うのはなかなかくふうが必要


はじめに

 このところよくお茶を飲む。そこそこ暑くなってきたので冬以上に水分の確保が欠かせない。毎回茶の葉をはたけからとってくるわけにはいかないので、店にむかいさがしまわる。するとわかってきたこと。くわえて多くの食品が一人暮らしにはまだくふうが必要とわかってきた。

きょうはそんな話。

(タイトル写真:刈りとったカヤで草マルチ)

茶の確保には

 もとの家から歩いてそれほどでない畑にはほったらかしの茶の木がある。となりの畑とのさかいをはっきりするために父が植えたもの。この時期にはいくつも新芽をふいている。3,4枚ずつむしってあたためたホットプレートの上でもんで水出し茶にすると信じられないほど上品な花のかおりをまといおいしい。

毎日それぞれのはたけをまわって作業をしていたころならば、この時期は気がむくとすこし摘み、飲んでいた。ところがいまは街住まい。お茶の葉を手に入れるにも店で買わねばならない。

購入すると

 ここでひとつ悩ましいことがひとつ。標準的なお茶でもなかなか手が出しにくいこと。半世紀前のこと。わが家の畑で収穫し製茶工場で仕上がった茶のはいったブリキ製の大きな茶筒を軒下にいくつもしまい、そこから一部ずつとりだして使っていた祖母のようすを思い出す。集落の丘のはたけのここかしこにふんだんにあった頃がなつかしい。

さて、現実に帰ろう。ひとりぐらしなのでいちばんちいさい単位で買いたいのにそうした小袋ほど手が出ない。これは梱包など相対的に経費がかかるのでいたしかたない。そうわかっていてもやはり高価なことに変わりない。

さてどうしたものか。一度だけ大きな「お徳用」サイズのものを購入してみた。あるペースで飲みつづければひもちの日数で飲みきるだろうと算段したから。

ところがどういうわけかいいペースで消費し、のこり4分の1ほど残った時点でパタリと飲まなくなった。それから「残っているなあ」と横目でながめて1,2か月そのまま。そのあいだに贈答などで茶をいくたびかいただいて在庫がふえた状態。

再開

 そしてやっぱりもったいないとのこりの茶葉をふたたびつかいはじめた。冬のあいだだったためか、品質はそれほど変わらなかった。

こうした商品はそもそもの原材料ほぼ製品そのもの。しかも常温でながく保存できるすぐれもの。とくによぶんなものがくわえられているわけではない。こう考えると加工食品全盛の現代においてめずらしい品物かもしれない。日ごろなにげなく口にしている購入品には加工のあいだに文字どおり「手がかけられて」、さまざまなものがよかれとして「くわえられ」がち。

むかしからある乾物のたぐいはそのなかではお茶の葉同様に例外かもしれない。

おわりに

 原材料がほぼそのまま製品という食品。わたしの場合には茶以外にはふだんづかいでそれほど多くない。何かと加えられているのもののほうが多い。ただしその多くは冷凍などけっこう保存にエネルギーをつかう。したがって中身がこれだけという食べ物はふだんの生活においてそんなに多くないと気づかされた。

そしてそれをひとりぐらしのなかでエネルギーや環境を考えつつ取り入れようとすると、これがなかなか保存法などひとくふうがもとめられる。


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