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本来はもっと置いてきぼりにしてもらってかまわない存在のわたしたち世代なのに
はじめに
諸外国とくらべるとこのクニはいつまでもわたしをふくめた世代のことに気を使いすぎてさまざま制度疲労などをおこしていないか。もっと数ではすくない若い世代へ寄り添いスムーズに新時代を切り拓いてよいのに。あくまでもじぶんにむけて思うことがら。
きょうはそんな話。
ちょうど中間で
第二次ベビーブームよりひと世代まえとしてわたしは生まれた。第一次ベビーブームとのあいだの谷間の世代。すこしだけ両方の世代より高校や大学には進みやすかったのかも。わたしたちをふくめて上の世代は中学校でまったくといっていいほどコンピュータや情報に関する授業を受けていない。
プログラミングや何かは大学時代に独学。わかりやすいテキストなどはなく、マニア向けと言ってよさそうなものをところどころむすびつけて暗中模索。ようやく教育テレビでパソコンに関するテレビ講座がはじまったぐらい。
ようするに放っておかれた。そんなふうだからとりあえず自分でやろうとする。情報教育の面ではいまの手取り足取りの学校教育とは大違い。
そんな時代だけど
現在はそんな初学での独学は必要なくなった。わたしより下の世代は義務教育でそのレベル近くまで、そして高校ではいまや「情報」は5教科とならぶ6教科目として数え上げられる必修科目。大学の共通テストで受験教科として求める国公立大学が多い。
それだけこの分野の裾野はまちがいなくひろがった。そのひろがりのおかげで頂点までの厚みも大きくなるはず。人口は大幅に減りつつあるが素養とするヒトビトが半数を越えつつある。
今後はもはや情報を習っていないよ、パソコンをあつかったことがないからとは言えない。基本を学んでいる以上、あつかう前提でさまざまな手つづきが構築されていくはず。それに対して扱えないと文句を言えなくなる。
わたしと同世代や上の世代すらおなじ。なにやかや家庭で電子機器をあつかうし学ぶ機会はこれまでたびたび用意されてきた。もちろん旺盛な意欲をお持ちの方やスキルの差はあれどもそれなりにふだんづかいにされているようすを垣間見る。もちろん後期高齢者以上はべつかもしれないが。
若い世代優先で
現役世代の方々はこの齢をかさねた層にあまり細かくめんどうを抱えこまなくてよいのでは。「高齢者の利便性を温存し…」はすくなくとももういいのではないか。とりあえず若い層にむけたものをつくってほしい。
のちへのことをかんがえて若い世代でつかいやすい、時代に即応したしっかりしたものの構築に邁進してほしい。そのほうがむしろのちへと継承しやすく融通がきき、本来の意味どおりのバリアフリーに近づけないか。
わかりやすいものならば上の世代の方々は個人でどうにかこなしてきた経験がある。だからよいものならば追って「じぶんで」使おうとする。それ以上の方(おそらく後期高齢者以上、もちろんのちにわたしもくわわるはず)に関しては、もとめられれば人口の多いわたしたち世代が手伝うほうがスムーズに進みそう。
なにも上の世代を必要以上に慮ってしまうからかえってわかりにくく使いにくいものになりがちでは。必要以上の親切心があだになりかねない。作る層にむだに負担や手間をかけ、できあがるものはお化けのような得体が知れず扱いがたい、そんなものをつくるのはもうやめよう。
指示する側に
おそらくそうした指示を出す側の上司や上役、さらに若手を含んでいるチームは雰囲気で「そうしたお化け」をつくってしまわないか。本来傾注すべきエネルギーを「むだなサービス」のために大層な時間をあててしまい、むしろ根幹やシステム全体の足かせにしていないか。
管理や責任を負う立場、指示を出し概観する立場のニンゲンはおそらくわたしたちの世代。ああ、やっぱりブーメラン。原因はこちらにありそう。足をひっぱっているのはもはや自分たち。
おおかたあらためるべき主原因は自身に内在しそう。もはや世のなかは昭和や平成の「プロジェクト〇〇」の時代ではない。そのままでは通用しない。いまの時代に合う形でないと若い方々はうごけない。
おわりに
自戒をこめて言おう「わたしたちならびに高齢者世代はそろそろ自立しなくちゃ」。若い世代は親切すぎる。それをはねつけるぐらいで自分たちのことはなるべく自分たち世代で後始末しよう。おせっかいもやめよう、まかせよう。耳順もしくは諦念もたいせつ。
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