書こうと思ったことを瞬間で忘れてしまいがちなこと
はじめに
しばらく前からなのでしかたがないのかもしれない。それは物忘れ。とくにnoteの題材を思いついたときがいけない。すぐに何かに書きとめないとあっさりわすれてしまう。たいてい半分ほど思い出せない。はがゆい。
きょうはそんな話。
忘れるからこそ
どうしてこんなにいろいろおかしなことをしてしまうものなのか。このところとくにふえたわけではないが何日かに一度ほど物忘れにともない起こる。とくにはっきりしているのがnoteの題材。ほぼ日課にするほどなのでとくに「忘れがち」と感じるのかもしれない。
たいてい他愛のないもの。とくに忘れても支障のあるわけではない。べつのものを思いつけばよいだけ。
なかには
おもしろそうな内容を思いついたのに忘れてしまったということがなかにはある。必死に思い返そうとするが思い出せない。これはなかなかくやしい。へやの拠点ごとにメモ帳とえんぴつを置いておこうか。
どこで思いつくものなのか反芻してみた。たいてい朝起きてすぐが多い。ついで朝食のあとぐらい。すると食器を片付けたり、歯みがきをしはじめるころには頭から消し飛んでいる。なにかをやりかけるとすでに頭のなかにない。きれいまっさらの状態に。それは見事なぐらい。きっとあたまの容量がごく少ないのかも。
記憶って…
わたしのあたまのなかはどうなっているのだろう。こうしたごくごくみじかいあいだの記憶というのは儚く消し飛んでしまいやすいものなのか。それとも思いついたとたん、すぐに他のことをしようとするから忘れるほうへとすすみがちになるのか。そのどちらも原因として考えられそう。
やはりすぐにメモするしかないと思う。そうしないばっかりに惜しい思いをくりかえしてしまっている。きっとズボラな性格がそれを阻止してしまうのかも。その報い。
そうした消し飛んだはずの思いつきがひょんなとき、思いもしないときに突拍子もなくふっと浮かんでくる。あれっ、これは一度思いついたことがあるとたいてい気づく。
つねに記事を書く体制でいるのか
これだけ長く日課にしているぐらいだから、ほかの時間やなにかで思いつかないのかというとそれはごくすくない。たまに車の運転中に思いつくぐらい。とくに夜間はまるでだめ。おそらくすでに半分ほど脳は眠りにつこうとしているよう。
そんななかではまずnoteに記すような記事は思いつけないし、寝るまえに書いては目がさえてしまいよくない。
おわりに
noteを書くのは朝の習慣として理想的。混雑をさけて職場に早めにむかい頭を活性化させるのに役立っている。それといつでも論文を書けますよと、アイドリング状態にたもつ意味でもよさそう。つねに日本語になじんでおくことこそ、しごとのうえでも生活するうえでもよさそう。
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