スモールビジネスの組みあわせで生活する シンプルライフのくらしを地方で
はじめに
地方でくらすうえでなにより気にかかるのがしごと。食べていくためにやりたいことでえらぶと、ひとつのしごとではなかなかむずかしい。自営ならばなおさら。ではこうしたらどうだろう。
無理しないかたちで生活をシンプルに。ゆっくりとすこしずつしごとをたす。複数のスモールビジネスならば希望のひかりがみえてこないだろうか。
倹約をストレスにしない範囲でむりなくやりながらはたらく。ここ18年あまりの実践から得た結論とは。
脱サラして
体調をくずして18年前に給料をいただくスタイルからいったんはなれた。じぶんの時間ができ、しばらく食べていく方策を練った。さまざまな方からおさそいを丁重におことわり。
まずは自営でひとつおもいつく。収入の予想と生活費をくらべる。費やす時間と見合う収入を算段した。
これで可能か。夏の数か月、あさは山を夕方には海をながめつつゆっくり散歩しながらたんたんとかんがえた。きもちがおちつくととりあえず着手(いまふりかえるとこの時点よりあとでの転職をおすすめするが、わたしの場合には低コスト、融資なしではじめたので。)。
翌月からまがりなりにもすこしずつだが収入らしきものが入りはじめた。ここが肝心だろうと半年ぐらいは体調をみながら専念した。するとどうだろう。前職のようなストレスではなく充実のほうがうわまわる。
やはりおもいどおりにできる点はおおきい。あしかせがないにひとしい。自分自身ですべての責任を負うが、プレッシャーや不安はふしぎとなかった。たんたんとやる。ただそれだけ。
ひょうたんからこま。自業自得。いずれも結果としてよいかわるいかのちにはっきりする。たいていよいと思うとたいていそのとおり。あとになるとそれにおもいいたる。ここでは「リスクに細心の注意をはらい、あとは大胆にやる。」をモットーに。
わたしのえらんだしごと、それは塾ではなく勉強のやりかたを中心にすえた「学習サポート」だった。
すこしおちついてくると
はじめたころ、ある関係者の方から10年つづけばホンモノとアドバイスをもらった。その年月を超えたころ、こどもたちをとりまくさまざまな問題点がめだちはじめた。
サポートするこどもたちやそのまわりの方々との交流から、学習をさまたげがちなさまざまな要因がみえた。教室で「教える」手前の段階。ふだんの生活面をはじめとする家庭と社会をとりまく状況に気づいた。
とくに食生活。ここは畑作地帯ながら生産者やその子孫の方々で農業に直接従事される方はすくない。こどもたちはおどろくほどまわりの自然や環境にふれていないし、食事が不規則でじゅうぶんとれていない。
あとは時間のつかいかた。休日も遠征のならいごと。からだをやすめるまもなく平日の学習に身がはいらない。いずれもからまわりする。時間におわれている。それにともない食生活だけでなく生活習慣のみだれがめだつ。
ひょんなことから
これに気づいてどうにかしないと勉強どころじゃない。まずは保護者とのはなしあい。学習に効果的な生活時間の使いかたをまずはこちらでさまざまアドバイス、そしていっしょにかんがえる。
保護者の方々の協力をいただきつつ、こども主体の効率的な時間のつかいかたをみなおし、食生活のアドバイスなどをどうじにおこなった。これは効果てきめん。効率よく生活にリズムができ、学習面にあらわれてきた。
それがこうじてわたしは農業をはじめることに。そういえば父もそうだった。会社を定年退職したのちに郷里にもどり農業を再開。そのうちからだが動かなくなりリタイヤ。わたしにバトンタッチ。それではじめたにすぎない。
経験をそのまま糧に
やさいづくりの経験を学習サポートのこどもたちにつたえる。収穫や軽作業をてつだってもらいながらはなしをしたり、ふだんのようすをたずねたり。くわえて作物が育つようすを説明したり。
畑につれてきたこどもたちは「ひさしぶりに来た。」とか「こんなふうにできるんだ。」とふだん聞かないことば。そして「おいしい。」のことばを発するように。
昨今の病の状況のまえまでこんな調子で副業の農業は6年ほどつづき、本業をうわまわる収入になった。これで第二種兼業農家だと悦に入ったのもつかのま。昨今の病の状況にほんろうされ、あっさり農業はとりやめに。
それでもスモールビジネスとしての収入が得られることは確認できた。ただしやり方によっては時間をかなりとられかねない。ほぼふたつのしごとに文字どおり没頭し朝から晩まで時間をつかってしまった。そこは反省点。
あらたなしごと
そうこうしているとふしぎなもので、世話になったやさいの取引先のオーナーの紹介で、あるNPOの活動を知る。社会復帰をめざす方々のサポート。もちろんそこには学校にいけないこどもたちだけでなく、おとなの方々も。
そこのおてつだいをはじめた。わたしはNPOを外部から支援する立場。あくまでも個人事業として参画。このNPOの活動の範疇ではカバーできない何名かの方々をできることでサポートして報酬を得てきた。
すると細くつながっていた最初の職のなかまとそのNPOの場で再会、その縁でパートでの研究のしごとをいただいた。それからまもなく1年になる。
つながり
スモールビジネスのひとつだけでは成立しない。ふりかえると出会う人々との交流のおかげ。ふしぎとつながっていく。
また時間をくふうしてやりくりすれば副業でくみあわせてやれる。わたしはたまたまやれたにすぎない。ひとつみつけて着手しはじめた時点で、つぎを考えはじめる。
まえの雇われしごとはフルタイムで給与をいただいていた。これはからだの点で除外すべきだが、いまのしごととつながっている。
転業した学習サポートの最初の頃は対象とするこどもたちの人数が多くなりつづけ、ひとつのしごとで家族をなんとかやしなえたが時間の余裕はなくなった。ひと月に7ケタのしごとになるときもちに余裕がなくなってしまう。そこは目標ではない。最初の職をやめた二の舞いになりかねない。
そこで途中から問題をかかえるこどもたちを対象にじっくり重点をおくスモールビジネスに転換。
ほぼどうじに農業との兼業へ。上に記したように6年ほど従事していると昨今の状況となり、それらのしごとはクニや自治体の支援なしではやれずじまいに。かたほう(農業)をあきらめ、NPOを外部から支援するしごと、そして研究パートへ。なんとか「小さなしごと」をつないで質素だがなんとか食べてきた。
おわりに
ひとつずつではとうてい成立しないし、生活をきりつめ「シンプルライフ」にしたからこそなりたつ。でもくみあわせたからこそ、最低限の生活費になったともいえる。
1年になろうとしているので、新たにスモールビジネスを興そうかというきもちでわくわくぎみ。こんどもやはりこどもたちのサポート。「本」の可能性をひきだしていきたい。まずは絵本からかな。
シンプルにすまい、たべること。ただそれだけ確保できればなんとかなる。そんな結論。
テーマに関連する記事
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?