SDGsと家づくり|日本にも高性能な賃貸を!軽井沢の「サステナブル集合住宅」
日本では、賃貸住宅の断熱性能はお粗末なままでした。そのため多くの家庭では、暑さや寒さ、湿気や騒音、そしてエネルギーの浪費などが課題となっています。そんな中、軽井沢で超高性能の賃貸住宅を、しかもコストを抑えて建てた人たちがいます。今年4月に完成したばかりの現場を訪ね、まったくの未経験から賃貸経営を始めたお二人の思いを伺いました。
高性能な賃貸を建てた理由
宅地は、林に囲まれた静かなエリアにありました。カラ松の外壁と勾配屋根が美しい3棟の平家には、1棟に二世帯、合わせて六世帯が入居できます。「六花荘」という名は、雪の結晶を意味する「六花」と、六世帯をかけたもの。軽井沢の冬は厳しくても、ここでの暮らしは快適で自然の美しい側面を楽しんで過ごせるということから付けられました。冬の軽井沢はマイナス10℃になることも珍しくありませんが、六花荘の室内は、エアコン1台の暖房で全室20℃以上を保つことができる性能を目標としたため、寒さや結露とは無縁です。
壁や屋根、基礎は分厚い断熱材でくるまれ、すべての窓はトリプルガラスの樹脂サッシが採用されています。また、大きな窓からは、冬の日射取得も十分入るよう計算されています。これが賃貸住宅というのだから驚きです。 案内してくれたのは、共同オーナーの木下史朗さんと須永理葉さんのお二人。木下さんは、インフラ再生事業を手掛ける木下建工の常務取締役ですが、六花荘の建設や経営については個人の事業として行いました。高性能賃貸を建てた理由を、木下さんはこう説明します。
「軽井沢は、夏の別荘のノリで建てられた建物が多く、冬はめちゃくちゃ寒いんです。ひどい話では、冬に水道管が破裂しないよう、不在でも暖房しておくようにと言われて、住んでもいないのに月3万円も光熱費がかかった人がいます。環境負荷が高く、健康にも悪い賃貸住宅の質を上げることができれば、個人の財布にも、健康にも、エネルギー的にも好循環が生まれます。ちょうど、建築家の須永さんご夫妻も賃貸住宅をやりたいとおっしゃっていたので、一緒にやることになりました」。
六花荘から徒歩圏内には、自由な校風で知られる風越学園(幼稚園、小学校、中学校を併設)があります。学園に子どもを通わせながら、森林に囲まれたこの地域で子育てをしたいと移住する家族も増えているそう。夫婦で設計事務所「暮らしと建築社」を営む須永さんは、そうした移住者の方から高性能住宅の依頼を受ける中で、こんなことを考えたと言います。「子育てのために移住する人たちは、長期的な移住を考えているわけではありません。でも探しても気に入った賃貸がないので、家を建ててほしいと相談されます。私たちの仕事になるのですが、社会的には高性能の賃貸住宅があれば、そちらに入ってもらう方がいいのではないかと思いました」。
軽井沢らしい暮らしを楽しむ家
軽井沢の建築物は、容積率や高さ、敷地境界から10m空けるなど、条例で細かく定められています。須永さんは、それを踏まえて軽井沢らしい暮らしが実現できるよう、ゆったりとした配置の設計を心がけました。
栗の無垢材のフローリングが広がるLDK からは、大きな窓を通じて庭と一体感を感じられます。大人2人が立っても十分なスペースがある木製のキッチンや、自由に付け替えて部屋をつなげたり仕切ったりできる木製のドアも、オリジナルの造作です。「家が寒いととにかく仕切らないといけないのですが、子どもはあけっぱなしにして走り回りたいですよね。高断熱にすれば寒くならないから、空間デザインの自由度が増すという相乗効果も出てきます」(須永さん)。
勾配屋根には、1世帯あたり出力9.9kWの太陽光発電も設置され、入居者は月間230kWh までは電気を無料で使用できる契約になっています。
木下さんが参考にしたのは、欧州の賃貸契約です。「欧州の一部の賃貸住宅では、あらかじめ予測した光熱費込みで家賃を支払うタイプの契約があります。その場合、オーナーにとっても、賃貸を省エネ化するメリットが生まれます」。そうした契約が日本でも増えれば、省エネ型賃貸住宅も珍しくなくなるかもしれません。
駐車場には、将来を見据えて世帯数分のEV 充電器を設置。家賃は付近の相場とほぼ変わらない月17万円ほどになります。宣伝費はかけていないのに口コミで広がり、完成前に満室になりました。
コストダウンの工夫
ゆとりある空間、天然素材、高いデザイン性、そして超高性能…こうした建物を、コストを抑えながら実現できたポイントを、木下さんが説明します。「妥協せずにコストをかけたのは、『断熱性能』『構造の安全性』『軽井沢らしい暮らしができる間取りと佇まい』という3点です。一方で、天井までの窓やウッドデッキなど、コストの都合で断念したものもあります。また、フローリング材や壁材に塗料を塗る作業など、自分たちでやれる部分はできるだけやりました。須永さん自身がオーナーなので、設計料などが無料だったのも大きいですね(笑)」。
木下さん自身も、本業で培った不動産取引のノウハウを活用しました。そうした工夫を重ねたことで、土地代を除く建築費は一世帯あたりおよそ2000万円、全6世帯で1億2000万円ほどと、この規模とクオリティの建物としては破格で実現することができました。設計料が無料と聞けば、他の人が同じような賃貸を建てるのは難しいと感じるかもしれませんが、須永さんはそんなことはないと言います。
「設計や建築、不動産の仕事に携わっている人はたくさんいて、家を建てるノウハウを持っています。賃貸住宅を建てるのが初めてだった私たちにできたことは、建築に携わる他の人たちもできるはずです。また、設計料などより土地代の方がはるかに高いので、地主さんのポテンシャルもすごく高いと思っています」。
二人は、見学に来る人たちに建て方の工夫やコストの話まで、包み隠さず伝えています。「こうすればできると感じてもらえれば嬉しいです。土地代や建築費全体から見れば、断熱にかかる費用なんて小さな額です。それで快適性が上がり、ランニングコストが下がる。デメリットは何もありません。ぜひ真似してほしいと思っています」(木下さん)。
日本で高性能な賃貸物件が少ない理由の一つに、銀行の貸し渋りが挙げられます。銀行としては、できるだけ安くつくり投資回収を早く済ませてほしいのです。木下さんと須永さんは、ぶ厚い資料を用意し、地元の銀行に高断熱の価値を熱心に説明しました。「断熱のことをどこまで理解してくれたかはわかりませんが、真剣に経営しようとしていることは伝わったのでは」と木下さん。何よりスタート時から満室で稼働できたことは、良い建物には価値があることを証明できたはずです。
自宅からオフィスそして集合住宅
木下さんと須永さん夫妻が協力して建てたのは、実はこの建物が3軒目となります。最初は2018年に木下さんの軽井沢の自宅を須永さん夫妻が設計。続いて2020年に、木下さんが働く木下建工(長野県佐久市)のオフィスを建てました。六花荘の建築には、この木下邸とオフィスを建てた際の経験が随所に生かされています。
木下さん自身も、以前は一般的な賃貸住宅に住んでおり、結露やカビは当たり前だったそうですが、高断熱の家が欲しいと学ぶ過程で、須永さん夫妻に出会い依頼することに。
コの字型のリビングは、表の人通りが多い道路からは見えず、広々とした庭を眺められるつくりになっています。トリプルガラスの樹脂サッシの上には、はめ込み式の窓が並び、冬は十分な日射が差し込みます。暮らし始めてからの4年間、一度も結露していないそう。空間を細かく仕切る必要がないので、家のどこにいても、子どもたちの気配を感じます。
エアコンが一台ありますが、夏はそれほど暑くならいためほとんど使いません。冬も薪ストーブを短時間つけるだけで暖かくなり、薪の消費量も少なく済んでいるそう。暮らしは劇的に変わりました。
「高断熱住宅に住むようになってからは、こんなに違うものかと驚きましたね。外気温がマイナスの朝でも無暖房で寒くなかったり、子どもが風邪をひかなくなりました。そのうえ、冬の光熱費は以前の半分以下なので、いいことばかりです」。
家が快適になると、今度は毎日通うオフィスが寒くて仕方がなくなります。「冬は社内が冷蔵庫みたいにキンキンに冷えて、始業の1時間前からストーブをたかないといられないんです。エアコンに加え、ガスと灯油のファンヒーターを何台も稼働させているのに寒くて、体調を崩す人も多かった。ちょうどその頃、新社屋の建設計画があったので、社員も健康で生産性高く過ごせるオフィスにしたいと高性能オフィスを提案しました」。
つづきは「だん」13でお読みいただけます。