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大分大学の次世代モビリティのデザインへの否定的意見からディズニーと万博の「未来感」とは何か?を読み解く

大変申し訳ございませんが、僕自身は人々の価値観に何かミラクルが起きない限り2025年の大阪万博は小規模な成功で終わると思っています。それはなぜかというと、「万博が伝えたいこと」の手段がインターネットというものにとって代わったからです。スモワでおなじみ1964年のニューヨーク国際博覧会、および1970年の大阪万博は、企業が新しい価値観を訴えることのできた最後の一般博であると言われているのは有名な話ですが、それ以後成功した万博は、愛・地球博のように「何かに特化して、それを伝える」といったものだけだと私は感じています。

そんな中で、こうしたニュースが飛び交い話題となりました。

大分大学と地元の企業が作った新しいモビリティのデザインが、ブリキのおもちゃのようで非常にチープだ、としてやり玉に挙げられています。いわゆる「昭和の日本人の未来感」をベースにしていてはグローバル化が進む現代にそぐわないというのが主な意見のようです。私はトゥモローランドにおける「未来感」というものが非常に大好きですが、おっさんおばさんの感覚はいつまでたっても進歩していない、という意見を見てちょっと違和感を感じました。というわけで今日は過去のトゥモローランドから「未来感」とは何かを紐解いていきます。

あの乗り物のベースは「1930年代」

僕が真っ先に大分大学の次世代モビリティを見て感じたのは、1939年ニューヨーク国際博覧会で展示された「初代フューチャラマ」に出てくるGMのコンセプトカーです。つまるところ当時のデザインの流行で言う「流線形」というわけですね。

ここに大きな影響力を持ったデザイナーに「ノーマン・ベル・ゲディーズ」という人物がいます。いかにも「憧れのアメリカ」的な、現在から見てもジェームス・ブラウンのように斬新な感覚を持ち世界にその名を大きく残すデザイナーです。ゲティーズの作ったフューチャラマ(もとい、その他パビリオン)においては、一方向の直線と曲線「だけ」のシェイプで表現されています。それはパビリオン内の建物においても、コンセプトカーでも変わりはありません。

これと同じような変容を見せて驚いたディズニーのアトラクションがありました。何を隠そう東京ディズニーランドの「ベイマックスのハッピーライド」、および「ビックポップ」の建物デザインです。下記の記事でも書きましたが、初代フューチャラマを通してみると、そのデザインが1950年代の最初のトゥモローランドだけでなく、1939年のフューチャラマまで先祖返りしているのがよくわかって、見つめてみると天地がひっくり返るくらい非常に驚嘆しました。つまるところ、当時から「未来感あふれるデザイン」という骨格は何ら変わっていないのです。

ではなぜ、このシェイプが「未来感あふれるデザイン」として認知されているのでしょうか?その理由はその姿見が自然界にない形見をしていて、「人間が作ったもの」として認知されていることです。自然界におけるデザインは、「曲線だけ」で作られています。稲穂、森の木々、花びら…それらにおいて「まっすぐな線だけ」というものはあまり見られません。ノーベル賞を受賞した経験もある、日本人にはおなじみ湯川秀樹先生はこう語っています。

自然界には何故曲線ばかりが現はれるか。その理由は簡単である。特別の理由なくして、偶然に直線が実現される確率は、その他の一般の曲線が実現される確率に比して無限に小さいからである。しからば人間は何故に直線を選ぶか。それが最も簡単な規則に従ふといふ意味において、取扱ひに最も便利だからである。
湯川秀樹「本の中の世界」より

人はデザインに「偶然」よりも「取り扱いの良い方」を選ぶ。それがヒトのつくりしもののデザイン。それを踏まえると、当時の人が持つ未来感というものは、それを乗り越えて自然と人を融合したデザインであるというのが私の考えです。そしてそのデザインの心は、令和の今になっていても生き続けると思うのです。

「新しいトゥモローランド」を振り返る

かつてディズニーの未来感から「温かみ」が消えていた時期がありました。それは現在の東京ディズニーランドの、いわゆる「ハブ」からのトゥモローランドの入り口、現在のバズとスティッチのアトラクションのあたりにも影響が残り続けています。人々はそのデザインをこう呼びます。「新しいトゥモローランド」と。

1967年にアナハイムに誕生した「新しいトゥモローランド」は、曲線よりも直線を重視したデザインとなっています。それはおよそ20年以上もの間、トゥモローランドの基幹デザインとして残り続け、東京でもフロリダでも、そのコンセプトは今も生き続けています。しかしながら私自身、このデザインには一つ意図が隠されていると思っています。それは「この時代のトゥモローランドが精神的なものではなく"技術的なもの"に振り幅が動くようになった」ことです。

1964年の万博で、ウォルト・ディズニー個人およびウォルトの会社は大きな成功を収めました。といっても、正直言って後世に大きな影響を残したあの万博の成功者はウォルトくらいです。それは技術的な意味でも、精神的な意味でも、大きな怪物のように何世代にもわたって続いているようなものでした。技術で未来感をリードするようになったウォルトたちは、その集大成としてあれを作ったのではないかと、そう思わずにはいられません。それでも例外はあります。

当時のパビリオン、そして「新しいトゥモローランド」の中で、唯一全体が曲線だけで建物が作られているアトラクションがあります。何を隠そう「カルーセル・オブ・プログレス」です。

これはアメリカの家電の進歩の歴史を振り返るだけでなく、アメリカの人々の暮らしそのものを振り返り、「これ以上進歩することがないだろうというのを打ち破ってきた歴史」を振り返るアトラクションです。つまるところ「ブレイクスルーを体現するもの」という位置づけがあったんですね。それにも関わらず当時から先祖返りしたようなデザインなのは、おそらくアメリカ国民が"振り返る"ことを忘れないようにしたかったのではないかと。このへんはファンの妄想に近いものですが、私はそう確信しています。

日本の未来感は何か?

それでは、"彼ら"の言う日本の「未来感」とは一体何なのでしょうか。私はおそらく「他国へのリードを守ること」だと思っています。それはすなわち、岡本太郎や亀倉雄策といった、当時だけではなく日本芸術史上の怪物たちが作った70年大阪万博の亡霊でもあると思うのです。我々は遅れている、という価値観はこうしたところにもあると感じます。

しかしながら、上記でも示した通り「未来感のデザイン」というものは共通項ある限り不変です。それはあの近未来モビリティのようなレトロフューチャーだろうが新しいトゥモローランドだろうが、何よりもベイマックスのハッピーライドだろうが不変だと思います。あの記事はなぜ波紋を呼んだか。それは「近未来モビリティ」という言葉が生み出すミスリードだったからなのだと。近未来という言葉さえなければ、大分大学は批判を受けることがなかったのかもしれないとまで思うようになっています。

エドセルという車をご存じでしょうか?膨らみあがった世間の期待値が生んだ、世紀のマーケティング失敗例です。エドセルが失敗した理由はほかにもありますが、私は一番にこの「期待値コントロールの失敗」を挙げます。

私はこのモビリティを「大分大学のエドセル」とは全く思っていません。ただ、この国についた亡霊を誰かが取っ払ってくれるのが願いなのです。

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