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Brain Damege Slowly3 ~Rehabilitation Almighty

脳卒中に限らず、身体に障害が残るような怪我や病気、なにがしかのトラブルがあった場合にはこのリハビリが大事でしてこれをサボると結局不自由な身体になってしまうことになるので、どんなに辛くても最初の一歩は譲れない!って感じになります。
 
と、いいましてもリハビリをしたからって完全に元に戻る事はないですし、何某かの障害や後遺症、問題は残るのはあります。
無敵超人としての物理的な面は一切でないでしょうね。
なのになんでAlmightyなんだよっていうと、リハビリをして機能を回復したあるいは代替できる機能を得た場合にえる精神的なもんですね。

なにしろ、家族の中の誰かがそういう状態になった時に安易に諦める、絶望ごっこをするような事になっては家族だけではなく周囲の友人や会社の人にも嫌な思いをさせる(どころじゃないですが)事になりますし。

男性、特に年配の人ほど諦めて自暴自棄になる傾向が強い、らしい。

私が脳内出血で入院したのは2019年3月なので、およそ52歳の頃。
ギリギリ51歳とも言えますが、四十路後半からの男性で働き盛りであったりそれなりに役職や責任がある立場ですと、脳卒中のみならず病気全般での諦める率や、絶望して無気力になる率が高いのだとかなんだとか。
私の場合は特定非営利活動法人峠工房理事長代行だのなんだのと言われていたし、相応に個人事業もやっている訳だから、看護師や医師なんかはリハビリにちゃんと向き合うか、最初のステップを踏み出すかが心配だったそうです。
 
と、いうのも諦める率が高いひとはそのまま可能性があっても動かないでいて結局、麻痺や障害をそのまま固定してしまう。
麻痺や障害ってのは脳の疾患なら神経や運動を司る部分が!という聞きかじりでリハビリも回復もさっくり放棄してしまうなんてのもある様でして、本来なら回復するのになあ、という感じなんだそうですね。

ちなみに、回復に動く時に感情面がものすごく揺り動かされる時もあるようなんですが、それを上手くリハビリに持っていけるかってのは医師よりも家族や親族、友人・知人などの大きいそうでして、そういうひと達の見舞いや応援なども効果を出す時があるんだそうです。

ちなみに自分の場合

家族はあんまり見舞いには来ませんし、NPOの方を優先していたしこういう事態になっても峠工房が存続できるかどうかの面が重視されてたとかw
まあ、利用者居ますしね。
友人、知人関係は遠方だったり連絡出来なかったりでなにかで知ったひとが来る様な状態ですね。

結果、どうなったかというと寝返りをする事が最初でしたねえ。
何しろ、固定されている状態に近くなる(動けないので)と背中や腕、肩、腰が痛いわけで人間はというか動物は自然とその状態を回復する為に寝返りをするんだそうですが、脳疾患のひとは動けないから動かないみたいになる。
で、看護師やら介助士を呼ぶとかするそうですが、そんな時間も余裕もねーんだよ、不快なんだよ!という謎の勢いで寝返りをした事が回復加速度をあげる事になったとか。

寝返りができればリハビリもとか言う話だったみたいですが翌日から翌々日には寝返り打ってるんで、ええまあ、大丈夫!みたいな。
食事も普通に空腹を感じるし、仕事の連絡取らないと!ってので即電話をかける体制にしてもらったりw
食堂等に看護師につれてってもらうとかして連絡とってましたし、様々な手続きを自力でやらんとなあ、という感じでしたのでやってました。

また、仕事に関してもやる事やりたいことが有ったことや、その年はバイクの車検がありましてね。
車検には間に合わせないと!な感じもあったりしました次第ですw
まあ、とりあえずバイクには乗れるようになる!プラモ作りたいのある!あの遊び、この遊びしたい!アニメまだ見終えてねえのあるし!(入院当時はSSSS.GRIDMANとケムリクサ)とかまあ、様々な欲望に身を任せて動いた訳ですよ。

その後、見舞いにわざわざ関西からきてくれた友達がテレビカード買ってくれたりで、BSでディスカバリーチャンネルやらゴースト&ダークネス見たりで気分が盛り上がるわけです。
で、入院していたところでの機能回復の基礎リハビリも勢いでなんとか乗り切り感じなのですけれど、その後のリハビリにリハビリクリニックに行く必用が見えなくなってしまうというねw

看護師や療法士曰く…

おじさんの年齢、中年や壮年と言われる年齢の男性で仕事をバリバリこなしてきた人ほどこういう場合の心は簡単に折れてしまうそうでして、寝返り等の簡単な事や、食事等の動作などに積極的になる男性はそもそも少ない、ということでしたが、実際にはもっと横暴になる、自暴自棄になる人が多いんだとか。
先を見て身体を動かす、自分のやりたい事や趣味などを存続させるために努力する人は珍しいという話でしたけど、私はねえ…。
要はオタク界隈の人ですから趣味や楽しみがなくなってしまうのが一番の苦痛だっただけなんですよ。
目の前のトラブルより、まずそのトラブルの回復と克服の方が先でそれを失ったら困るし先がねエと思ったからやったというのはあります。

どうにもバリバリ仕事してきたおっさん世代というかそういう男性ほど、趣味が少なく、仕事を失うとすべて失ったかのような感じになるとか。
その上、まだ失ったと決まってないのに失ったと思い込み、そうして勝手に絶望するらしいですね。
絶望は結局、なーんも生み出しませんし自力でなにかをとか新しいなにかをというのを作り出せなくなるので他に当たり散らしたりするそうです。
結果、リハビリの最初の3ヶ月のチャンスを逃してしまうとか。
リハビリは調べると判るのですけど、直後からの回復の為の初期の行動、回復初期、中期、後期となってその間にやればやるほど回復は早いし、機能も戻ってくる部分は多いそうです。

もちろん、弊害もありまして私の場合は怒り発作的なもん。
理不尽であり、不当であり、侮辱的であるなどの負の条件が3つほど重なると激怒する状態になります。
二度目のそれで気づいてから、抑えるように努力しましたが今は強い負の感情をこちらにぶつけてきた場合には、激怒する事があります。

二度目に同じ強さの負の感情をぶつけてきても大丈夫ですが、そういう部分では後遺症としてのこってる一つですね。

特撮やアニメや様々なドラマや漫画等が今も好きなのも功を奏してるかもw

閑話休題的な感じですが、自分の大好きなヒーローや番組、人や物語があると意外と自暴自棄にならないみたいですね。
脳梗塞やった人でも、仮面ライダーが好きだから負けない!とかサンダーバード好きの友人も治療を行い回復する、とかサンダーバード好きに恥じない行為をするとかでやってますし。
他にも、大怪我や大病をしても好きだったもの、好きなものに恥じない事をする行為をするという事で回復に向かう人は、そういう好きな何か、大事ななにかを持っていたてのは多いみたいです。
 
好きな何か、大事ななにかがそれが仕事だったとしても問題はないですし、その今までやってきた仕事やその経験、部下や上司、会社に恥じない生き方をするんだ!ってなれれば強いみたいですね。
なんでなれないのか知らんですけど、先を見ないで今だけって感じの人が、仕事ばりばり派に多い、のかもしれません。
なので、今がだめならすぐ諦めちゃうっていう。
でもウルトラマン達がよく言ってるじゃないですか!
「諦めるな!」
って。

ちなみに女性だからって諦めない訳じゃない

私が男性なので男性の事例をよく聞いたってだけですが、女性は女性で男性とはまた別の形で諦める人は多いみたいですね。
仕事バリバリのキャリアウーマンさんは男性と同じ感じで諦めるみたいですけど、専業主婦の場合には子供の未来を考えて自分が重荷になると思うと諦める人が多いとかありますし、老齢だとそもそもなんで自分が!的にあきらめてしまう、とか。
 
政治や社会に関して熱心な方や運動していた方ってのは当初こそものすごい勢いを見せるらしいですが、運動や活動の仲間がこないと自分は必要な存在ではないのだとか、自分の代わりに誰其れがみたいになって絶望に至るみたいなのもある、とか。
病気や怪我、アクシデントはいつ誰のみに起こるかわからないし、誰に起こってもおかしくはないんですが、政治や社会に熱心過ぎる女性は、どうもヒエラルキー構造を学生時代のそれの拡大版みたいに見てる人が多いみたいで、そのヒエラルキー上位、カースト上位の自分が滑り落ちる様を想像してしまうとダメになる、とかいう話もありました。
まあ、少数ですし、そうそうなる訳じゃないですが政治家まで行くと支持者や支援者、また派閥関係者や地元の方々の動きがあって助かるというか絶望しづらいみたいですね。

回復後の絶望というかリハビリが予想と違った場合に諦める事多いようです。
男性は初期、女性は途中で、みたいな諦めパターンと思うと良いのかもしれません。

それは次に繋がる、伝えるなにか……、カモシレナイ

リハビリをしたところで、機能回復が100%って訳じゃありません。
もちろん、なにか別の力に目覚める事もないですし、なにか新しい能力が開発されることも、人間の隠された力や自分の隠された能力が発揮されるってこともないのは当たり前。

じゃあ、なんでAlmightyってタイトルつけたんだい?てなると、乗り越えれば大体心理的な面で変化がでてきます。
多少は大丈夫だろう、みたいなのがあるしいい加減見慣れた自分の世界を別角度で見ることもできます。
私より大きな障害や病気などなら、その過程で乗り越える事ができればまあ、大きな精神的成長をする事になる、てのはあるでしょうね。

会社や事業、仕事先や自身の業務なんてのを見てみても要不要を簡単に判る様になったなんて人もいるでしょうし、見舞や心配してくれた人の流れ(初期に来た人等は大体本気で心配してる)を見ることで、仕事でも信頼できる相手を見つける事があるかもしれません。
その様な話をできるのも生き残ったからだ、障害や後遺症が小さいからだ!なんて言うひともいると思いますが、小さくしたんだ!って言えます。
今だって月一回はカイロプラクティックで身体整えてますし、薬の服用は書かせませんし、血圧や心拍数なんかは気にしています。
麻痺が少しあるのでワクチンも打てませんしねw

そういう部分をひっくるめ、また病院で見聞きしたことや会ったひとや、その後の多くの交流的なもんを含めていうと、生き残った事で判るあれこれを他者に伝えて行くこともできるし蓄積した情報や経験はいろいろと他人へ伝える事で助けになることもあります。
言ってしまえば小さいワン・フォー・オールですね。
気持ちや感情の蓄積を継承できないもんでもないな、と思ったりしたわけですよ。


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