バンクシーと芸術におけるNFTと・・・
はじめに
絵や美術は趣味の範疇。描いたり鑑賞したり。生業にする道は選ばなかった。その立ち位置からみた最近の気になることがらを記した。
バンクシーを知るまで
高校の頃。普通科の同級生の多くは大学に進むのが当然のごとく話す。中学までは機械工になるつもりでいたわたしもようやく自らの立ち位置での進路をそれなりに考えはじめ、化学者になるか美術か技術家庭の教員かなと思っていた。
いずれも色彩へのあこがれがもとになっていると思う。さまざまな自然物や生き物、天然・人工の色のもつ豊富さと多様さ。それらが不思議であり、魅力に感じられた。
結局、進路の方向を決めたのは「食べていけるかどうか」。即物的だ。美術を進路にして画家や彫刻家で食べていくだけの能力を自分には感じられなかった。趣味のままとして大学の学科は化学を選んだ。サークルで美術部に入りしばらく活動した。
興味は細々だが今もつづく。もちろん昨今の美術の状況に目が向く。なかでもバンクシー。どうも彼(彼ら?あるいは活動集団あるいはサポーター?)の動きには興味が湧く。なにしろ神出鬼没。世界各地の街々に「作品」を残していく。なぜか素性はあきらかでない。
彼(彼ら)への興味
なぞめいたところが魅力の一部かもしれないし、匿名性という情報のあふれた世の中にどこか合っていて、時代を一面で表わしていると思う。
はじめて知った頃は、一連の街のかたすみやシャッターなどの「らくがき」の1種かと素通りしそうになった。今もそう捉える向きもあろう。いや違わないかもしれない。それらは主張したい、自己表現したいという点では同じかもしれない。
杓子定規とらえると社会通念から逸脱しているだろう。わかりやすくいうとマナーに則っていない。壁の所有者はどこまで許しているのだろうと心配になってしまう。なかにはどこかの役場の最初の頃の対応のように、やみくもに撤去しろとか聞こえてきそう。
そんなハラハラする部分を持ち合わせ、無理しないでねと言いたくなってくる。
ときに一心不乱に道路にチョークやさざれ石で落書きするこどもの姿がそこに重なって見えてくる。そう、こちらに近い。そのまま描きつづけておとなになった感じと言えばいちばんしっくり来る。「おとな」を感じさせてくれる。
洗練されている、わきまえているという点で超越しているし、なかにはするどい主張もあるが、ウイットに富んでいてユーモアがある。嫌悪感すらない。すぅ~と入っていけるあたりがおもしろい。
美術がこころをとらえて離さないのは、ひとそれぞれ作品の感じ方がちがうところ。同じ作品からさまざま湧き出ると、いい作品だなと思える。日によっても違うし、昼と夜でもちがう。
作品に込められたものは共感できるし、違和感がない。ときにおしゃれですらある。小難しさなどは感じられない。すんなり受け入れられる。もとからそこに存在していたかのように溶け込んでいるし、わたしの知る作品の範囲ではモノトーンが多く、どこか哀愁を帯びている。
もしかしたら、描いているのは同年代の人(人々)かもしれない、親しみさえ感じる。
芸術におけるNFT
話は変わって、おもしろい「しくみ」が今年のはじめ頃にわたしの前に現れた。芸術におけるNFT(Non-Fungible Token(非代替性トークン))。ここではNFTについて細かなことは触れない。他で調べてほしい。
わたしが高校生の頃に出会っていたならば、そして今後の変化によっては当時の進路選択に影響を与えたかもしれない一面をもつ。
正確に捉えていないかもしれないけれど、これまでにない特徴がある。そのひとつはざっくりいえば作品を世に出した作家へ、作品が取引されるたびに報酬の一部が還元されるしくみ。芸術を生む価値をより進歩的に捉えていると思う。
作品の取引されている現場はだれでもネット上で見ることができる。はたまた出品料(仮想通貨)さえ払えばだれでも作品を出品できて取引できる。
日々生産される作品の評価は多様だ。如実に仮想通貨の単位で取引状況が提示される。今年2月頃にはじめて主要な取引の現場のひとつOpenseaを目にした際にはめまいを感じた。
何しろすさまじい。その一言につきた。ゲームのキャラクターとか、あれっ、これはたしか先ほど見たはずの・・・とか。数の限られた2次元のドット画のアレンジ作品が多いと感じた。もちろん毛色の異なる作品もある。
それらがものすごいスピードで紹介されていく。ものの数秒でいま見たばかりの作品が画面の外へと流れていく。検索すら容易でない状況に戸惑いすら感じた。
すでに現在活動している芸術家が参入するなど、世の中の人々がその存在に着目し、潜在する可能性に気づきはじめている段階かもしれないし、すでに事業化したり活動の一部として捉えている人々がいたりする。
おわりに
芸術は変化してきた歴史がある。その一方で連綿と普遍性を保ちつづけるものもある。とりあげた両者に関連性があるわけではない。ただ単にわたしが興味を示した2つの事象をたまたま並列して示したに過ぎない。
とくに後者が新たな潮流となりうるか。どう变化していくかまだまだ目が離せない。
すくなくとも芸術家に日の当たる世の中がぜひとも来てほしいとねがう。
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