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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2023年1月の記事一覧

高くなりつづける電気代を節約できないか さむい冬をいくつかのくふうですごす

はじめに  先月の電気代にはおどろいた。昨年とおなじぐらいの使用量ながらほぼ2倍。これはどうにかしないと。先日の記事につづいていくつか手をうちつづけている。 きょうはその続編。 いくつかやるうちに  電気代の高騰。これはさまざまな理由からみずからのくふうでやりすごすしかない。ここ1か月でおこなっていることをあげてみた。 ①電気事業者のみなおし ②窓の低コストでの断熱 ③電気をつかう器具のつかう機会を3割程度削減 ④電気に代替する暖房へのシフト これらをいちどにすす

ごくありふれたことへ目をむけられるかどうか ふとしたときに気づけるかもしれない

はじめに  ささいかもしないが気づいてしまった。昨今の状況のマスクのおかげ。あまりにふつうすぎてふだんは見むきもしないのだが、やはりふだんとちがうと気づけるのかも。わたしのズボラもときには役にたつ。 きょうはそんな話。 ひごろの習慣で  たとえば顔をあらったりふろにはいったり、こうしたごくごくありふれた一連のうごき。長年のあいだにふだんの習慣としてやりつづけていてほとんど無意識でやる。ここでこうしてああしてとあたまを駆使させるまでない。 すると3日前と2日前の風呂の

パートに出ているいまよりも兼業農家していたころほうが車をもっとつかっていたなんて

はじめに  ひんぱんに車をつかう。日々の行動でまずは車での移動を前提としてしまう。さきほどスタンドでガソリンを入れつつふと思った。 もっとガソリンを節約しなきゃとつねづね思う。にもかかわらずこのていたらく。 30年まえの街に住んでいたころと、農業にいそしんでいた4,5年まえを当時の文章などからたどってみた。 きょうはそんな話 街と郊外  くるまをつかっていなかった。30年前。ふりかえるととてもべんりな場所に住んでいた。交通機関はいずれもみぢかに。ちょっとターミナル

年をかさねてこのまま郊外でくらすか街に住むか行き来の面からかんがえてみた

はじめに  このところ家族の病院の送迎をやりながらかんがえた。わたしの親の面倒はこれでいいとして、わが身の老いたとき。こどもたちの面倒になるつもりは毛頭ない。 そうなるとこの場所にいる場合と街のほうでくらす場合、その両方をこのところ思い浮かべている。 きょうはそんな話。 郊外のくらし  いまの住みどころは中核市ではあるが、いちばん南のはし。中山間地でむしろ限界集落にちかい。周囲ではわたしの親がもっとも年上。するとそのひとつ下の世代はわたしの世代で、みわたしてもかぞえ

このところの寒さにニット帽をかぶり耳をおおい寝るとあたたかいことに気づいた

はじめに  ことしでいちばんの寒波。まだ新たな年になり3週間あまりにしかならないが、もしかしたらすでにいちばんのさむさになるかもしれない。ほんのごく短い時間だったが、キッチンの水道がでなかった。それほど下がることはわが家ではめったにない。 そんななかで眠る際にニット帽が役に立つとわかった。 記録的な低温で  このところの寒さ。統計をとりはじめて以来で何番目かというぐらい。さすがにふとんで寝るさいにどうも耳もとあたりが寒い。ファンヒーターを中心とした暖房は安全のために寝

すきま時間でほかにわずらわされずに地形図や地図をながめるたのしさ

はじめに  けっこうしごとのあいだにじぶんの時間を確保できるし、ぽっかり時間があくことも。自営業かつフレックス制のパートしごとの兼業ならでは。そのときはやりたいことをする。 さいきんは運動不足解消に散歩をしたり、ちょっとまったりしたいときには音楽を聞いたり。その日その日ですぐにできるたのしみ。 きょうはそんな話。 雨や雪の日に  しごとのあいまに時間ができたのに、からだをうごかす目的の散歩に行けないときがある。雨風が強かったり、さむくて雪のふりやまないときだったり。

年齢をかさねてできるようになったこと あたまのなかでつかえる部分がまだあった

はじめに  なんとかわかいころの記憶をたよりにきょうは書いてみたい。文章や写真が何かと残っているので、それらが参考になる。だんだんととしをかさねるとからだじゅうおとろえていくばかりかとかんちがいしていたかもしれない。 きょうはそんなはなし。 さえてくる部分  いつのまにやら歳をかさねてきた。10年単位でふりかえると、ちかごろの10年のほうがはやくとおりすぎていくかんじ。直近の10年なんかそれこそあっというま。 そのあいだになにを何をなしえてどんなことができなかったか

SF的なショートショートを書いていていま生きているセカイについてふと思う

はじめに  noteをはじめたころに、ほぼ毎日2週間ぐらいショート・ショートを書いていた。どれもPCをひらいて起動させ、その場でおもいついてしるしていた。するとたいていサイエンス・フィクション、つまりSF調になる。やっぱりねっからの理系なんだろうなあ。 現実にたちかえり、いまこうしてすごしているセカイもここ数年でまえいたところから移ってきたとそんなふうに想像してみる。すると「それぞれのセカイを楽しまないと損。」との結論にいたる。 きょうはそんなお話。 おそるおそる

おなじ内容を書きあらわすのでも否定形よりも肯定の表現のほうが澄んだきもちで前むきになれる

はじめに  このところnoteなどに文章をしるすにあたり、なるべくきもちをフラットにしようとしている。こうして第3者的な立ち位置につこうと意図して。読み手の方々にストレスにならないよう。 記す文のかたちにすこし意識をはらうときもちまでちがうと気づいた。 日本語にせっしてきて  すでに半世紀ほど日本語とせっしている。みずからのかんがえをわかりやすく明解にあらわすのはなかなかむずかしい。つらつら書き記したものをすこしおいたのち読みなおし手をいれる。すなおに書けばいいはずが

山すそをあるいて毎日のようにあたりのかすむ原因がさまざまあると気づいた

はじめに  このところ体力回復を目的としてほぼ毎日歩いている。たいてい風のつよい海側よりも、陽だまりができ風のすくないあたたかな山側へ。 空気のつめたいのはすぐにあたたまりなんとかなる。山を仰ぎ見ながら坂みちをのぼるのはここちいい。 このところちかくのスギ林から山々にかけてかすんでいる。ああ、そうかもうそんな季節なんだ。あらためて早春の予感。 運動をかねて  山をあるく。海のほうにはむかわない。先日、所要で線路をまたぐ渡線橋のむこうがわに出た。海はすぐそこ。顔を海岸

ヒトを被写体にすると撮った写真にはそのヒトとの関係性があらわれてくる

はじめに  これまでさまざまなヒトの写真を撮った。個人情報の際たるものなので、かならず了承をいただいての撮影。見ずしらずのヒトを撮るなんてない。 そうなると了承をもらえる可能性のあるみぢかなヒトが対象となる。すると撮した写真にはその方とのみずからの関係性がありのままに。 きょうはそんなお話。 学生のころ  写真に熱中したころ。学生時代のわたしはカメラをいつも手にして身のまわりで対象をさがした。おなじ学科のメンバーを撮影したものが多い。授業時間以外のくつろいだ時間をつ

ロボット掃除機の登場・普及はみずからの性格をかえりみるきっかけになるとかんがえた

はじめに  基本的に研究パートのしごとでつかう実験室はほぼわたしがつかいはじめ。リノベーションの建物だが、机や椅子、棚なども基本的に新品ばかりあてがわれた。そこを基本的にひとりでつかう。つまり新しい状態からよごすのはわたし。そうじをすると実験操作で出るゴミのほかは、よごす原因のほとんどがわたしから出ているとはっきりわかった。 ほとんどわたしがいる場所を重点的にそうじすればいい。あとのところは週1回ぐらい週末に。これがロボット掃除機だったらどうだろう。まんべんなくきまった期

ウシのかわりに草からウシの肉ほどのタンパク質をつくりだすことは

はじめに  としのはじめにぼんやりとかんがえた。いずれウシなど草食動物の肉をたべられなくなる。 するとそのかわりのタンパク源をみつけださないとならない。大豆やコオロギなどさまざまなものが肉のかわりやタンパク源として登場している。 これでもタンパク質研究者のはしくれ。なんとかつくれないものだろうか。きょうはそんなおはなし。 もはやウシをたべるのは…  もうすぐたべられなくなるのでは。すでに質素なくらしを実践中のうちでは正月でも祝日でもウシの肉を口にすることはほとんどな

生きるうえで高校や大学で、そしておとなでも「倫理」や「倫理学」に注目してもっと選択してもいい

はじめに  高校で「倫理」をじっくり学べたのはさいわいだった。しかも「師」とよぶにふさわしい教師から教われた。 「倫理」ではヒトとはなにか、ヒトはどう生きるかをまなぶ。年をかさねるにつれてベースとしてこのまなびは有益なだけでなく、じつに奥がふかい。 きょうはそんなはなし。 「倫理」という教科  高校の教科で「倫理」に出あう。高校では教科名で社会はないけれど、「地理歴史」と「公民」からなる。「公民」には「現代社会」、「政治・経済」そして「倫理」の科目があり、そこから生