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【書と評】「知事抹殺」佐藤栄佐久著 を読んで

改めて調べてみたら、知事の贈収賄の控訴は最高裁で棄却されて、有罪が確定していた。僕はこの本で、彼の側からでしか情報を得ていないが、贈収賄をするには政治に打ち込んでいる人のように思う。

紳士服の会社の長男として生まれ、JC(青年会議所)の活動に打ち込んで会社を離れた。JC会長選で敗れ、参議院選挙で一度敗れて、地元福島を足で回り、「選挙は山から攻める」のだということを知った。街の人のつながりは希薄で、当てにならない。だけど、山の人が紹介してくれる街の人は頼りになったという。山を回ると阿武隈川の東側にはイノシシが棲んでいて、西側には熊が棲んでいると土間に飾られる剥製で分かるのだそうだ。

彼の政治活動の歩みも面白いし、その支持者を検察が選挙法違反で締め上げて苦しめるという人質の取り方をして調書を取る汚さも、とても感情が動くのだけれどあえてここでは書かない。興味ある方は本書を当たって欲しい。

2011年東日本大震災で福島と原発が日本の問題となる前に、佐藤は地方の問題としてずっと国と東京電力を相手に戦ってきた。彼の視点で、彼に起こった原発の事象を年譜にしてみた。とても示唆的だと思う。

◆◆

1985/6/21 福島第二原発 3号炉 運転開始。
1989/1/7  福島第二原発 3号炉 軸受リング、ボルト、座金脱落事故。
1991/9/25 双葉町議会 原発増設要望を議決。
1994/7/1  東京電力荒木社長より福島県へJヴィレッジ建設の打診。
1995/12/8 高速増殖炉もんじゅ火災事故。
      以降、MOX(再生燃料)燃料を通常の原発で使用する
      「プルサーマル」へと最終処分の方向転換。
1996/1/23 原発集中の三県(福島・新潟・福井)知事による提言。
      核燃料サイクルのあり方、処理計画を全国各界で議論し、
      合意形成するよう求めた。県からの提言は原発史上初。
1997/2/14 国より、三県提言への原子力政策見直しの回答。
1997/2/21 電気事業連合会(電力会社組織)、プルサーマル計画発表。
      (今まで使用済み燃料の処理は原発立地とは別で実施すると
      説明していたものが翻り、福島と新潟にプルサーマル炉の保有を
      要請した)
1997/7/21 Jヴィレッジオープン。
     (当初約束していた中通り、会津の振興は実現されず)
1997/7/29 「核燃料サイクル懇話会」第一回実施(この後7回開催)。
      エネルギー庁長官も出席の元、
      ①MOX燃料の品質管理の徹底
      ②取り扱い作業員の被曝低減
      ③使用済みMOX燃料政策の長期展望の明確化
      ④核燃料サイクルの国民理解
      を条件に2000/2/7よりプルサーマル計画開始予定となる。
1999/9/14 関西電力が福井の高浜原発で使用予定だったイギリスBNFL社の
      MOX燃料データ改ざん発覚。
1999/9/30 JCO核燃料加工施設(茨城県東海村)臨界事故。
     (バケツで作業していた。国内初事故被ばく死亡事故)
1999/12/16 高浜原発用MOX燃料データ捏造が再度発覚。
2000/1/4  東京電力よりプルサーマル実施延期の申し入れ。
2002/7/5  核燃料税引き上げ条例可決(従来の約二倍額となる)。
2002/8/29 福島第一、第二原発での損傷隠蔽発覚。
     (2年前から内部告発が原子力安全・保安院に届いていたが、
      情報や告発者名を東京電力にそのまま横流していた)
2002/9/2  東京電力、南社長辞任。会長、副社長、元社長も引責辞任。
2003/4/14 東京電力全原発停止(福島10基、柏崎刈羽7基)。
2003/7/10 福島第一原発6号機 運転再開(以後段階的に再開)。
2004/8/9  関西電力美浜原発3号機で高圧蒸気配管から蒸気漏れ事故。
      (作業員4名死亡。稼働開始以来27年間、一度も配管点検されて
      おらず配管が腐食していたという杜撰な事故)
2005/6/29 福島第一原発1号機運転再開。2002年8月以来2年10カ月ぶりの
      全基運転再開となる。トラブル隠し発覚後に見えた問題と対策を
      福島県が独自にまとめた350ページの報告書を東京電力に渡す。
2005/10/18 「原子力政策大綱」が閣議決定。
      国が安全を確認した原発が県の意向で運転できない時は交付金を
      カットする方針を打ち出す。
2006/2/7  佐賀県知事、玄海原発プルサーマル計画容認。
2007/7/16 新潟県中越沖地震。柏崎刈羽原発にてプール水漏れ。

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佐藤知事は決して原発自体に反対している訳ではない。ただ、安全がずっと担保されない体制だった。国は責任を取らない。何かが起こってそれが世間にバレれば社長を呼んで厳重注意するだけ。それまでは放置だから、企業だってなるべく隠し通そうとする。安全では儲からないと思っているとしか感じなかった。

沖縄の米軍基地の問題も同じだ。住んでいる人、県からすれば人の命が一番大事だ。だけど、原発も米軍基地も、国は安全など担保できない。だって、管理していないのだから。それを押し付けているだけなのだ。1991年に双葉町が原発増設要望を打診したと聞いて佐藤知事が愕然としていたのも興味深かった。1兆円規模の経済効果があるとして、地元には1%程度の見返りがあるのだという。大雑把に言えば100億だ。それだけあって、自立して経済が回るようにならないで依存し続けようとしている訳なのである。

道州制に反対しているのも興味深かった。今の県以上大きくしてしまえば、国と同じくらい地域に目が届かなくなるだろうというのである。今の日本の問題を考えるためには、どこからでもいいから切り開いて分け入ってみるしかない。その場所として県単位の何かに注目するというのはよいサイズなのかもしれない。

来年2021年は、東日本大震災からちょうど10年だ。あの大事故で日本は変わらなかったと、僕は思っている。意識とか、人がどうとかではなく、制度の限界を見極めたいのである。その切り口に良い本だった。


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