粋とポピュリズムのはなし

やっと読書を再開できるようになってきた。


昔、短時間で教養をつける、と銘打って名著のあらすじだけを集めた本に対して「読書とは何なのか。このような効率主義は読書の楽しみを奪う本末転倒なものではないか」というような文を読んでまさにその通り、何のための本だよ、と思ったものでして。

特にそれが小説系のものであったなら小説家の苦悩をぜーんぶはぎ取り、効率主義商業主義という文学が目指すものの対極にある、本来の意義を失わせる、けしからんシロモノだと思っていた。

でも現実、大人になった私はちょっと気になったことはウィキペディアで調べるし、そこにあるのは作り手の苦悩の末の工夫だとか表現を全てはぎとった本質むきだしの、それも本当にそれが本質かどうか知ることもできない何かだけ。それをさらっと流し読みしてエッセンス(と思われるもの)だけ頭にいれて次に進む。

なんていうか、生物に必要な本来の食の効果を雑味なく得るため、食の楽しみを捨てて栄養価だけをサプリで取るのと似た感覚。


効率が必要な場面も多いけど、豊かな生き方とは程遠いというか。


さてその豊かな生き方というのは、おそらく多少の非効率的なものを含みつつ、その非効率的なものがもたらす感情、よろこびとかかなしみとか、そういうものを堪能する人生だと思っているのですね。

更にそのよろこびかなしみが細分化されれば、それに伴う言葉も味わえるようになり、人生につきものの失敗だとか嫌なできごとまでもを客観的に堪能し、それを更に他者に追体験させるべく伝えたり教えたりできるようになれば、それを称して「幅が広がった」とか「人生楽しめてる」とかいえると思っています。

要は個のなかでまずは感得し、それを周囲に広げ、集団としての感性につなげられることを意味するのではないかと。今流行りの「絆」ってのにもつながるし。


さて、その集団の絆を得るためには「わかりやすさ」が必要不可欠。

全員が同レベルの知性感性を持ってるわけではないので、できるだけ多くの人に同じ理解をさせるような「わかりやすさ」があればいいなと夢想するわけですが。

「そんな難しいことわかんないよ!」が堂々と叫ばれる今、「わかりやすさ」は正義となりつつありますが、そこには落とし穴が潜むことも多いわけで。

努力と訓練で、難しいものを理解できるようになる人とそうじゃない人がいた場合、わからないに合わせるのがユニバーサルデザインだとは思うのですが、これを100%にしようとしたら、いわゆる「知的障碍者」の水準に合わせる必要がある。

いやいや、そこまでせんでもいいよ!という人に、じゃぁどこまで?と聞いてもこれは答えの出るものじゃない。必然、恣意的に、このへんじゃね?というラインを設定しなくてはならない。どこかからの非難の声が出るのを覚悟して。嫌われ役になるのを覚悟して。

で、じゃぁ言葉をわかりやすくしようよ、となると待ち受けているのが語彙の減少した社会だと思うのです。

語彙は思考を司るものなので、語彙が減少したら思考も減退する。文化も衰退する。想像するのが「1984」。ジョージオーウェルの名著らしく、実はこれこそ私が「ウィキペディアでさっくり内容だけを読んだ小説」にほかならないわけですが(笑)。

難しい言葉、思想を喚起することばを制限する。多義語は辞書から削除されていく。統一性を重んじて歴史や文化は真実省によって改ざんされる。そうして下層部の思想を制御して反乱因子を生じさせないように仕立て上げ、上層部が半永久的に富と権力と自由を保持できるという1984の世界観。

でもこれは、難しいことを考えたくない下層部の人々にとってはある意味非常に楽な世界。考えなくてすむ。貧しく治安は悪いが、世界中のどこもそうだから改善のしようがない(と思い込める)。しかも上層部は表向き、下層部を非難することもない。


さて、日本で現在マスコミに対する批判が高まっている。

視聴率を狙って意図的に編集した内容、何か誰かを批判する内容はストレスのたまった視聴者に刺さるから常に現状に対する愚痴や対案のない批判、新奇性を狙った浮世離れした情報、etcetc。

どれも非常に「わかりやすい」。easy to understand, but not easy to agree.

現状に対する不満をあおることはたやすい。全員何らかの不満はあるからだ。

ただその不満が、何かを達成するための「我慢」なのか、ただただ未整備なだけで改善することで全体的によくなる「不備」なのかで話は違ってくるはずなのに、そこの見極めは誰もしていない。できるかどうかは定かではないけれど、していない。なぜか。

難しいからだ。

むずかしいことはわかんないよ!が、この世に渦巻いてきているのに、それを打開しようとはしない。メディアがそんなことを取り上げても誰も見ないから、民放は経営上そんなことをしない。見てくれる人に照準を合わせて、わかりやすい、共感できる、自分と同じ思いを言ってくれる番組を作る。

万一、このままじゃいかん!全く建設的じゃない!一億総白痴だ!と、全民放が協力して実のある番組を作ったとしても、おそらくみんなチャンネルを消すだけになる。ユーチューブの再生回数が上がる。

畢竟、マスコミは現状ポピュリズムに流れるしかない。


さて、ポピュリズムとはどういうことだろう。

歴史的には民衆には教養がないことが多く、歴史に学んだり論理的に考える経験が浅いため、学問を修めた特権階級が熟慮して法を整備したりしてきた。それは特権階級だからできたことであり、彼らが何を重んじるかを反映した結果となった。

同時に、民衆が重んじるものを蔑ろにしたものもあったかもしれない。

そこで、民衆の生活や価値観も理解しろ、そのうえで再度考えろ、という動きもできます。特権階級なんだからそのくらいやれと。確かに特権階級はそういう働きをする階級だから、この要求は無茶ではない。自分の仕事をしろ、より多くの人間に納得されるよりよい仕事をしろ、と言っているにすぎない。

特権階級はそれらを鵜呑みにしてはいけない。きちんと要求を聞いたうえで整理し、現状と照らし合わせ、優先順位の高いものから可能な範囲で要求にこたえる必要がある。

この双方向があってこそ、より広く、よりよくなるはずなので、特権階級=体制側に対して意見・批判する民衆の立場=ポピュリズムということになります。先述の1984は、ポピュリズムの発生動機をゼロに抑えようとした世界観となります。

そのポピュリズムという言葉が衆愚政治と同義に使われるのは、当然民衆の質に左右される結果だとおもうのです。

民衆という語自体が、特にこれといった能力をもたず、日々自分と自分のまわりの狭い範囲だけの中で過ごし、あまり遠くのことまで考えない、考える必要のない牧歌的な人間をイメージさせるのですが、現在では実際には民衆のなかにも知能の高い人、周囲を繋げる能力に長けた人、能力があるが怠け者、勤勉だが自我がない人、様々過ぎて例を挙げるにはきりがないわけで。

ではなぜ現在、昔と比べれば遥かに教育水準が上がったはずのこの国でポピュリズムはあまりいい顔をされないのかというと、民衆が「むずかしいことはわかんないよ」を決め込んでいるからではないかと思うのです。

難しいことはわからないしわかる努力も面倒だし時間がないし。

でも現状これには腹立つし。しくみとかよーわからんけどおかしいと思う。

この現状がすぐさま変わらないのが嫌だ。腹立つ。他のこととの兼ね合いとかよーわからんけど腹立つ。

テレビでもおかしいって言ってる。私だけじゃないやっぱりおかしい。

こういうのは賢いひとがなんか魔法みたいにパパパーっと手直しするべき。

やらんのは努力不足。やればなんとかなるはず。なんでやれへんねん!

どの人にやらせたいか?選挙?そんなん知らん。わからん。新聞難しいから読めへんし、テレビでなんか言うてるけど面倒。わかるひとが投票して。


そこにトランプさんみたいな人が現れたらどうします?

「君たちの意見は全て正しい!国家は民衆を守るために存在しているんだ!君たちの意見が通らない国家なんて国家じゃない!私が全て変えてやる!」


…粋だと思われるんでしょうね。

わかりやすいですね。民衆は「このひとならわかってくれる!」と絆を感じるでしょうね。


粋とは不合理です。過去歴史を鑑みて、同じ失敗をしないよう考えられた法で合理的に固められた世界は窮屈です。合理の窮屈に嫌気がさした人たちに、これを打開する事態は大変魅力的です。生きる活力にもなるでしょう。

ポピュリズムと粋は、おそらくとても相性がいい。

ただし、粋はあくまでスパイスに留まらないといけません。

粋が過半数となってしまえば、これはもはや合理の世界ではありません。法治国家ですらなくなります。制服のある学校でも、ワンポイントおしゃれを入れるのは(違反であっても)センスあるなぁ、と思ってもらえるでしょうが、全部改造していけばただのヤンキーです。退学させられます。


我々が住んでいる日本は法治国家です。知らなかったからといって法を犯せば逮捕されて不利益を被ります。そしてそれをよしと思う人が大半です。

知らんかった、では済まされないのです。


何かをするには何かを犠牲にしなければいけない。価値観は人によるから、どちらを優先したいかも人による。自分はこうだ、というのは誰も察してくれない。将来的に多様性を認めるために、現状ではまず多数を優先しなければならない。自分に都合のいい制度にしてほしければ、自分はこうだ、という意思表示を、まずは選挙でしなければならない。

あなたと同じ愚痴を呟く人があなたの味方とは限らない。



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