2017年7月の記事一覧
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その八)独居監にて
今日も座す独房の
うすぐらき蓆の上。
ぢつと座る心の
ふるへる暗い顔。
眠くはあらねどうつらうつら、
たより無さに身体(からだ)の
どこか知らず無くなるやうに。
次第にふかい底へ
座りながらおちゆく心、
それもつひに支ふる能はず。
しづかな日は房外に照り輝けども、
追ひまくられるやうな
おちつかぬ心が続きて。
ただひとり笑ふやうな顔、
泣くやうな真似をして
あきあきしたる長き日を紛らす。
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その七)弁当
五器口よりさし入れし弁当を
蓆の上にてむくりむくり。
ボロボロの引割麦の
一盛りの飯と菜葉(なつぱ)の副食物(おかづ)。
弁当はいつしか美味(うま)くなれり。
むさぼり食べるやうになりたり。
その飯に赤き夕日が照りて
囚人にふさはしきわがくらき顔。
何故か長く獄にあれば
檻の獣に似てゆく心地す。
底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その六)暗室
暗室の中に囚人の
うう、ううとうめく声。
何ものか咽喉(のど)をしめるやうに
うう、ううとうめく声の
次第におちてゆく暗い底。
長き鎖につながれて
ぢつと座れる心が
室ぢゆうをうろうろしながら。
夜―昼―夜のいつも変らぬ暗さに、
とぢこめられて飽き飽きせし後(のち)
次第にあせりはじめ、狂ひ出す。
縫ひつけられし物のやうに
うごかざる身体(からだ)の重さと弛(だ)るさ。
身体(からだ)に
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その五)眠くなき夜
青ざめし蒲団を二つに折り
その中にそつと入りて臥す。
なにものかに追はれて
にげ場をうしなひし心の
うごけずなりしやうに臥す―
ぢつと臥す、その床下より
蟋蟀(こほろぎ)の啼く声きこゆ、
囚人のくらい心を
たづねてくる悲しき声―
その声をいつまでも聞き居れば
蒲団の上に臥せる心が
くらき層を下へ下へ。
ふと目をあけて見たくなりし
われ(前二字傍点)と言ふものもわからず。
つかれて居れど眠
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その四)赤き夕の悲哀
監獄の赤き夕日、
だんだらの
赤き光が喘ぐ。
監房のくらき窓をてらす
ゆふ雲のおりて来る心の上(うへ)。
誰れも居らぬ広い庭の
白き砂の上に
おちたる入日の影を敷く。
山櫨のあをき繁りのなかには
やがて眼の見えずなる雀が
あまりに赤きゆふ日の方を向いて。
幾棟もつづきし監房の
どこからともなく深き底より
狂へる囚人の、ふと、笑ふこゑ―
長き間、獄の中にあれば
いつも夕のかなしくなりて
泣
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その三)眠れる蜘蛛
しづかなる監房の中(なか)、
天井の蜘蛛は動かず。
くらき蓆の上に座す、
うなだれし頭のおもさが
頸のまはりに、鉛のやうに―
天井の蜘蛛はうごかず、
その湾(かぎ)のある足が
くらい心にしがみつく。
ものをおもふ、あやしき悲しさが
五器口を出(で)たり、入つたり
おちつかぬ蓆の上。
つかれし身体(からだ)と重き心の
やり場なさにぢつと座す。
天井の蜘蛛はうごかず、
くらい心の上に
眠れる
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その二)盲目囚人
何の悪事をなせしか知らねども
二畳敷ばかりの室(へや)の
くらい蓆の上に
けふも座して手探りに網をすく。
ここをわが家とおもひ馴れ、
強ゐられし仕事に馴れし悲しさ。
何も見えぬ悲しさに、
盲(めし)ひし眼の縁を
見開かんとあせりうごかす。
八月の暑さに屋根裏の
蜜蜂の巣のけだるきうなり、
ねぶたさをみちびく声。
山櫨の葉のつかれて下りし
ちからなき緑のかげの弛(だる)さ。
白きぬけがらの
加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その一)朝の自由散歩
監房をとりまく赤い煉瓦壁、
にげられぬやうにとりまく高い壁。
監房を出づ、その壁のまはりを
隠亡のやうに
くらい顔を振りつつ歩く。
外へいづれば、あをき空のぬくもりに
すはれたく、はたのび上がりたく
かすかに躍る心。
よき薫りのする青葉の繁りが
影のみのやうな心を
ぢつと覆ひて。
白き砂のうへに
どこからともなきうすき光が
わがほそ長き身体(からだ)のかげをうつす―
われともおもへぬそれ