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実験は失敗の連続ののちの成功をくりかえしながら、できることがすこしずつふえてくるとおもしろくなってくる


はじめに

 あたりまえかもしれない。でもなかなかそこまでいきつけないでやっていることに意味があるのだろうかとなやみ、しんどいかもしれない。

理系の実験ってそういう面があるかも。でもふとしたことがきっかけで意外とおもしろいかもと思えるはず。

きょうはそんな話。

実験室で

 このところ学生さんとしごとで関わる。研究パートの一環で一緒の研究室に所属する3,4年生たち。とくに4年生はすでに企業から内定をもらい、あとは卒論の研究を仕上げるだけ。

1年以上かけてきたしごとの総まとめをやっている。このあいだで専攻する分野のエッセンスをたんまりと身につける。知識だけでなくさまざまな実験手技、分析手段、発表のやり方などを身につける。わたしもとおいむかしそうしてきた。

失敗のなかから 

 だれでも経験するが、最初に与えられたテーマに関するごくごく基本的なはずの実験がうまくいかないことがある。なんでだろうと当人たちはなやむ。なかにはこの分野にむいていないのかなとつぶやく、あるいは相談に来る。ここはこうしてみた?とたずねると「そうですね。そこか。」とやり直している。

たいていこちらは思いあたるので、いちばんかんがえられそうなところからアドバイスしてみる。十中八九それで測定データは落ちつきを見せる。

なかにはそうならないことも。そうすると2番手、3番手あたりの可能性のあるミスをさぐる。これも経験ずみ。ながいことやっているあいだにミスに学んできた。そのたびごとにつぎはだいじょうぶとじぶんにいい聞かせながら。

レベルがあがると

 段階をふんであたらしいことに着手するたびにうまくいかずにかべにあたる学生さんもいる。その多くは2,3年生のあいだでやった実習の延長線上にあるもののはず。

それを忠実にじぶんのものにしていれば、多くの測定ミスや注意してとりあつかうべきところを身につけてきたはずなのだが…。なかにはごくやさしい手技のうちにミスなくやれても、ひとつ上の段階になると精度よく分析できないこともよくありがち。

そのときに原点にたちかえって、ミスしやすいところをふりかえられるかは、意外とミスをしてきた経験こそがいかせるかもしれない。ミスを山のように経験して、ようやく上の段階をはじめてやる際でも、注意深くできるかどうか。そのポイントはどのぶぶんに集中すべきかの勘どころをつかめるようになれたかにあるのかもしれない。

ミスの山から

 なかには5回、6回とくりかえしてようやくまともな結果を得られ、半分泣き笑いのような顔で実験ノートをもってくる学生さんがいる。「よかったねえ。」とこちらもねぎらう。

1段階アップできた。ちいさな自信につながっていく。それでつぎの段階の指示が出る。こんどもうまくいかない。でもこのあいだとはすこしちがう。4年生になると、つぎの失敗の理由が前とおなじかどうかの考えがつけ加わる。

それだけ進歩したことに。そしてだんだんとじぶんでかんがえられるように。どうしたら失敗せずに測定できるか。だんだんとりくむ姿勢がかわる。すこしずつ主体的になっていく。

かんがえながら

 そのうち院生になると最初の指示を先生からもらうだけで、実験の多くを自らしらべて、手順を組み立て、測定、解釈までできてくる。それまでとおなじ人物だろうかと、こちらが見ていて格段に成長するのはこのころだろうか。

おわりに

 学生さんや院生たちの近くにいておもう。この年代の方々の日々の進歩はすばらしい。この時期にこそ社会にでていくためのさまざまなものをみにつけてほしい。それはキャンパスのなかだけにあるのではない。その内外に関係なくころがっている。

そうした人材があつまっているのが大学。そのなかにあってこちらも元気がもらえる。

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