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声仏事を成す。

こんにちは。
自己分析理論協会の森です。

寒い時期が続きますが、年度末で多忙な時期をなんとか乗り越えましょうね。


たかが言葉と嘯けど されど言葉の摩訶不思議

私たちが受講者の方や自己分析の有用性について説明する際、「キャリアの可視化」や「言語化」という表現をよく用います。

「たしかに大切な事だけれど」という認識はあるようですが、どれくらい大切なことかいまいちピンと来ていない方もおられます。

言語化はキャッチコピーや標語を作るわけではなく、目的や行動の根拠やもたらす結果や妥当性までを言葉にすることが言語化です。

私たちの用いる「言語化」はプログラミング言語の意味合いに近いです。

「何を」「どこからどこまで」「どのように」「どんな指示があった場合」などを具体的に、且つ然るべき言語を用いなければアプリやシステムは動作しません。

申請書類や公的な文書も似たような効力を持っています。

キャリアやビジョンを言語化するという事は、他人への伝達と自分自身の行動をプログラミングする工程なのです。

沈黙は金ではない

人間は他人の言った事やゴシップ記事や根拠のないデータに右往左往して、自分の方向性を社会のどこかに当てはめようと勝手に修正をかけます。

黙っているということは、他人に考えが伝わらないだけでなく、自分の思考をも埋もれさせてしまうのです。

「声仏事を成す」は仏教の用語です。

私は仏教について詳しい知識はありませんが、「仏」とは苦しむ民衆を救うために声を上げて立ち上がり、手を差し伸べる為に走る人間の事を指します。悟りを開いて寝っ転がっている仏像は誰も助けません。

対面して話すことが苦手な方もおられると思いますが、どんな人にも自分自身を動かす言葉が必要です。

自分の道を自分の言葉で切り開いていかれることを当協会は願っています。



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