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授業後のそうじをさっさとすすめてしまうほうだった


はじめに

 なにもまじめにやろうとしていたわけではない。授業後の教室のそうじ。のんべんだらりといつまでかかるか知れないままより、はやくつぎのたのしいことやもっとやりたいことへ早く移りたいから。

かといってヒトにそれをうながすわけでもない。無言で手早くやったほうがいい。ただそれだけ。それはどの段階の学校でもおなじだった。

きょうはそんな話。

どう思われようと

 授業時間がおわるとそうじの時間。わたしが学齢だった頃は自分たちで身のまわりをキレイにするならわし(いまはどうか知らない)。そんなもんだとなにも考えずに行動していた。たいてい10分か15分ぐらい。学年があがるとはなれた特別教室や校庭など外まわりなども担当。

からだをうごかせるのでじ~といすにすわりつづけるよりはずっといい。なぜかこの時間にどこかに消えてしまう級友たちがいたが、そんなことは気にしない。どこの担当かはっきりしているはずなのにそんな状態。あえてうやむやのままかも。

手順とだんどり

 1日つかったあとの場所は雑然としてだれの目にもまともでない。やらずにすませられない。たとえひとりでもさっさと済ませればつぎに控える部活やなにかをすこしでもながく楽しめる。

はっきりいってノルマを済ませさえすればよい。まわりにめいわくをかけずにテキパキこなしてさっさとつぎへ移りたい。それに反応してくれるヒトがいるとはかどる。ひとりよりふたり。たいていそんな人数でなんとかなる。

場所によって

 むしろ教室を担当するときはたいへん。つくえやいすをいったん一方の端へ移動させて掃除すると効率的。できたスペースを掃き清め、かたくしぼったぞうきんで拭いて机といすを移動。新たなスペースを掃き清める。

ぺちゃくちゃおしゃべりしていても、「無言の圧力」に押されて出ていってくれると一気に掃除がはかどる。

わたしに賛同してくれる同級生がだれだったのかさだかでない。なにも日ごろの成績や運動のようすとは関係なさそう。だれが加勢しようとしまいと関知しなかったのでなにもおぼえていない。

つぎの楽しいことへ

 とにかく目のまえの掃除をかたづけるのにやっきとなり、まわりは見えていない。徹底して先憂後楽の考え方。どうやればはやく済むか、手をぬかずぎりぎりていねいにやったように見えるか、そればかり考えていた。

済ませてしまえばだれからもとがめられない。わたしがたまたま学級委員だったときもおなじように無言でさっさと掃除にとりかかり率先しててきぱきやっていた。

するといつのまにかまわりもつられて急ぎはじめ、けっきょくどのクラスよりもはやく帰りのホームルームをいつもいちばんで終えるという好循環。担任の先生にも協力いただきこれはクラスのみんなからわりと支持された。みんなでやればひとりあたりのやること自体がすくないので支持されたのかも。みんなはやく終えたいきもちは同じなんだと思った。

そういえば部活の用具などの準備もはやくやるほうだった。

おわりに

 なにもまじめにやろうというきもちはまるでなく、めんどうはさっさとやったほうがいいというのはいまも変わらない。

各職場に早めにむかいまずは掃除をはじめる。その日のあいだずっときもちよくすごせる。外まわりもおなじ。その職場の状態がみえてくる。あらたに向かう取引先を判断する指標のひとつとしてけっこういい情報のひとつ。整然としているとやはりどこかが秀でている。

最初だけ多少浮いてしまうかもしれないが、ああいうヤツなんだと一度思われるだけであとはふつうに接してくれる。なにごとも首尾一貫していると誤解をうまない気がする。


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