掘り下げてって見えたもの4つ(その3)

【火曜更新・時間堂、年商1億プロジェクト08】ごきげんよう。時間堂P晴香です。昨日はリーディング☆ナイトが楽しかったなぁぁと、思いだしにんまりがとまりません。お気に入りのフレーズは、ヒザイが読んだ中の「胸がときめきいたします」。ときめきのもとは動詞「ときめく」なんだってことに、不意に気づいてどきどきしました。

さて。夜もすっかり深まったところで今日もいってみよう。掘って掘って掘りまくれ。自分。ややポエムだし、結構な迷走ぶりをまるごとどうぞ。

その3:やるべきこととやれることの不整合


私は時間堂では経営者というポジションだ。しかし残念ながら、経営者としての資質はあんまりないと自覚しているし、前職時代(経営コンサルの営業)から経営にたいして知識としての興味関心はあったんだけど、志向性としての興味関心は薄いのだと思う。

私に決定的に欠けているのは、全体を見渡す広い視野と、短期と長期を同時に考えるバランス感覚、不透明な情勢の中でも決断する自信。逆にいうと、見渡せる範囲の中で目の前の仕事を迷いなく進めるのは得意。迷う隙がないくらいに熟練することを目指している節がある。経営者というよりも職人。把握していることなら仕事を委譲できるあたりは、職人てよりも現場監督。

つまり、やるべきこととやれることがねじれている。昨日書いた話でいうと、「本分と違うところをちからわざでどうにかやっている」状態だからへろへろである。「縫い針で木を切ろうとしている」って喩えを聞いて、いいえて妙すぎて笑ってしまった。

「自分の得意分野で活躍できるのでモチベーションが高く、成果も無理なくあげることができる」組織を目指すんであれば、まず自分が自分の持てるちからをいかんなく発揮したいところなのに。

いまのねじれは結構なストレスだ。

ねじれをほどいて血流アップするには、「やるべきこと」とか「求められてること」をできるようになるか。はたまた「やれること」に焦点を当てて得意分野で組織や環境に貢献していくか。今までは前者に憧れつつも、もともと専門ではないというエクスキューズを心のどこかにしっかり握りしめていたと思う。結果、行動は鈍る。行動が鈍れば成果もおぼつかない。ねじれに悩んでいる間は、やるべきこともやれることも、どっちにも軸足が定まらない。

そして私は、どっちを選びたいんだろう。

誰に言われるでもなく気づいたときには「やりたいことは、やるべきことをやってから」が私の常識になっていた。遊びに行きたかったら宿題とお掃除をやってからね、みたいな論法で。「やるべきことをやってるから、やりたいことを主張できるんだ」とも信じて疑わなかった。

でも、これはいつのまにかひっくり返ってしまって、「やるべきことをやってないならやりたいことはやってはいけない」というメンタルモデル(思考の枠組)へと変貌して、私の思考に幅をきかせていた。ひとにもそれを押しつけた。自分にも他人にも、「やることやってから言え」と心の中で毒づくことがある。自分に厳しく他人に厳しい、目標は達成してはじめてスタートライン、目標未達はありえない。ストイックな感覚にちょっと酔っていた。しかし、この枠が私を幸せにしたり、のびのびとポテンシャルを発揮する助けになったりした記憶はない。

この枠を、いったん脇においといたらどうなるだろう。

やるべきことがたまって、やらなかった自分を責めるかもしれない。
周りの信頼に傷をつけ、不信感を持たれるかもしれない。
やるべきことが気になって、やりたいことを楽しめないかもしれない。
たくさんのネガティブな「かもしれない」が頭を占領する。

が。

ねじれたままでなにもしないゼロの状態から比べたら、なにかやってるだけでもプラス、なのかもしれない。

しばらくの間、意図的に「やるべきこと」と「やりたいこと」の優先順位をひっくり返してみることにした。結論はなにも出ていない。要領もまだつかめていない。

過去を悔やみ、未来を憂い、いま、なにもしない。


唐突に昔の上司が好きだったフレーズがあたまに浮かんだ。


**********

次回は「本気出してないだけ」ってエクスキューズを掘り下げてみます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?