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もしかしてそこの学生さん、スマホだけで卒論を書こうとしていないか?

ありがとうございます

はじめに

 このところパートしごとをつうじて学生たちと接する機会がある。ゼミや日ごろのやりとりの場面で、彼らはスマホをさまざまつかいこなしているなあと関心する。

わたしは同類のスマホをwifiのルーターとして、あるいは個人認証用の機器としてしかみていない。充電や持ち歩きがめんどうだなと思う。

きょうはそんな話。

列車内で

 ごくたまにしか利用しない(できない)列車内。立っているヒトでいっぱいの朝の通勤通学時間の車内は静かなもの。しずけさのもとはほぼ例外なくスマホをみつめていらっしゃるから。わたしは目を閉じているか、文庫本の文字を追うか、車窓からそとをながめるか。あたりいちめんでスマホをみつめるようすは外国から訪れる方々には奇異にうつるものらしい。

この光景は一種異様といっていい。だがぼやいたりたしなめたりではない。むしろそれほど手もとの情報にひきつけられるものだろうか。それともきゅうくつな場と時間をもてあましているのだろうか。

この文章を記すにあたり

 たしかに各人の目的は多種多様。想像するにネットニュース、ちょっとしたゲーム、スケジュールのチェックなどなど、それらもじゅうぶんありそう。同時にイヤフォンで音楽を聴いたり語学などを学んだりもありそう。わたしがしないだけで世の方々は移動中になにやからしたいことをされているようだ。この機器をはるかにつかいこなしている。

話はかわりこのnoteユーザーの方々はどうやって記事をお作りになっているのだろう。身近にユーザーがいない、あるいは気づかず想像できない。こうした移動中にもスマホで入力されている?あるいは記事をお読みになるのかも。

じゅうぶんありそう。ちなみに以前にさかんに運営していたブログでアクセスを分析すると、通勤通学時間や帰宅後の時間帯にアクセスが多い傾向が出た。

手もとには

 学生たちのようすに話をもどそう。小脇にPCをかかえわたしをたずねてくる。なにか教えてもらいたいことがあるらしい。ググっても対処できない事象だろう。

はじめはスマホを手にたずねてくることが多い。たいていわたしが白板上でやりとりすると手に負えなくなる。情報を追えないと知り、つぎからPCを携える。それでもあつかいにくい内容と知るとノートと筆記具をもってくる。こみいった事柄ほど対応するにはこのほうがふさわしいと感じるのだろう。

わたしは昭和のおわりに学生だった世代。まわりはようやくPCがちらほら。キャンパスの外の世間ではあまり見ない。学生で持てるのはごくごく少数。

OSすら最初のうちはフロッピーディスク1枚(起動ディスクと呼んでいた)で起動させていたぐらい。あつかう情報量もたいして大きくない。つかうソフトごとにフロッピーディスクを差し替えていた。

そんな時代だったからまなぶ内容のほとんどが本や学術雑誌の紙上にある。それを書き写すかコピーをとるかして利用。コピー機があるぶん平安時代よりはマシ。ノートへ切り貼りして1冊のあつかいやすい自分専用の情報源として必要に応じてそこから使う。

コンピュータへ

 まさにそれらの作業は紙とえんぴつからPC上へ。まさかそれを学生たちは手もとのスマホで行おうとしていないか。それはなかなか無理難題。研究室ではもちろん実験をはじめとして手作業は多い。

そのうえコンピュータをあつかうにしてもヒトの全ゲノム情報を解析したり、高速でタンパク質の立体構造を動かしてドラッグデザインしたり、わたしが学生だったころよりも何ケタも大きな情報をあつかう。その支援なしではしごとにならない。

その一方で「情報の出どころは…」とか、「ネット以前にないか…」とか精査が必要。一見すると進展いちじるしいかに見える分野でも紙のままねむる情報をさがすこともある。それをいとわずにおこなえるかどうか。スマホひとつで卒論が書けるようには残念ながらなっていないし、それはすくなくともこの分野では無謀といっていい。

そうしたい学生はそんな「重い」、「めんどうな」情報をあつかう研究室を選ぼうとしないよ、とべつの自分がおいおいとツッコミを入れる。


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