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初めての一人暮らし最終回

この話は前回の話(初めての一人暮らし4)の続きとなります。
第一話(初めての一人暮らし)はこちらからお進みください。

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水分が多い、しかしお粥というには
米の食感が楽しめるご飯を
わたしは綺麗に食べ終えた。

お腹がご飯に満たされ、
ご飯で押し出された空気が口からふぅ、、とながれ出る。

決してパンが美味しくないというわけではない。
しかしパンとは異なる優しい甘味。
何より食べる量を気にせずにいられることは
大変な幸せであった。

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お腹いっぱいだ、とそう思いながらわたしは立ち上がった。
しばらく幸せの余韻に浸っていたわたしにはまだやることがある。
まだご飯になりきれていないお米達が静かにわたしの帰りを待っているからだ。

何故か半生な状態となったお米達。
これを失敗と呼ぶのなら原因と改善を行わなければならない。

お米たちを無駄にすることだけは絶対に避けたいわたしは、その失敗に悲観することなく原因の解明を行わねばと強い使命感に駆られていた。

台所へ向かいお米達と目が合う。
フライパンにはドーナッツのように真ん中にすっぽりと穴が空いた状態でお米達がそこにいた。

お米を炊く手順は合っていたはず。
手順と違うことと言えば蓋ではなくアルミホイルで炊いたことだが、それだけが要因とは考えにくい。

これまで行った工程を思い出しながら水道を捻り水を出す。
出てきた水でお皿を満遍なく濡らしながらわたしは何となく納得のいかない原因に頭を唸らせた。

真ん中だけ炊けたということは純粋に火力の問題ではないか。

というのも、引っ越してきた我が家はガス火コンロではなく電気で加熱を行う電気コンロというものであった。
ぱっと見るとIHコンロのように見えるが、少し仕様が異なる。
電気コンロはIHと異なり、加熱するためのツマミを捻ると中に入った蚊取り線香状の電熱線が発熱する仕組みとなっている。
そのためわたしは勝手のわからないこの電気コンロでかつアルミホイルで蓋をしていたため火力加減がわかりにくいことが原因ではないかと考えた。

原因は火力、とそれっぽい理由がわかったところでわたしは一度水を止めた。

半生なお米をお皿に移してフライパンを一度洗うか…

そう思いフライパンを持った時、わたしはあの電気コンロを見てハッと動きを止めた。

ドーナッツ型の中心、お米が炊けていた穴の大きさと電気コンロの大きさが全く同じ大きさだったのだ。

フライパンが大きすぎて電気コンロの熱がハジまで伝わらなかったのか!

これ以外の理由は考えられないと直感で感じた。
こうしてはいられないと、すぐに手に取ったフライパンを再度コンロに戻しドーナッツ型の米をスプーンを使いフライパンの中心に集め始めた。
半生な米は生米と異なりペタついているため中心に留まりやすく集めやすい。
私はつまみを捻り先ほどと同様の方法で炊き始めた。

数分後。

アルミホイルを外してみるとそこにはツヤツヤに変身したお米達の姿があった。
先ほどまで目視で確認できていた硬そうな"芯"も無くなり、優しい雰囲気を醸し出している。
試しに一口、口に入れてみた。
初めて炊いた米よりもしっかりとした食感、水分量もちょうど良く炊飯器で炊いたお米と遜色ないご飯へと変化していた。

完璧である。
理屈がわかればあとは何度も繰り返し炊き、
水分量、火力、米の配置を変えながらベストな条件を探し当てるだけ。

私のフライパン炊飯生活はこうして始まったのであった。

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時は過ぎ、10月。

フライパン炊飯にも慣れ、友達と焼肉やカラオケなど何も不自由なく生活に余裕が出てきた頃。
その日は突然やってきた。

「貯金が目標金額になった!!!!!」

フライパン炊飯を続けること一ヶ月。
コンロがひとつしかなくお米を炊いている間、おかずを作ることができず、自炊効率が悪いことに気がつき少しずつ貯金をしていたのだった。
そして今日、とうとうお金が貯まった。

お米がうまく炊けなく、ほぼお粥(というより水)のような食感のご飯にふりかけをかけたあの日。

大学の泊まり込みでの実習で、癖でフライパンでご飯を炊いで友人にドン引きされたあの日。

先に作った料理の匂いが残っており、
炊いたお米からホットケーキのような香り・味がしたあの日。

そして忘れもしない引っ越し初日の衝撃。

思えばたくさんのことがあった。
当時のわたしはとにかく必死だったな、いい思い出だと考えた。

同時に「いい思い出だ」と感じたことにほんの少し哀しさを感じていた。

「良い思い出」と思っている時点で
私の中ではもうあの時の焦燥感や驚きという記憶は薄まってきているのである。

今後、自身の記憶から当時の感情を思い出す、また人に伝えることは難しくなっていくと思うと少し切ない気持ちになっていた。

そう考えた時、これが人の言う「毎日に刺激が欲しい」と言う意味なのかと感じた。
違う気もしれないがとにかく私はその言葉に激しく同意した。





…が、それとこれとは関係ない。

わたしは大金をおろして炊飯器を買うために
電気屋へ走って行ったのだった。

おしまい。

PS.人生の刺激はほどほどに。

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