見出し画像

NEW ME_函館夏旅!

函館。
はるばる来たぜ函館ぇ〜

はるばるどころか今や新幹線でもつながってる。
4時間ちょいよ。
飛行機でも1時間20分よ〜
近い!

この夏、ご縁あって函館に参りました。

函館はなんと❗️2011年振り。


震災直後の2011年3月21日にライブを行ってから、ほんとぉ〜に久々の旅。

11年かぁ。

震災後のライブの時は、なかなか気持ちが落ち着かず、なんとかツアーを続けている中、精神的に無理をしていたのか函館のライブの時はあふれる思いを抑え切れず涙しながら歌ったのですごく覚えてます。
涙の意味は…説明がむずかしいのですが、大災害の前に歌を歌うことの無力感からかな。

函館はライブで過去2回行ってますが、今回はじっくり街を観光できる!ということでワクワク。

出発日は青森旅と同様、東北、北海道に前線が停滞。
心配…
追い打ちをかけるように西からは台風8号がやってくる!
そんな状況で出かけましたが、なんと、2日目からは奇跡的に快晴が続きお天気は良好の旅でした。
ただ帰る時にちょうど台風が関東直撃だったので、急遽、飛行機を新幹線にチェンジして帰ることに。
少しだけど函館滞在時間も伸びてラッキー!
函館から新幹線での戻りは初めて。
途中眠ったのであっという間。
台風の影響も受けませんでした。

旅立つ時は東京は猛暑!暑い!
函館に近づくと雲がモクモク〜
到着!涼しい〜
到着日は計画していたBBQが大雨で出来なかったので
近所に買い出しに行き
キッチンでみんなで食事を作り、
友人たちと語らいながらワインを飲んでのんびり。
函館で見つけたミネラルウォーター
パッケージが可愛すぎる💕


この旅のきっかけは、遡ること昨年10月のことでございました。

ひょんなことから、この函館の旧函館区公会堂の存在を知りました。
絶対、PERSONZの雰囲気と、これからやる歴史的建築物ツアーにぴったり!とおっしゃってくれた方がいたのですよ。

そこから時を経て、この夏、その公会堂推薦者の方もご一緒に、視察も兼ねてプライベートの旅をしてみようかと相成りまして、ついに実現いたしました!

まずは旧公会堂を知る!

旧函館区公会堂

旧函館区公会堂は、明治40年(1907)8月の大火により、町会所・商業会議所が焼失してしまったため、住民の集会所・商業会議所の事務所として明治43年(1910)9月に竣工されました。この時、住民有志による「公会堂建設協議会」が発足されますが、大火後であったこともあり、寄付金が当時の金額で数千円しか集まりませんでした。

そこで、当時の豪商「相馬哲平」氏へ相談をした結果、5万円の寄付があり、約5万8千円で建築することができました。

旧函館区公会堂HPより
公会堂の中のショートムービー
わかりやすい6分のムービー
おぉおお、億単位!なり!〜と思わず指差す私
58,000から50,000をポンっと出した方〜
どなたかなぁ〜????

豪商「相馬哲平」氏


この5万円をポンっとお出しになった方が、豪商「相馬哲平」氏。
相馬さんは新潟の方だったとのこと。
当時の5万円は現在のお金でいうと10億円!ふとっぱら!
過ぎるぅ….

相馬哲平氏なり
新潟のしょらぁ〜
新潟から函館に〜来たんよ〜

相馬哲平氏は商機を見出す才覚を持ち、篤志家として生きた努力の人。
函館に渡ったときは28歳。まずは同郷出身者で既に函館で商売をしていた岩船屋春蔵宅の奉公人(住み込み労働)となりました。

仕事から解放され遊びに行く同僚とは違い、夜は春蔵氏の許可を得て自分で考えて行商を行うという働きぶりでした。そして岩船屋からのお給金と行商の儲けをすべて貯金し、函館に渡ってから足掛け3年というスピードで、米穀商を開業し独立。

その後、明治元(1868)年に勃発した箱館戦争に商機を見出し、全財産を投じ、逃げ惑う市民から米を買い、戦後の米価高騰により巨万の富を手にしました。哲平の生涯の中で唯一行った命運をかけた大勝負でした。
その後、ニシン漁の投資と海陸物産商に転身し、北海道随一の豪商へ。着実に商機を見出す才覚には目を見張るものがあります。

もともと受けた恩を忘れず、神仏を敬い、郷土報恩の精神を持つ哲平は、晩年になると篤志家として函館の公共事業等に積極的に寄付を行い、生涯の幕を閉じるまで続けられました。函館に多大な恩恵をもたらした初代 相馬哲平は、自身の経験から導き出した教訓を基に6か条の家訓を残し、この家訓は、2代目以降の相馬哲平に受け継がれました。 

一、神仏を崇敬すること
一、勤倹を守り、贅沢をせぬこと
一、家業を大切にすること
一、借金をせぬこと
一、投機に手をださぬこと
一、政治に関係せぬこと

旧相馬家住宅HPより

家訓が実に素晴らしい。

ショートムービーで
夏休みのお勉強致しましたぁよぉ!

旧函館区公会堂の歴史から函館の建築物へ

旧函館区公会堂を実際訪れて、見て、歩いて、建物を肌で感じて、館内のショートムービーを観たことで、更に興味が湧き、この最強の助っ人、豪商「相馬哲平」氏を知り、この方の存在を紐解いていくと素晴らしい。

相馬さんはすごいパワーと才覚の持ち主だったのですね。

何度か路面電車で通りかかったペパーミントグリーン色の洋館。

路面電車から撮りましたぁ!

まだ偶然通りかかった時には、歴史を知らなくて何気に見かけた素敵な洋館だったのですが、市電から見た「相馬株式会社」の文字!を覚えていました。

おぉ!なんと、ここが相馬哲平氏の開業した会社だったんですね〜。
(この現役の社屋は、1916(大正5)年に完成したものです)

函館は今回初めてプライベートで観光したんですが、このペパーミントグリーン色の洋館「相馬株式会社」のように街中の建物が兎に角!!!!
素晴らしい!!!!

あちこちに歴史的建造物があふれてる。
それも皆、個性が違う建物。

これも
あれも
ここも
すてき
しっかりした建物

街中にはかなり変わった建物もあって、1階が和風、2階が洋館という構造も多く、和洋折衷なルックスが多いのに驚きました。
その他に蔵や純日本家屋もあり、それぞれに個性豊か。

私たちが今回函館で宿泊したお宿は2軒なんですが、その中のメインの1軒も元は蔵。古い建物を完全にリノベーションしていて、太い梁を残しながら内装は最高に現代的なクールさ。キッチンやバスルームも最新式。天井も高く広々とした空間。空気感もいい。大好きなおうちでしたよぉ。宿泊先のお写真は後半でご紹介しますね〜

さて、ここで、急に話は青森まで戻りますが….

先に見た、青森旅の旧弘前偕行社も歴史的なお話を聞きながら見学したのですが、こちらは日本陸軍第八師団に勤務する将校の親睦・互助・研究のための施設として明治40年(1907)に建てられた歴史があり、ホームページによると、下記の説明がありました。

旧弘前偕行社とは

旧弘前偕行社

社名の「偕行」とは、詩経に収められている漢詩「修我甲兵 興子偕行」に由来します。 
偕行社は、陸軍創設まもない明治10年(1877)、 陸軍将校の親睦・互助・学術研究の集会所(将校倶楽部)として、 東京偕行社が設立されたことが始まりで、国内外各地の師団司令部所在地に拡充されていきます。 
将校准士官等による親睦、「偕行社記事」の刊行、戦争犠牲者等の救済などが主な活動であり、 会員の会費によって運営されていました。 
このほか、将校准士官等の軍装備品(軍服、拳銃、脚絆等)や行事記念品などの製作や物販もしており、大阪や広島では附属の小中学校の経営がされていました。 
最大で国内58ケ所、海外8ケ所にあった偕行社は、 現在国内6棟、台湾に1棟の建物が現存されています。

旧弘前偕行社HPより

旧函館区公会堂は明治43年(1910)完成。
こちらは街のシンボル。皇室も宿泊なさった公会堂。

旧弘前偕行社は明治40年(1907)完成。
こちらは陸軍将校たちの集会所。華やかな社交場。

旧弘前偕行社は平成25年(2013)から令和元年(2019)まで行われた保存修理工事で今の復活を遂げたそうです。

もちろん建てられた時も相当な財力と技術があってのことだったでしょうが、ガイドさんのお話では、この保存修理にも数億という相当な費用がかかったそうです。でもね、それまではシャッターが閉められていたり、いわゆる手付かずの状態だった時があったのだそうです。
修復して復活。よかったですね〜

偕行社にて
このホール横の廊下に
修復の記録が飾られています


歴史的建造物とは何か…


このように函館の旧函館区公会堂や、青森の旧弘前偕行社、そしてすでにライブをした佐賀の旧古賀銀行の浪漫座、博多の百年蔵。

長い月日を経て現役の建物たち。

歴史的建造物。
残していくことは大切。
歴史を知る意味でも古き時代の建物を守ることはとても大切と思います。
日本は戦争や災害で失った建物も多いので、今残っている歴史的建造物は数々の危機から逃れて奇跡的にそこに存在しているわけです。

二度とない素材や技術、当時の息吹を感じられる建造物は、全て手厚いメンテナンスによって現存しています。
それにはもちろんかなりの費用もかかる。

でも、維持していくことで日本の心の奥底にある、本当の意味での無形の財産を守っているのではないかと、各地の建造物を見て私は思うようになりました。


建造物と重なる私たちの活動

それと重なるのが、私たちの活動。
もちろん歴史的建造物の年月の足元にも及ばないけど、私たちもバンドを持続していく部分においては、いろいろと同じような側面があるように思えるのです。

同じメンバーとバンド活動をやってきて、2年後には40周年ですよ。
昭和、平成、令和と生き抜いてきたわけです。
時流に乗ってとんとん拍子にデビューした時もあったし、少し時が経てば自流が遠のいて活動がかなり厳しい時もありました。
それでもなんとかケアとメンテをしながら、再度、磨きをかけて立ち上がった時もある。

そんな時間、すべてが今やPERSONZの財産なのです。

考えてみれば、デビューして数年で消えてしまうミュージシャンもいる。今、若さの頂点にいて、自流真っ只中の新たなミュージシャンたちも進み始めた道から月日が経てば、きっとその先は紆余曲折いろいろあるでしょう。

私たちはそんな時代を38年バンドで生きてきた。
だからこそ、その歴史の重みに恥じない演奏をいつも出来なくちゃいけないし、絶対しなくちゃいけないと思っています。

そこで生まれた企画。

『今まで見たことのない場所でPERSONZの音を聴いて貰おう』

そう考えたら、私たちより長い歴史をつないできた場所や、かつていろいろな音が鳴り響いていた場所や、もしくはまだ歴史は浅いとはいえ、これからそうなるのではという場所が日本にはたくさんあったのです。

そんな場所に飛び込んでみたいと思いました。
今まで38年間ライブをして来たライブハウスやコンサートホールという日常ではない場所。

じゃ、トライしよう!
GO AHEAD NOW!!!!!

歴史的建造物?

では、歴史的建造物ってなに?
なんなのでしょう。

はい、意義は下記に。

(基本的な考え方)
歴史的建造物とは、機能・用途・技術・意匠・設計思想などにおいて特徴があり、その存在が貴重である建築物、土木構造物及びその他の工作物をいう。一般的な建造物で時間を経過しただけのものは除く。
年代的には、建設後の年数が50年を経過したものをいう。景観上の価値を確定するには、一定の時間の経過が必要であり、当面の目安として50年とする。ただし、50年を経過していなくとも、景観上の価値が特に高いものについては選定することができる。

大田区文化財用語解説から

歴史的建造物は土地の財産

長い時間、その地域の景観の一部として存在してきた歴史的建造物は、その時の経過と共に、多くの地域住民に共通した思い出や価値観を与え、その人格形成にも多大な影響力を与えている。

なるほど。

生活の中に根付いた古き時代の建築物が、そこに生きている方たちにとっては無意識だけど、その場所にしかない原風景にもなりるわけですね。

PERSONZ【ARE YOU EXPERIENCED?】

全国各地、たくさんの特色のある建物が今尚、保存されています。
ご当地のここ!という場所も各地、自然に毎日の生活の中で佇んでいるでしょう。

そんな皆さんの心の原風景の場所でPERSONZの音を奏でてみたい。
きっと素敵だろうなぁ。

それが私たちの今回の
【ARE YOU EXPERIENCED?】 PERSONZ neo ACOUSTIC SESSION
の根底にあります。

出来れば歴史的建造物への感謝の意味も込めて、収益の一部を寄付ということも考えております。
歴史的建造物のメンテナンスには費用がかかる。
そして歴史的建造物は決して、飾り物であってはならず、出来ればいつまでも人の往来があり、活気がある場所で現存していてほしいという願いも込めて【ARE YOU EXPERIENCED?】で、全国の愛着のある、その土地のアイコンでもある歴史的建造物でライブをしたいと思います。

歴史的建造物でライブを!という企画。
そう考えて動き出そうとした時にネックになったこともあります。
ロックバンドという肩書きが道を阻むこともあるのです。

ロックバンドという肩書きが道を阻む

ロック、イコール、音が大きい、お客さんが騒ぐ、という画一的なイメージが先行して、歴史的建築物や芸術的な場所、文化財など、壊される!という懸念からか、なかなか許可がおりないこともあります。

そんなことはない!ということはPERSONZのリスナーさんはご存じですよね。

ロックバンドはダメ!というイメージを払拭するためにも、私たちはnoe acousticという編成を考えました。
これでロックの悪いイメージを拭い去り、理解が深まることを願います。

40周年まであと2年。

その中でまだ行ったことのない場所でもたくさんライブをしてみたい。
そんな純粋な思いから生まれた企画です。

通常のYEAH!YEAH!ライブもまだ声を出すことが許されていません。
この2年の間にそれも変わっていくと思いますが、いつも同じスタンスではなく、私たちサイドにも幾つもの表現があっていいと思います。

YEAH!YEAH!ライブもあり、noe acousticもあり、RELOAD、GREATEST SONGSという表現もあります。

盛りだくさんのアイテムで40周年に臨むため、2022年、2023年は、まだまだアルバムの中でたくさん眠っているPERSONZの楽曲300曲以上曲を目覚めさせながら、いろいろな場所で演奏を続けていきます!もちろん定番曲もバリバリですよ〜

皆々様には、是非、PERSONZの新たなチャレンジへの応援をよろしくお願い致します。

いろいろな思い出が詰まった函館の思い出の写真は下記から


青森もそうでしたが、地元の方との出会いとご縁で数百倍楽しくなった旅でした。まだまだ各地、ご縁を引き続き繋げていきたいと思います。

クラシカルな建物、宿泊先、その1
これがまたスゴイ歴史的建造物だったんです〜

ここから先は

2,584字 / 124画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?