読む、 #ウェンホリ No.05-03「“変えなくてはいけない”ではなく、“そのままでいい”が大事」
<No.05-02から続く>
雑談のなかに関係性を深めるヒントがある
荻上:そうですよね。僕は30代の中頃にうつ病になって。前半から中頃ですかね? で、その頃からメンタルヘルスのクリニックに通うようになって。それで少し回復してきたぐらいから、心理学の本とかを多く読むようになったんです。というのは今、日本だとカウンセリングに通うのがなかなか難しくて。その適切な方法を使った、確かなカウンセリングって予約がいっぱいで。予約を取る電話の受け付けを始めるのが半年後です、みたいなクリニックもあるんですよ。クリニックというか、カウンセラーの場所ですね。
そうすると、やっぱり自分で本を読めるなら、本でその手法を学びながら自分でやってみるかっていうことで、臨床心理士の方々がお書きになった……伊藤絵美さんとかがお書きになった本とかを読み漁っていたんです。そうすると、基本的な認知行動療法というスタンダードな手法というものを学び、そしていかに自分の認知が自分を傷つける仕方で歪んでいるのか。それをどのような仕方でリフレーミング、つまり違う仕方で語り直すことができるのかっていうことを訓練するようになるわけですよね。
それが自分1人で難しいときは、やっぱりお医者さんとかカウンセラーの方にやってもらう。だけどそれを、たとえばやってくれる友人とか、家族とか、あるいは職場関係者とかがいれば、それでナチュラルにその認知行動療法ができてるっていう方もたぶんいらっしゃると思うんです。本当に最初に概念さんのところに来られる方とか、私のような最初の段階の疾患当事者になった人は、自分が本当に今、救いようのない醜い最低の人だっていうふうに思ってしまって。そこから逃げられないという方は多くいらっしゃいますよね?
星野:そうですね。そこでやっぱり……そこで悪循環というか、つらさの循環みたくなっている人がたくさんいると思います。あ、そうそう。さっきおっしゃった認知行動療法ってまさにその、どう自分の考えとか感情だとか、いろんな体の反応だとかが循環しているとか。どうなってるのかっていうのをまずは自分で眺めてみて。それで、さっきおっしゃったリフレーミングをしてみようだとか、まずは行動してみようってやるわけですけど。
それがやっぱりはじめからできる方ってなかなかいなくて。そこの、それを一緒に考えていくっていうか、一緒にやりながら覚えていってもらうみたいなのがほとんどですね。はい。それは「認知行動療法」って銘打たなくても、やっぱりその自分のストレスに対する感じ方とか、向き合い方がどうなってるのか、みたいなのをちょっと俯瞰して。「ここがちょっとつらさを生んでいるかも」ってなって。「じゃあ、こういうふうに考えてみない?」みたいなやり方は「認知行動療法です」って言わなくても、やっぱりやるもので。そうですね。
荻上:みなさん、自然とやられてる方も……日常会話でみなさん、やられてると思うんですよ。友人との相談とかで。要は、そのストレス源をまず把握をします。で、ストレスに対して誤った考え方を持ちがちなパターンを認識します。それに対して、今すぐできる対処法をどうにかします。で、最終的にはストレス源をどうなくすかっていうことを考える。だからストレス源をなくすためには会社をやめるとか、たとえばその相手と距離を置くとか、そういう社会的な対応が必要になりますけど。心理的な対応としては認知を変えるか、何か行動を起こす。で、行動する際にたとえばお茶を飲むとか、友人と遊びに行くとか、散歩するとか、いろんなレパートリーを増やしていくじゃないですか。
ただ、「このレパートリーを増やすっていうことがそもそもできません」っていう方もいると思うんです。なぜなら、「今までずっと評価され続けてきたから、そのストレスを対処するっていうことを考えたことなかったです」っていう方もいると思うんですけど。こういった方には、概念さんはどういうお話をされますか?
星野:行動を起こすのが難しいっていう人っていうことですか?
荻上:そうですね。たとえば仕事人間で。ずっと仕事で褒められてきて、そこで評価を出すことが喜びだった。あるいは勉強漬けで、勉強でいい点を取って評価されることがよかったんだ。だから他のものはいらないっていう人。ただ、その勉強好きな人が大学に入った。「何かを自由にやってください」って言われたときに「あれ? やることないな」って思う方もいれば、仕事人間だった方がなんらかの理由でその仕事を離れて。「あれ? やることがないな」とか。それこそ、定年退職されて。で、家であとは自由にしてくださいっていうときに「あれ? オフの時間を過ごしたことなかったかも?」っていう方、結構いらっしゃると思うんですけど。これは、どうですか?
星野:それは、「こうする」みたいなHOW TOとかは思いつかないんですけど。でもやっぱりですね、じっくり話す時間を定期的にっていうか、ある程度定期的に共有するってことが大事かなと思っていて。この時間は仕事も勉強もする時間じゃないんだけど……「どんな価値観なんですか?」とか。いきなりそんなことは聞かないですよ。「どんな価値観なんですか?」っていう思いを持ちながら、今までの人生のお話とかをちょっとずつ聞いたりだとか。あとは「僕、こんなのが好きなんですけどどう思います?」とか。僕はですよ。
これはすべての精神科の先生とか、カウンセラーの方がそういうことをしてるかどうかはわかりませんけど。結構僕、雑談のなかにヒントがあるような気はしてて。まず雑談ができるような信頼関係を……信頼をしてもらうように心がけるんですけど。その後、雑談ができるようになると「音楽を聞くっていうけど、どんなのを聞くんですか?」とかいう話をしたりだとか。「僕、結構こういうの、好きです」とかみたいなところまで結構、自己開示じゃないですけど。自分の話もちょっとしながら柔らかくしていくみたいな。
そこから新しい、今まではその人のなかでは価値ではなかったけど、その人ももしかしたら好きかも、みたいなことが見えてくるといいかなとか思います。なんかそんな気持ちを持って。全然ゴールが見えないけど、とにかく関わりを続けるっていうふうにしてみるでしょうね。きっと。
変化ばかり求められる環境は、ときにしんどい
荻上:うんうん。僕も主治医の方がとても自己開示をしてくれる方で。「自己開示」って心理学の言葉ですよね? 自己呈示と自己開示があって、自分の見せたいように自分を出すのが自己呈示で、「あるがままの自分」を出すのが自己開示と呼ばれるけれども。それで先に相手が「ほら、オープンにするよ」っていうふうに見せてくれると、「じゃあこっちもオープンし返そうかな」っていうふうなことを呼んだりするじゃないですか。それが相性がよかったり。
あるいは、「ああ、こんなふうに自己開示ってしていいんだ」と、ある種のそのカミングアウトだったり、自己紹介だったり。そういったような話をしても否定されないし、自分も嫌な気がしないなっていうことを学習する機会って結構、大事だと思うんですけど。そうか。概念さんの場合はご自身がクライアントの方にもそういったことをやる場面もあるんですね。
星野:僕、結構在宅っていうか、訪問診療……地域に自分が出ていくっていうことが精神医療の世界ではずいぶん言われてるんですけど、全然まだ広がってないと僕は思ってるんですけど。その、おうちにお邪魔してお話を伺って。それで対策とか一緒に考えるみたいなことを多くしたいと思っていて、そういうふうにしてるんですね。で、生活の場に行くと、その人のおうちに上がらせていただいてるし。その人の空間でお話をするので、なんかもう診断が云々とか、○○療法とかっていうよりも、「この人ってこんな人なんだ」みたいな。お話だけじゃない、それこそ雰囲気とか。「ああ、こんな置物がいっぱいあるんだ」とか。で、それを話題にしたりだとか。
荻上:「この置物は何ですか?」って言ったり。
星野:そうなんですよ。「僕も矢沢永吉、好きなんですよ」みたいな話になったりとかしたこともありますし。
荻上:矢沢のタオルが飾ってあったんでしょうね。
星野:タオルじゃなくて、等身大のポスターが貼ってあって。「やっぱりデカいっすね!」みたいな(笑)。そんな話から、「いやー、そうなのよ」とか言って、その話が盛り上がったりだとか。で、やっぱりそういう、いわゆる患者・医療者関係っていうよりも人と人っていう形になると、雰囲気が柔らかくなって。そこから始まるものがあるんじゃないかなと僕はすごく思ってるんですね。だから、「治療する」っていうよりも、なんかこう、生活のお手伝いの一環として行って、お話したりとか。時には一緒に散歩したり、みたいなことを結構大事だなと思っていて。という発想なので、雑談とかそういうのが大事ですっていうふうになるのかもしれないですね。
荻上:うんうん。何が心地良いかって、人によって違いますけれども。でも、少なくとも健やかであるというのは、有害なものとか有毒なものが身近にない状態だと、より健やかになりやすいですよね。そして、心地良さを感じるときというのは、やっぱりその相手に対して、たとえば人といるときに「この人には自分と同じ何かがある」とか、「この人は自分を傷つけないという確約がある」みたいな、そうしたような状況が整っていることが前提としてあると思うんです。そうしますと、医師とクライアントというだけじゃなくて、「この部分とこの部分では共通している」みたいな。そんな小さな取っ掛かりでも何かつくるっていうことが、その人の心地良さづくりの1歩目になっていくということですか?
星野:そうですね。まあさっき、認知行動療法の話とかをしてるからちょっと逆行するかもしれないんですけど。なんか僕、人の安心って変えようとしてこない人……やっぱり病院に行くとかだと、病院に行くとやっぱりその自分の症状としてのものを同定されて。診断というジャッジメントを下されて。それで、薬にしても薬じゃないにしても、自分を変えることを……まあ「強要される」っていう言い方はちょっと極端ですけど。変えることを求められている。で、それに適用しないと通院っていう形がなされないっていうものがあると思うんですね。
荻上:うん。その感覚を持ってる人、多いと思います。
星野:あると思うんですよ。だけど、なんか訪問して話してると、「この人、この家でずっと暮らしてきたわけだし……」とか。たとえば、すごく散らかってる人もいるんですよ。僕からしても……僕、部屋はめちゃくちゃ散らかってるんですけど。「自分以上だな」みたいな。でも、この人はここでずっと暮らしてきて。でも意外と100円ショップで買った、全部金のものを買ってみたみたいなコレクションがあったりとか。見せてくれたりとかして。
「ああ、そうか。この人は結構これで豊かに暮らしてきてるのかもしれないな」とか思って。だから、それをやっぱり「変えよう、変えよう」とばっかりされてると、病院に行きたくはなくなるよなって思って。だから別に「これ、いいですね」とか、「これ、どこで買ったんですか? どんなコレクションなんですか?」とか聞いてると、やっぱり生き生きお話してくれたりとか。自分のことで考えても、やっぱり「こういうふうにした方がいいよ」とか、「こういうふうにしなさい」って言われるよりも、「ああ、いいよ、いいよ。そのままでOK、OK」とか言われた方がなんか、心地良いし、嬉しいっていうか。なんか充足感があるっていうか。だから、そうですね。健やかさ、心地良さって「変化ばっかり求められる環境じゃない」っていうのも結構、大事かなっていうふうに思いますね。
荻上:そうですね。以前、大変話題になっていたその東畑開人さんの『居るのはつらいよ』っていう本でもケアとセラピーの違いなどをまとめていて。セラピーは回復していくための作業になりますけど、ケアというのは心理的安全が確保されて、「明日も明後日も大丈夫だ」っていうことを内発的に、内側から思えるような状態のことをケアだというふうに分類されてましたよね。そういう点で言うと、やっぱり「何かを変えなくてはいけない」ではなくて、まずは「そのままでいい」っていうふうに思えるように自分の心を見つめ直していくとか。そうした作業というのも必要なのだなというふうには思います。
次回はですね、ぜひ一緒にもう少し、仕事に焦点を絞って。「仕事疲れをどうにかしたい」をテーマにゆるやかに話していきたいと思います。今回は「心地良さと健やかさ」というテーマでお届けしてきました。概念さん、次回もよろしくお願いします。
星野:よろしくお願いします。ありがとうございました。
<書き起こし終わり>
文:みやーんZZ
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