見出し画像

この盛夏のなか、部活の練習にあけくれた若かりし日々を想いふと温麺をたべたくなる


はじめに

 世は夏休み。こどものころは刻のすすみかたがあきらかにおそかった。なつやすみは永遠なのかもと思えた。どこかけだるくやるせない。その感覚はこころもからだも急激におとなになっていく時期に特有なのかも。わたしも例外なく経験した。そんなきもちのまま部活の卓球にあけくれた。

部活のトレーニングはハードで腹がとてつもなくすいた。ようやく家にたどりつくとなにはともあれひるごはん。食べたぶんだけ日々身についていく感触があった。どんなものを食べたかの遠い記憶の断片。

きょうはそんな話。

陽の高いうちに帰りつく

 夏休みの部活。練習日のスケジュールは日々異なる。ガリ版刷りの40日ぶんの練習スケジュール。時間によって午前練、午後練、1日練と呼んでいた。なかでも夏休み中は午前練が多かった。

ふだんの登校時間よりもちょっとだけおそく家を出る。午前中いっぱい3時間ていどの練習だった。弁当はなし。もちろん授業はないので卓球に必要なラケット、練習着や汗ふきタオルをいれたスポーツバックだけ。じつに身軽。きもちだけでなく足どりもかるく学校にでかけた。

卓球部の顧問は美術担当。終業式には新築まもない1階の美術室へ卓球台をならべて練習。へやのつくえをぜんぶろうかへ。ひろいスペースを40日のあいだ独占して使えた。美術部はどうしていたか思いだせない。ふだんのわが部は体育館のつかえない日の放課後、いちばんちかい教室に重い卓球台をもちはこんで練習。専用の場所がなかった。

夏休みの練習はその点身軽ですぐに練習にとりかかれた。部室で着替えるとその足で一番はしの新築まもない美術室へむかう。水分の補給のため交代でとおくはなれた用務員室でおおきな金属製のやかんで麦茶をわかし、煮だしたらつめたい水をためた流しに浸けておく。いろいろな部のやかんがずらりとおなじ場所にならんでいた。

練習のあいまの休憩時間。おもいおもいにやかんからコップへ麦茶をとり飲み干す。

あとはひんやりした校舎のいりぐち付近にねそべる。火照ったからだにひんやりとつめたく、新築からまもないあたらしいコンクリートのにおいがした。まどのそとからクマゼミが鳴きひびく。この休憩中のここちよさをあじわいに練習にきているといつも思っていた。

そうこうしているとのこりの練習おわり。

さておひるごはん

 そそくさと着替えてみんなとは反対方向の階段からかけおりる。おおかたのなかまたちは西の大きな団地住まい。わたしはその反対の東の方角のちいさな会社の社宅がわが家。ひとり歩いて数分の家へかえりつく。これからあと数時間が暑さのピーク。夕方になるとひんやりした山から風が吹く日もあったぐらい。いまとはあきらかにちがう当時の夏はそんなだった。

さて、家にはだれもいないか小学生の弟だけ。父は会社へ、母は朝ごはんののこりをそのまま置いて、あるいは冷蔵庫へしまいしごとにでかけた。そんなよくありがちな日々は朝のみそ汁が昼までのこっていることも。父の弁当ののこりなどもおなじ。

すでに自分でかんたんなものをつくりはしたが、たいていなにかしらみつけて食べていた。弟のぶんと半分ずつ。

当時は部活で腹をすかせていたため、どんぶりごはん。たいていそうしたみそ汁や温麺などの残りものとちょっとしたおかず。こうしたいったん火をとおした汁ものは昼までのこるとおいしくなる。だしがしっかりでてくるせいだろうか。つめたいなかでもあじはしっかり。よく入っていたのはかぼちゃやなすやわかめ。かわったところでへちま。このまとまったあじは独特。

とくに冬よりも夏にそう感じる。これは朝のつくりたてではあじわえない。つくりたてはそれはそれでおいしいが、時間がたった状態はまたひとあじちがう。

おわりに

 当時はいつも腹をすかせていた印象しかない。いまの倍ぐらい口にしたかもしれない。母はそうしたようすに目をまるくしていた。男の子ふたりをかかえてその食べっぷりにおそれをなしてパートしごとにでかけたとのちに聞いた。

やっぱり父の給料ではきつかったのはたしか。こどもたちに不自由させまいと。当時のくらしぶりを知って以来、のちに高校にすすみ大学をめざそうときめたときには浪人はできないなと覚悟をきめた。

さて、きょうも暑くなりそう。でもひさしぶりに温麺にしようか。


こちらの記事もどうぞ

広告


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?