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7年前のみずからのつたない文の内容をボツにせず、いまの時代に照らしてみるとこのクニの混沌がみえてくる


はじめに

 2016年に記した文章を見つけた。2021年度からこのクニではじまった新入試。5年後に導入されそうな内容に関して、2016年当時にわたしが書いたもの。

そのころはすでに学習サポートを主宰。学習で困っている児童・生徒の支援。不登校生やさまざまなハンディキャップをかかえたこどもたちを中心にみていた。

7年前をふりかえり、わがクニですすみつつあった計画とわたしが予想したこと、そして7年後のいま、なにがどう変わったか身勝手に批評。各方面の方、内容についてぶしつけな点をお許しください。

(以下、太字は2016年当時のわたしの書いた原文、{ }は現在のわたしによる批評。)


(ここから)

新入試に関しては国がどういう方針で行くかうつろいでいる状態です。すでに初年度を迎えるはずの生徒たちが、中2になろうかとしている時なのにです。東京オリンピックの開催される同じ年に日本の入試制度は根本から変わるといわれています。

{すでに教育改革の方針がうつろいでいたんだなあ。オリンピックの開催決定を足がかりにこのクニを再生しようという気運だったのかも。そういえば1964年の東京オリンピック(生の記憶ではないが)や1970年の大阪万博のようすからは、これから明るい未来がはじまるぞというわくわくした雰囲気があきらかに感じられた。あっ、東京オリンピック2020だけでなく大阪万博2025も既定路線か…。}


国は2020年度からの大学新入試(いまの中2以下の児童・生徒が該当します)の導入を計画しています。

{2020って、なんかこうキリのいい感じがするから、オリンピックとともに気運をもりあげ、一気呵成にプロジェクト遂行といきたかったんだろうなあ。それにしてもこの前後の年代のこどもたちはコロナをふくめて翻弄されつづけてる。}


諸外国にひけをとらない技術力の基盤となる発想力や人間力を、「学力」とみなして検査するこの新入試では、科目の枠にとらわれない問題が登場しそうです。

{ここ数年の共通テストの試行テストの数学には、その兆候がみられたようだけど、最初の本試験はわりと無難な問題、ところが翌年は悲惨だったなあ。初年度は急変をさけたかったのかも。この2年目にこそ本性があらわれていそう。「4技能」がどうとかで英語は最後までもめて、結局、尻切れトンボ的な内容だったし…。じつはことしも中途半端なままともいえそうだし。}


しかし、これもかけ声だけに終わるかもしれません。すでに記述式問題の導入や複数回の試験に関しても、最初の案とはかけ離れたものになりつつあります。

{すでにかけ声のあった当初からこうなる予兆があったのか。理想は高邁かもしれないけれど現実は甘くなかった。結果はご存じのとおり、もとの木阿弥。もととくらべてだんだん得体のしれないものになりつつあるな。}


今までの学力にプラスして異なる能力を必要とした入試になることはたしかです。今まで以上に中堅レベルまでのお子さんたちにとっては酷なものになることは必定です。

{ほんとうに、もうそのとおりになった。中堅層はまず共通テスト受けてみようとなり、その一方で中堅私立大のみならず、早大までも共通テストに参加、そののち、中堅以下の私立は科目の多さと難易度に辟易して避ける層がふえ、ほかの推薦入試などがふえた。共通一次がほぼ国公立大受験層対象だった(慶応などはべつ)ころとちがい、学力中堅レベルで入れる私立大が、大挙してセンター試験や共通テストに参加した。その層が懸命に英検などに受かろうとしている。}


すでに3年前からそうした「発想力」や「理解力」を意識し、さまざまな取り組みを始めています。会員の皆様はすでにご承知のことですが、「えっ、教室でこんなことするの。」ということまでしています。

{これはいまもやってる。むしろ、これらをベースにして指導法を練っているし。}


会員以外の皆様には何のことか想像しにくいかと思います。一例として、発足当初から中学校の実技4教科をすでに教えていました。これは全国的に見ても珍しいのではないでしょうか。

{これは効果的だった。内申点が確保できるし。高校受験の中堅学力層では内申点重視だから。高学力層もきれいに5をそろえられる。}


それをさらに発展させて、学問分野の枠を超えた取り組みに時間を使っています。

{出題者が学校で習ったことを入試出題のカギとすることは当然だろうし、実技教科内容ならば生活に身近な素材で、しかもどの中学校でも教えているので公平性を担保しやすいし。}


ここに集まる生徒たちが部活動や地域でも活躍し、良い成績や評価を示していることもその成果の現れの一端といえるでしょう。

{校外活動としてボランティア活動の運営、地域行事への参加など、たしかに入試面接時の質問にとりあげられた。絶対評価、総合評価の項目にふつうにあげられた。}


こうした「発想力」などの学習能力は、一朝一夕で身につくものではありません。従来のイメージどおりの「塾」では難しいでしょう。発想の転換が必要と動き始めているとちらほら聞くようになりつつあります。

{塾だけでなく私立中学などははやくからその方向で動いていたしなあ。すでに新しい学力観のゆりもどしの動きがあるようだし、「ゆとり」後の「脱ゆとり」のときも顕著なうごきだったし。いわゆる「塾」でなく「まなびのサポート」こそもとめられているはず。そこに「学習サポート」の活躍の場がある。}


新しい学力観に対応した「発想力」や「多面的考え方」などをみる入試がどのようなものになろうとも、それに対応できるだけの力をつけていこうと考えています。

{どんなに入試の方式が変わろうとも、対応できる柔軟性がだいじかな。それにしても新機軸をうち出さないとならない中教審や文科省はご苦労なこと。こののち英語の外部検定試験利用はうやむやになり、数学や国語の記述問題とりやめ、入試回数や到達度試験に関しては高校在学中に何回やるのかよくわからない状況に。この文章自体にある種の驚きと昭和的な力みを感じる。}

(ここまで)

おわりに

 このみずから記した文章(太字部分)を読んでつくづく思ったのは、猫の目のように政府の方針が変わっていること。教育とは数年ごとにくるくると変えるべきものでしょうか。国家百年の大計(計)という語はもはや過去のものなのか…。

この時代を批評すること自体はかんたん。でも言うは易し、行うは難しで、これまで以上に有言実行しないとなあと感じる。批評するばかりではなにも前にすすまない。

制度疲労をおこしている学校制度についていけない、あわない児童・生徒や保護者の方々がたくさんいる。そこへもっと目をむけサポートしようとうごいてきた。

たしかに時代にあわないものを精査することは必要。それでも根幹に関しては、もっと長い視点で連綿と継続していくものと思うわたしの考え方は古いのかもしれない。

なにもいまにはじまったことではない。それでもこのところ「猫の目現象」が顕著だと感じるが。

このクニの自信のなさ、さきがみえずに右往左往し、アイデンティティがいまだにあいまいなようすがみてとれるよう。


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