パラダイムシフトですよね

演劇関係であれこれ大騒ぎだったりしてますが、正直なところデザインや映像なんかも平時の娯楽です。

平田オリザさんが、演劇が文化でと必死になりすぎてなのかナチュラルになのか知りませんが、演劇以外を下に見るような事を連続して発言してしまった結果、演劇特に舞台を利用しての演劇に必要性がまったくない現代社会では余計な反感を買ってるって感じです。
とは言っても、平時が戻れば娯楽が必要なのはあると思います。
でも、そこに演劇が残れるかって言うのは、それこそ演劇界が平田さんを諌める事ができてこそ、じゃないかなと思う状況。

聞けば平田オリザさん、鳩山政権時代に内閣の参与だかなんだか。
その時に土木建築関係に対して仕事が無くなったら、ITでもなんでもすれば良いじゃないか的な事いったとかなんだとか。

それ、今帰ってきてるんですよね、自分の身に。
演劇なんてさっきも言いましたが、娯楽です。
不要不急な存在ではないし、舞台を見に行かないと行けないもんが今後存続可能なのか、とかあれだけ上から目線で同じ文化枠の職業まで貶す様な事を言ったら、それを「文化として認める意義」を一般の人が持たないよね、と。

それこそ、舞台ではなくテレビでもなんでもいーじゃん、になるだけの話です。
つまり、舞台演劇、劇場でやる演劇なんぞにそれほどの価値はないって事なんですよ。
これは電話出演でのマツコ・デラックスが自ら気づいて自嘲気味に言った事につながるんでしょうけど、実は重要でもなんでもない仕事だった、つうだけの話なんですね。

演劇であれバラエティであれお笑いであれ、それこそ揶揄された漫画であれアニメであれそれらは平時の安穏とした時の楽しみ、余力の産物なんです。
暇を潰す為のものですからまあ、文字通り余暇なんですよね。

だとしたら、それこそ生き残りは自力でやらないといけない。
生きるためにぜーんぜん必要じゃないんですよ。
文化的な娯楽って。
それで腹膨れないし、それがあるから何かが改善する訳じゃない。
自分も映像やデザインやイラスト等の仕事に関わってるけど、阪神淡路大震災の時に何の役にも必要性もない存在だよなぁ、と実感した記憶あります。

だから政府に援助しろなんて言えない。
仕事として、それこそ現代社会を回すための一部としてのデザインや映像、イラストってのはあるからまだ良い。
漫画も、それこそ用途を変えてでも必要な場合がある。
放送だってそう。

でも、演劇や舞踏、お笑いってのは日常があってこそで漫画だイラストだ映像だ放送だと言う日常を戻す手伝いができる業種ほどの重要性も価値もないのが今の状況なんですよね。

じゃあ、消えて良いのかっていうとそうでもなく日常が戻った時に必要になるから存続する意味はあります。
だけど、それは政府が金を出す事じゃないんですよね。
演劇や音楽やお笑い等の日常の帰ってきた時の人たちは日常が帰ってくるためには、自分たちで余計な負担を社会に与えない努力をせんといかん。

今までの様に人が来る事前提とか文化人ですからで、ふんぞり返ってた時代と違う社会がくる、ということでパラダイムシフトすりゃ良い。
音楽関係やお笑い、ダンス等はそれもうやってますよね。
動画の配信や、自分たちができる事で歌バトンだのなんだの。
それをなぜ、演劇界はできないんですかね?

有料配信や、チャンネル登録者数が多ければCMでの収入もある。
それをフルに活用できるようになんで今、変化しないのかって事になりますし、今後コロナ騒動が収まっても根絶されなければ、季節の病になりかねませんから、観客が集まる密の場所なんて廃れるかもしれません。

なら劇場や舞台を存続するためにそこを中継する方法を作れば良いんです。


だって、落語はそういうのもうあるじゃん!

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