初めての一人暮らし

3月。
花の香りを含んだ風が歩くわたしを急かすかのように背中を押してくる。

…小説の冒頭部分にありそうな文章だな、と思いながらわたしは歩みを進めた。

実家から最寄り駅までは歩いて20分。
江戸川沿いにある実家から駅までの道のりは
平坦ではあるが、川、住宅地、神社、商店街とコロコロと顔を変える。

普段は特に気にも留めない表情の変化を
初めて歩く街並みのように感じながら
傷一つないスーツケースをお供に歩いていく。

晴天。
寒くも暑くもないちょうど良い気温。
花粉が乗ってますと言わんばかりの春の匂い。

わたし、一人暮らしを始めます。

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「一人暮らし、する?」

全てはこの一言が全てから始まった。

母からこの言葉を聞いた時、
大学一年生であったわたしは驚きのあまり聞き直してしまったのを覚えている。

「え、いいの?」

通学時間は2時間ちょっと。
決して近いとはいえない大学に通っていたわたしにとって、また、一人暮らしという何とも輝かしい響きに文字通り心が踊った。

実家から遠い大学を選んだのは自分の意思であったため、遠くても実家から4年間通いぬくことは決心していた。
…というより入学が決まった際、母にそれを宣言させられた。
そのため、この「一人暮らし、する?」という発言は私にとって天地がひっくり返ること以上の大事件だったのである。

母がなぜ、心変わりしたのか。
理由は私の生活習慣にあった。

当時の私は部活に入っており、
朝は5時起き、6時には家を出る。
帰宅は部活がある日だと11時を超える。
土日はバイトづくしで寝るためだけに帰ってきてると言っても過言ではない。
流石に女性を夜遅くまでフラフラさせておくのは危ないと感じた母は一人暮らしの提案をした、という流れであった。

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一人暮らしをすることについて決定した後はただただ淡々と、しかしスムーズに手続きが進んだ。

父へ報告、部屋選び、ライフラインの確立、バイトを辞めるための調整等々…

私が最も頑張ったのはいうまでもない、地元の友達との遊びである。
今までにないほどお金がある限り遊び狂った。

そして本日は待ちに待った一人暮らし初日。
残りの仕事はでスーツケースにパンパンに詰まった細かい雑貨や洋服を運ぶだけ。
荷物は既に現地に配達手配済みである。

引越し準備って意外と早く簡単にできるんだなと母の横に並んで歩きながらそう思った。


実家から電車で2時間、学校からは5分以内の場所にある新居に到着した。
これからは通学していた2時間を睡眠に使える…と至福に浸りながら、また母と他愛のない話をしながら荷物をまった。


ピンポン


と軽い音が鳴った。
宅急便だ。

その後はひたすら宅急便や家電を片付ける作業。
開ける、だす、ひらく、開ける、だす、ひらく、、、時々整頓。
わたしは動線をイメージしながら淡々と片付け、
母は洗濯機等々の電気屋さんの対応や必需品の買い物を俊敏に対応していった。

狭いようで意外と広い1K。
お風呂はユニットバスだが、何より日当たりが良かったためこの家を選んだ。
廊下にキッチンがあるタイプだが
それなりに領域も広く、料理経験の少ないわたしがこれから料理の練習を行うにはぴったりであった。

順調に進んでいた片付けだが、
全ての整理が終わったのは外も暗くなり始めた頃だった。



「足りないものないね、
 じゃあ!今日から一人暮らし頑張って!」

「はーい、任せといて。
 もういい歳だし心配しなくても大丈夫だよ」

心配されることに少し恥ずかしさを覚えつつ、
自信満々に笑いながらわたしは駅の方へ歩いていく母を見送った。


…さて、新しい家でお茶でもいっぱい飲もう。
明後日からは学校だし、一人暮らしでやりたいことはたくさんあるんだ。

今後の楽しい未来を妄想しながら帰路に帰る。
鍵を開けまだなれない香りのする家にはいると途端に静かに感じた。

電気ポットに水を入れボタンを押す。
お湯がわけるのを待っている間に細かな片付けや漫画を読んで待つ。

ぽこぽこと沸騰直前の音が聞こえお茶の準備を進めようと立ち上がった。

その時。
私はあることに気がついた。


おかしい…そういえばあの時から何かがおかしかった。
ここに来てはっきりとその違和感、そして原因に気がついた。
初めは驚き、そして一気に恐怖を感じた。
今後のことを考えたわたしはその不安により
ブルーハワイよりも青く、ハムスターよりも早いスピードで心臓が動いていた。

初めての一人暮らし。
私の苦悩はここから始まっていくのである。

続く

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