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2022年中東の重大ニュース

 2022年は中東でもいろいろ大きな事件がありましたし、国際社会の動きでも中東諸国は右往左往しなければなりませんでした。とくにロシアのウクライナ侵攻をめぐっては、油価が上昇したり、仲介外交を展開したり、武器輸出に精を出したりと、さまざまな面で中東諸国も存在感をアピールしました。

 さて、サウジアラビア資本の衛星放送アラビーヤ(英語版)で、中東の重大事件、ベスト5という特集をしていました。それによれば、

1.モロッコがワールドカップでベスト4
2.カタルがワールドカップを開催
3.サウジアラビアのムハンマド皇太子がThe Lineを発表
4.エジプトがCOP27主催
5.ドバイ万博終了

の5つが選ばれていました。

 もちろん、人によって意見はさまざまでしょう。そのほかの重大ニュースといえば、

イラン核合意再建交渉の頓挫
イラン全土で大規模抗議デモ発生
バイデン大統領と習近平国家主席のサウジアラビア訪問
ロシアのウクライナ侵攻でのトルコの仲介外交
アルジェリアとモロッコ外交関係断絶
UAE大統領死去
ISとアルカイダ指導者殺害
レバノン・イスラエル海上国境画定
イスラエルで強硬派内閣が誕生
イエメンで停戦合意と失効

 などが挙げられるでしょう。年末ということもあり、2022年の総括として中東での重大事件について中東研究センターの研究員による簡単な解説を紹介したいと思います。

中東におけるガスを巡る動きが活発化
 ウクライナ危機後の欧米を中心とした脱ロシア産エネルギーの動きのなかで、中東からガスを調達しようとする動きも活発に見られました。6月以降に順次発表されたカタルのNorth Fieldガス田の海外からの参画企業はすべて欧米メジャーとなったほか、11月には中国が同ガス田から27年間の調達を行うことで合意しました。東地中海ガス田に関しても、6月にEUがイスラエルとエジプトとの間でガス調達拡大で合意したほか、10月にはイスラエルの新規ガス田が生産を開始し、12月には既存ガス田の生産拡大の最終投資決断が実行されました。また、国交のないイスラエルとレバノンのあいだで海上国境が画定したというのも興味深い事件といえるでしょう。これによって、イスラエルも、そしてレバノンも海上ガス田の開発に踏み切ることができようになりました。
 2021年に日本は、カタルとの年間550万トン規模のLNG長期売買契約を延長しない決定をしました。脱化石燃料の進展を考えれば、合理的な判断なのでしょうが、ロシアのウクライナ侵攻で、事態はまずい方向に進んでしまい、中東のLNGについて、日本は出遅れてしまったように感じます。年末に西村経産相がオマーンを訪問し、2025年以降の新たなLNG輸入で基本合意しましたが、エネルギー・トランジションとしての天然ガスに世界的な注目が集まるなか、日本の中東におけるプレゼンスの維持はこれまで以上に重要になるのではないかと思います。

イラン製ドローン
 イラン関係では、国際関係上のインパクトという意味では、「イランからロシアへのドローン供与が明らかに」というニュースも大きかったです。西側諸国との関係改善が見込めないなか、イランは昨今(以前にも増して)中露に接近しており、9月には上海協力機構(SCO)への正式加盟が決定し、11月にはロシアへのドローン供与が明らかになり、「JCPOA再建をあきらめロシア側に舵を切った」かのように見えるイランの動きに注目が集まりました。

ドバイ万博閉幕
 3月31日、半年間で2,410万人超の来場者を記録してドバイ万博が閉幕しました。目標の2500万人には達しませんでしたが、万博史上最多の192カ国からの参加、万博史上初の「バーチャルプラットフォーム」の実施で約2億5,000万人の来訪者を集めるなど、ドバイらしい「No.1」を達成したといえるでしょう。

UAEとクウェートが6年ぶりにイランに大使を再派遣
 8月、UAEとクウェートがテヘランに大使を再派遣することを決定しました。2016年1月にサウジアラビアがシーア派指導者らの処刑を行ったことに抗議して、市民がサウジアラビアの在イランの外交施設襲撃したため、サウジアラビアやバハレーンはイランと断交しました。UAEとクウェートは大使を召還していました。重大ニュースというほどではないかもしれませんが、イランにとって数少ない域内での明るいニュースでした。

イラクでシーア派民兵が武力衝突
 1年におよぶイラクの組閣交渉の途中で、8月末にバグダード中心部でサドル派を含むシーア派政党間で短期間、民兵同士の武力衝突が発生しました。イラクでは政党間の権力争いによって組閣交渉が長引くことは恒例化していますが、それが武力衝突に転じることは稀であり、政界の不安定さを印象づけたといえます。

OPECプラスvsアメリカ
 ロシアのウクライナ侵攻以降、アメリカからの再三の追加増産要請にもかかわらずOPECプラスは緩やかな増産ペースを維持しました。7月のバイデン大統領のサウジアラビア訪問に応えるかたちで日量10万バレルの増産を決定しましたが、わずか2か月後の10月には日量200万バレルの大幅減産に転じ、米国はこれを非難しました。米国としてはメンツをつぶされたかっこうでもあり、親米のはずのサウジアラビアの米国との関係が微妙になっていることをあらためて印象づけました。

エジプトでCOP27開催
 昨年のCOP26が開催地英国の意向も反映して気候変動対策に前のめり(?)になっていたのに対し、今年のCOP27は「損失と損害」基金が設立されたり、「すべての化石燃料の段階的削減」が合意に盛り込まれなかったりと、昨年より発展途上国や産油国の意見が通った印象があります。開催国エジプトの意向が通った側面もあったのではと思っています。来年のCOP28は、大産油国UAEでの開催となります。産油国・産ガス国の意向がどの程度、反映されるかも注目していいでしょう。

アルカイダ指導者殺害
 8月1日にバイデン米大統領は国際テロ組織アルカイダの指導者、アイマン・ザワーヒリーをアフガニスタンの首都カーブル中心部で殺害したと発表しました。オサマ・ビン・ラーディンに次ぐナンバー2としてアルカイダを支えたイデオローグの死は、アルカイダの退潮を印象づけているといえます。ただし、アルカイダは、そしてターリバーンも、いまだにザワーヒリーの死を認めておらず、年末には立て続けにザワーヒリーのものとされるビデオ講話を公開しています(ザワーヒリーは音声と静止画のみの登場ですが)。ターリバーンからみれば、カーブル中心部にあるターリバーン幹部の家にザワーヒリーがいたことを認めることもできませんので、アルカイダとしても、少なくともカーブルで死んだということは当面、認められないでしょう。

相次ぐIS指導者の殺害
 2月2日に国際テロ組織イスラーム国(IS)の第2代指導者アブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーが米軍の作戦によって殺害され、10月中旬には第3代指導者アブルハサン・ハーシミー・クラシーが自由シリア軍との戦闘で死亡したとされています。初代指導者アブー・バクル・バグダーディーは2013年から2019年まで6年間以上にわたって指導者を務めていましたが、第2代は3年間、第3代は7ヶ月余りでその座を退く結果となったわけです。しかも、2代目、3代目はまったく表に出てこないまま、死亡が発表されました。ISのイラクやシリアにおけるテロ活動はかなり沈静化してきましたが、アフリカではいぜん活発な活動をしています。第4代カリフとしてアブルフセイン・フセイニー・クラシーが選ばれ、IS各支部から忠誠の誓いが行われていますが、彼もまだ一度も顔を出していません。

カタルでサッカー・ワールドカップ開催
 アラブ・イスラーム世界で初開催となるワールドカップがカタルで開幕されました。全64試合が行われ、アルゼンチン代表が36年ぶりに優勝。開催国のカタル代表はグループリーグ全敗、日本代表はベスト16位に終わりましたが、アラブ・イスラーム・アフリカの国であるモロッコがベスト4に残るなど、大活躍を見せ、アラブ地域ではアラブ民族主義が高まりました。他方、西側諸国からは外国人労働者や性的少数者に対する人権問題についてカタルを批判する声が多数出てきました。

UAEでムハンマド・ビン・ザーイド政権が誕生
 
5月にUAEのハリーファ大統領が逝去し、UAEの「事実上の指導者」として振舞っていたムハンマド・アブダビ皇太子が新UAE大統領に就任、同時にアブダビ首長に即位しました。従来の強硬な外交姿勢を転換し、UAEの経済成長を目指す姿勢を強く打ち出しています。

イラン全土で反政府抗議デモ
 イランでは9月にクルド系の若い女性がヘジャーブの被りかたが悪いとして、風紀警察に拘束されている最中に亡くなるという事件がありました。これをきっかけにイラン全土で政府に対する抗議デモが勃発、3か月たった現在でもつづいています。この間、当局は抗議デモに対して強硬姿勢を崩さず、多数のデモ参加者が逮捕され、さらに死刑判決も下され、実際に2人が処刑されました。欧米を中心にイランの人権侵害を非難し、新たな制裁を科す動きが活発化しています。
 死亡した女性がクルド人だったことから、イラン当局によるクルド地域への締めつけも強まり、さらにトルコも、トルコがテロ組織と見なすクルディスタン労働者党PKKへの軍事攻撃を強化、イラクやシリアのクルド地域に対するイランやトルコからの圧力が拡大しています。

バイデン大統領と習近平国家主席のサウジアラビア訪問
 7月にバイデン大統領が、12月には習近平主席がサウジアラビアを訪問しました。上でも紹介したとおり、バイデン大統領の訪問では、サウジアラビアはつれない態度を示したのに対し、習主席の訪問では大歓迎したとされ、サウジアラビアの米国離れ、中国への接近が顕著になったとの分析が出てきました。とはいえ、中国が対イランでサウジアラビアを全面的に支援してくれるわけでもなく、やはり安全保障面では米国は重要な同盟国でありつづけると考えられます。
 逆に習近平のサウジアラビア訪問ではイランも、中国がイランからサウジアラビアにシフトするのではないかとの焦っているように感じました。
 さらにムハンマド皇太子が首相に任命され(サウジアラビアでは国王が首相となるのが一般的)、さらに権力固めを行ったといっていいでしょう。その皇太子はエジプトでのCOP27、インドネシアでのG20サミットというように積極的に外交活動を展開、インドネシアからは韓国、タイ、そしてカタルを訪問して、多くの合意を結びました。タイのあとに日本を訪問する方向で交渉が行われていましたが、訪日実現は至りませんでした。プロトコール上で合意できなかったのが訪日中止の原因だとされていますが、真相はわかりません(なお、日本側の公式見解では、そもそも訪日自体が決定していたわけではないので、訪日キャンセルということではない、となっています)。

(中東研究センター)


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