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加藤介春『獄中哀歌』

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2017年7月の記事一覧

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十三)延びたる爪

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十三)延びたる爪

いやらしき延びたる爪、
指のさきに何かつきしやうに
いやらしき延びたる爪。

十本の指の爪、
いつの間にかそのさきがおなじやうに
延びたる爪。

爪をとる刃物のなければ
ひそかに壁の下にしのびゆき、
小供等のあそびごとのやうに
煉瓦の赤きおもてにてすりへらす。

あやしき音が壁におこれり―
壁のおもてと爪の先とが独言くごとき
かすかなる不思議の音がおこれり。

それをきけば獄の中のくらき心を
すり

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十二)たたずめる花

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十二)たたずめる花

監房をとりまく煉瓦壁の片すみに
名もしらぬ草が仄かな花をつけたり。

おづおづとあらはれし青き芽が
次第にふとりて小さき花を一つ。

看守等の眼にも触れず赤き花を
こつそり一つ、獄のなかの
心が向ふにうつりしやうにつけたり。

やうやく咲きしほのかな赤き花、
紅皿のなかより抜けいでしやうな花。

その花とわが心とが
何かしらず問答す、互におなじ事を
おもへるやうにぢつと向きあひて。

また、ぢつと

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十一)降り来る煤

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十一)降り来る煤

器械場の細長き煙突が
さしあげし腕のやうに立ちて
光らぬ煙をむくむくと噴(ふ)き出(いだ)す。

煙は空に幕の如とくたなびきて
うかべる黒き煤が下へ、下へ、監房へ。

監房のすぐまへに山櫨の繁りあれども
その青き葉かげは心に届かず、
心の覆ひとならず。

裸体(はだか)にされしやうな心へ、
ふわりふわりと浮びて
あそびながらふりくる黒き煤。

その黒き煤の沁み入るをみつめながら、
掃はんともせずな

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十)弱き心

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その十)弱き心

看守に媚びんとせし厭やな心の
われにありしを今尚忘れず。

看守に媚びんとせし厭やなほほゑみを
もらせしことを今尚忘れず。

監房のまへに看守が来れば
おどろきてつと引き直る心。

何かわれに言はんとするを
ぢつと待てるおちつかぬ心。

看守と眼を見あはすれば
にげるやうにその眼を外(そら)す。

何かしら許してもらひたしと
甘へる犬のごとくうなだれながら。

われしらずふとこころにも無く
されど

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その九)鳴る鍵の束

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その九)鳴る鍵の束

ふと眼をさましぬ、夜のくらき監房に
すやすやと眠れる心の方へ
鳴りながら来る鍵の束。

監房の方へ夜警看守の
腰につけし鍵の束、
その鍵が歩くごとに磨れあうて鳴りながら。

ふと、ぬけがらのやうな身体(からだ)の
わが寝姿をのぞき見らるるけはひに
臥せる心がふるへ出す。

シーンと鳴る深き夜の静けさに
われはわが眠たげたる息の
次第に滅入るかすかな音を聞く。

ふと眼覚めたる心の上には
臥せるわが

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その八)独居監にて

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その八)独居監にて

今日も座す独房の
うすぐらき蓆の上。

ぢつと座る心の
ふるへる暗い顔。

眠くはあらねどうつらうつら、
たより無さに身体(からだ)の
どこか知らず無くなるやうに。

次第にふかい底へ
座りながらおちゆく心、
それもつひに支ふる能はず。

しづかな日は房外に照り輝けども、
追ひまくられるやうな
おちつかぬ心が続きて。

ただひとり笑ふやうな顔、
泣くやうな真似をして
あきあきしたる長き日を紛らす。

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その七)弁当

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その七)弁当

五器口よりさし入れし弁当を
蓆の上にてむくりむくり。

ボロボロの引割麦の
一盛りの飯と菜葉(なつぱ)の副食物(おかづ)。

弁当はいつしか美味(うま)くなれり。
むさぼり食べるやうになりたり。

その飯に赤き夕日が照りて
囚人にふさはしきわがくらき顔。

何故か長く獄にあれば
檻の獣に似てゆく心地す。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その六)暗室

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その六)暗室

暗室の中に囚人の
うう、ううとうめく声。

何ものか咽喉(のど)をしめるやうに
うう、ううとうめく声の
次第におちてゆく暗い底。

長き鎖につながれて
ぢつと座れる心が
室ぢゆうをうろうろしながら。

夜―昼―夜のいつも変らぬ暗さに、
とぢこめられて飽き飽きせし後(のち)
次第にあせりはじめ、狂ひ出す。

縫ひつけられし物のやうに
うごかざる身体(からだ)の重さと弛(だ)るさ。

身体(からだ)に

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その五)眠くなき夜

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その五)眠くなき夜

青ざめし蒲団を二つに折り
その中にそつと入りて臥す。

なにものかに追はれて
にげ場をうしなひし心の
うごけずなりしやうに臥す―

ぢつと臥す、その床下より
蟋蟀(こほろぎ)の啼く声きこゆ、
囚人のくらい心を
たづねてくる悲しき声―

その声をいつまでも聞き居れば
蒲団の上に臥せる心が
くらき層を下へ下へ。

ふと目をあけて見たくなりし
われ(前二字傍点)と言ふものもわからず。

つかれて居れど眠

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その四)赤き夕の悲哀

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その四)赤き夕の悲哀

監獄の赤き夕日、
だんだらの
赤き光が喘ぐ。

監房のくらき窓をてらす
ゆふ雲のおりて来る心の上(うへ)。

誰れも居らぬ広い庭の
白き砂の上に
おちたる入日の影を敷く。

山櫨のあをき繁りのなかには
やがて眼の見えずなる雀が
あまりに赤きゆふ日の方を向いて。

幾棟もつづきし監房の
どこからともなく深き底より
狂へる囚人の、ふと、笑ふこゑ―

長き間、獄の中にあれば
いつも夕のかなしくなりて

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その三)眠れる蜘蛛

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その三)眠れる蜘蛛

しづかなる監房の中(なか)、
天井の蜘蛛は動かず。

くらき蓆の上に座す、
うなだれし頭のおもさが
頸のまはりに、鉛のやうに―

天井の蜘蛛はうごかず、
その湾(かぎ)のある足が
くらい心にしがみつく。

ものをおもふ、あやしき悲しさが
五器口を出(で)たり、入つたり
おちつかぬ蓆の上。

つかれし身体(からだ)と重き心の
やり場なさにぢつと座す。

天井の蜘蛛はうごかず、
くらい心の上に
眠れる

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その二)盲目囚人

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その二)盲目囚人

何の悪事をなせしか知らねども
二畳敷ばかりの室(へや)の
くらい蓆の上に
けふも座して手探りに網をすく。

ここをわが家とおもひ馴れ、
強ゐられし仕事に馴れし悲しさ。

何も見えぬ悲しさに、
盲(めし)ひし眼の縁を
見開かんとあせりうごかす。

八月の暑さに屋根裏の
蜜蜂の巣のけだるきうなり、
ねぶたさをみちびく声。

山櫨の葉のつかれて下りし
ちからなき緑のかげの弛(だる)さ。

白きぬけがらの

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その一)朝の自由散歩

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(その一)朝の自由散歩

監房をとりまく赤い煉瓦壁、
にげられぬやうにとりまく高い壁。

監房を出づ、その壁のまはりを
隠亡のやうに
くらい顔を振りつつ歩く。

外へいづれば、あをき空のぬくもりに
すはれたく、はたのび上がりたく
かすかに躍る心。

よき薫りのする青葉の繁りが
影のみのやうな心を
ぢつと覆ひて。

白き砂のうへに
どこからともなきうすき光が
わがほそ長き身体(からだ)のかげをうつす―

われともおもへぬそれ

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加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(序)蜜蜂の王

加藤介春著『獄中哀歌』獄中哀歌(序)蜜蜂の王

かがやく蜜の層のただれる暑さに
くるしげに身を廻(ま)はしうめく蜜蜂。

気もとほし、次第に滅(め)入(い)りゆく
蜂のその長いうめきは
ねぶたさを一すぢに引くやうに。

蜜蜂の巣の中の
慄へる蜜の溶くる
そのだるさ―その音の
身体(からだ)を何かながれるやうに。

くるへる蜂のかがやくかたまり、
その中に大きな霊魂の
座(ざ)し居(お)るやうにひかりて。

飽き飽きしたる獄の長き一(ひと)日(ひ

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