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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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#日々の大切な習慣

クーラーと扇風機:この時期ならば扇風機でやりすごせる日もあるが盛夏は…

はじめに このところの梅雨空の切れ間にときたま陽がさすと、もわっとしたしめリ気が肌にまとわりつく。陽ざしもつよくじっとり汗をかく。ただし室内はそれほどでもなく窓をあけて風を入れるとなんとかなる。気温はまだそれほどでない。まだ本気の夏の状況ではない。 ここ数日で扇風機とクーラーをつかいくらべた。 きょうはそんな話。 日ごろは 梅雨に入った。とたんに湿度は70%以上をしめすように。洗濯物がとたんに乾きにくくなった。もちろん可能なかぎりベランダに干す。ここ2週間ほどたびたび

昨年の夏と冬のわが家の電気の使用量をエアコンの視点で比較してみると

はじめに わが家(ひとりぐらし)ではいったいどのくらいの電気をつかうのか。エアコンは夏は冷房、冬は暖房といちばんの活躍をみせる。おそらくだんとつで電気をつかうだろうと予測。あとは常時ONの冷蔵庫。 きょうはそんな話。 電気の使用量 どのくらい電気をつかうのだろう。このクニの個人や家庭でつかう電気をしらべた。環境省によると 2021年のデータで1世帯あたりおよそ348kWh、(平均世帯人員2.25人)なのでひとりあたりは155kWhほど。一方、総務省の家計調査(2021

書こうと思ったことを瞬間で忘れてしまいがちなこと

はじめに しばらく前からなのでしかたがないのかもしれない。それは物忘れ。とくにnoteの題材を思いついたときがいけない。すぐに何かに書きとめないとあっさりわすれてしまう。たいてい半分ほど思い出せない。はがゆい。 きょうはそんな話。 忘れるからこそ どうしてこんなにいろいろおかしなことをしてしまうものなのか。このところとくにふえたわけではないが何日かに一度ほど物忘れにともない起こる。とくにはっきりしているのがnoteの題材。ほぼ日課にするほどなのでとくに「忘れがち」と感じ

あす以降のまとまった雨にそなえて先手を打とうと洗たくを早めに終えてふとんを干した

はじめに このところ雨についてのアナウンスがあると大ぶりするのではと心配になる。それにそなえてローリングストックを点検。これからの1週間で雨がつづくことはまちがいなさそうなのですくない晴れ間に洗たくとふとん干し。 きょうはそんな話。 いそいで洗たく あした以降で雨のつづく予報。これから先の雨の予測をかなりできるようになり、気象予報士の方々などがSNSなどにはやめに週間予報や注意喚起をしてくださるので感謝している。このところ半端でない量で降るようすが気になる。とくに週の後

使い古したクレジットカードで交通機関を利用できるべんりさとあっけなさ

はじめに かなり以前のこと。公共交通のワンマンバス(それ以前はべつに車掌がいた)を利用するまえに小銭をたずさえているかどうか確認してから利用していた。運営する会社が異なるとそのたびに支払いをしていく。なかなかわずらわしい。 それがどうしたことかある時期からようすがかわり、ICカードやてもちのクレジットカード(一部だが)をあてるだけで支払えるように。隔世の感がある。 きょうはそんな話。 このまわりも そんなにむかしのことではない気がするのだが。外出する際に公共交通機関を

えんぴつ(シャープペンシル)の消耗が極端に遅くなった気がする

はじめに 手もとを見ながらふと思った。このところ文字を書く機会がほとんどない。同時に筆記具に無頓着になった。すでに何年ものあいだあらたな筆記具をまったく購入していない。そういえばえんぴつを手作業で削る作業は中学生のころから好きな作業で、心が静まりここちよかった。それを近ごろやっていない。 きょうはそんな話。 えんぴつが減らない このところ文房具をあまり使わない。つねに最低限必要なのはボールペンぐらい。先日ひさしぶりに宅配の何枚もかさなったカーボンの用紙に押しつけつつ記入

ズボラなわたしには「布拭きそうじ」のほうがかえってゴミが出ないでべんり

(2024.6.17加筆) はじめに このところユニットバスの掃除に余念がない。賃貸でくらすうえで退去時のことがつねに頭のすみにある。「きれいに保たなきゃ」の一心で慎重にあつかう。ひととおり掃除した最後のしあげは床ぶき。これには使い古した布をつかう。これが結局のところ何度もつかえてゴミを出さずに使い勝手がいい。 きょうはそんな話。 風呂場の手入れ 賃貸のユニットバス。日々利用するので、いそがしいさなかに風呂に入るついでにかるくさっと掃除しておわり。たまの休日に思いついた

授業後のそうじをさっさとすすめてしまうほうだった

はじめに なにもまじめにやろうとしていたわけではない。授業後の教室のそうじ。のんべんだらりといつまでかかるか知れないままより、はやくつぎのたのしいことやもっとやりたいことへ早く移りたいから。 かといってヒトにそれをうながすわけでもない。無言で手早くやったほうがいい。ただそれだけ。それはどの段階の学校でもおなじだった。 きょうはそんな話。 どう思われようと 授業時間がおわるとそうじの時間。わたしが学齢だった頃は自分たちで身のまわりをキレイにするならわし(いまはどうか知ら