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「自分を大切にする」ということ。

わが家の月曜日は忙しい。17時からは次男の水泳教室が始まり、その後は長女のバレーボール(これは本人が自分で行くのだが)、18:45には長男のサッカー練習が続く。特に夫が出張で不在のこの2週間、送迎を一人でこなすのは結構大変です、はい。

そんな慌ただしいいつもの月曜、(長男のサッカーがお休みだったらなあ)と思いつつ、次男の水泳教室へと自転車を走らせた。水泳の授業自体は30分で、着替えを含めてもほぼ45分、よって家に戻る暇もない。だから、いつもその間はプールがある市民公園で散歩をして時間を潰す。

その日は、普段一緒に歩いて待つ友達のお父さんが体調を崩し、代わりに来ていたお母さんと一緒に散歩した。彼女はバイオリニストで、頻繁にツアーに出かけているんだけど、そのツアー先で危うく事故に巻き込まれそうになり、その後受けたボディセラピーの体験を話してくれた。

そのセラピーは、名前は忘れちゃったけど、”マッサージ”とは全く異なりほとんど体に触れない施術だったのに、身体だけでなく心の緊張までほぐれて、瀬術中に涙が溢れてきてしまったんだそうな。彼女は驚いて、「これはどういうことでしょう?」とセラピストに聞いたら、「あなたがそれだけ頑張りすぎている、というサインです。もっと自分を大切にしなければならない」と言われたそうだ。

でも、彼女からすれば「ここまで、その”自分を大切にする”ことができないからこうなっている訳で、どうしたら自分を大切にできるのか分からない」と打ち明けたらしい。その彼女の問いに対してセラピストがくれた助言といのが、非常に具体的かつシンプルで、「何をするにも時間を2倍かけなさい。ー 食事を10分で食べているなら、20分。20分で歩く道なら、40分かけて歩きなさい」というものだったそうな。彼女はそれを実践中で、既にその変化を感じている、と教えてくれた。時間をかけることで、見落としていたものが見えてきたり、自分の感度がまして、人生への愛おしさが増すのを感じる、みたいな事を言っていた。

その話しを聞いて、昔、どこかで「共に時間を過ごすということは、最大の”ギフト”だ」と読んだか、聞いたかしたのを思い出した。とすれば、2倍の時間を使うということは、自分にそれったけ贈り物をしているのと同じってことになる。

私もこのセラピストの的確なアドバイスに深く共感して、さっそく別の友人にも話したところ、彼女も同じように「なるほど」と納得していた。でも、その友達は納得しつつも、「確かにその通りなんだけど、2倍の時間を確保するためには、何かを諦めないと無理だよね。その何かを切り捨てるのが難しいんじゃないかな」と、つぶやいた。

これまた、全くもってその通りで、私たちはしばしば、何かを手放すことに躊躇してしまう。「無駄にしたくない」とか「効率的に進めたい」という思いから、心がもうないことに時間を費やしてしまったり、やることがその所為で増えていくばかり・・みたいなことって、多くの人が経験することだと思う。

これに加えて、将来への不安も私たちの選択に大きな影響を与えてくる。将来に備えることへの心配が、不必要にやることを増やしてしまい、結果として「今」を蔑ろにしてしまう。将来への不安に駆られて過剰に準備や計画を立て、その過程で実際には大切な「今」を生きることをついつい忘れがち。でも、これでは結局、人生を無駄に浪費してしまうんじゃないか。けれど、将来に備えること、後先を考えられることは賢さの証で、ロジカルな生き方と習って私たちは育ってきてるから、これを断ち切るのは大人になる程益々難しくなる。

本当はサンクコストに囚われずに、もっと軽やかにあっけらかんと生きてった方がいいんだと思う。心配や不安で自分を駆り立てないで、ワクワクを力に生きていきたい、と、私自身はここ最近になって強く思うようになっているし、それが巡り巡って「自分を大切にする」ってことに繋がるってことなんだろうと思った。

プールの後、雨の中に長男のサッカー練習の送迎へ行って疲れたけど、いい月曜日だった。

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