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いまこそ理想的なしごと時間にもっていくことができる


はじめに

 残業はべつとして9時間。そのぶんはたらけばあとはなにをしててもいい。朝くらいうちにしごとをはじめて午後の夕方をまえにはやめに帰る。太陽のうごきにあわせてなにも貴重な日中をあてる必要性はないと結論。コアタイムの数時間でしごとを伝達しあえればいい。

なにも混雑する道路をくるまをトロトロうごかしてかよわなくても、かえりにスーパーの終業時間を気にしなくてもいい。

じぶんで決められ、しごとなかまにめいわくをかけないならば、ぜひともこのあいだの時間がいい。理想と現実のギャップはあれど、実践してみて思ったこと。

きょうはそんな話。

朝から昼すぎ

 やっぱり歳をかさねると朝がはやい。じぶんも例外ではなくやっぱりそうなんだとこのところ納得。はやければ4時でもかまわない。ゆっくり食事をつくってもまだ5時前。弁当にもっていく米は5時に炊飯器をセットする。もっとはやくてもよさそう。めざましがわりのつもりだったのに、それよりはやく目が覚める。

すぐに弁当箱にごはんをつめて冷やす。この暑い時期にはぜひともほしい時間。スムーズにいけば5時半に家をでてまったくこんざつに合わずに6時にはしごとさきに。すみかをかえるのでさらにはやくできそう。それからはたらいても夕方まで時間がある。

陽が高いうちに自由時間としてすごせる。学校帰りのこどもたちをむかえて主業の学習サポートをゆったりとはじめられる。そんな生活を2年ほどつづけた結果じつにペースを維持でき、ここちよいと知った。それができると思ったのは収入に関する呪縛を解いたから。

昼以降をながくかんじる

 おもいきって午前の6時間でしごとをうちきり、午後を完全にあけてしまう手。ありかもしれない。欧州のどこかのクニの学校がそうだったような。午後をそれぞれのしたいことに充てられる。これはなおさらいいかもしれない。

収入の心配さえクリアできればこれはもう理想形。はたらきたければ午後もそうすればいいし、休養やスポーツ、趣味の充実にあてたければそれもいい。こんな時代はやってこないのかなあ。

お金がかかること

 現代の生活をななめからみる。はたしてこれだけお金のかかる生活って…。昭和の中ごろはもっと給料はすくなかった。いまとくらべてきもちの余裕はどうだったろう。

ぜいたくではなくても生活はそれなりにお金をかけないくふうで、もっとおおらかにすごしていた気がする。いまはどうだろう。いそがしく時間におわれて見える方々がめだつ。

お金のつかいみちの浮かばない地方。それで都会とくらべて損しているとは思わないほうだからなのかもしれない。こんなあまのじゃくなニンゲンはそんなにいないかもしれない。

それもありこうしてくらしているとなおさらそう思う。都会と地方では時のすすみかたがすこしちがう。外をあるくはやさはあきらかにちがう。離島をたずねたときははっきりとそれを感じられた。むしろはやく歩くとめだってしまう。そんなに多くのかたのお会いしたわけではないが、どなたもゆったりと充実した生活をされていた。

おわりに

 午前中とてつもなく早く出勤して、午後はやめに帰り好きなこと(わたしの場合には主業のしごと)。混雑に出会わなくていい。往復で1時間ほどちがい、そのぶんをじぶんのための時間に充てられる。

ようやくこのよさに気づいた次第。


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