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平和憲法は妄想である

タイトルでいきなりビキビキッと来た人も、何を今更と思った人もまあ、ひとっ走り付き合えよ、と言う感じで少しばかりお付き合いくださいませ。

何しろ、ロシアの侵攻によって当方我が国本邦(のみの?)インテリ界隈の右往左往っぷりとかみっともないとしか言えないし、なにしろそれがSNSなども含めてあらゆるメディアでこれまでのメインストリーム(左右問わず)だった人達がメッキをボロボロ落としているというか、馬脚が顕れまくりとかまあ、ありますのでね。

ちらっと思った事を書いておこうかな、と言う次第なのです。

現行憲法はGHQ占領下で作製されてるのよね

一応、国際条約的には憲法はその国の主権が保障されてる状態で、国民総意(これは役人、政治家、軍人、金持ち、知識人等全部含んで国民、らしい)で議論決定する、ものだそうです。
つまり、自分達の国家元首と国家の意思決定機関(つまり政府)と言う存在が議論し制定すると言う事、なのだそうですね。

これには先の大戦、第二次世界大戦でのドイツによるフランス支配下での事や、そのた東欧、北欧諸国での事にも由来しているようですし、なにより第一次世界大戦でのあれやこれやがある、とかなんとか。
支配国が存在する状態での憲法は支配国に都合の良い憲法となりうるからと言う理由で一応合理的。
なので、その国の主権を回復した時点で国民投票を最後の決断として決めるのが本当は一番望ましくまた、憲法自体も時代の流れに沿って変化、対応をしていくことが望ましいなんてのが、まあ欧米の感覚だそうです。

なので、GHQの下で決められた憲法は厳密かつ解釈の余裕を与えないなら違法行為、戦争犯罪と言う事になり、今一度旧帝国憲法の基で新憲法作製をするのが本来の憲法としての正しい姿、なんて話も無い訳ではないそうですね。
国際法や、戦争法等を厳正かつ解釈を徹底して行うとそういう事になる。

じゃあ、なんでGHQ配下の下で作られたかっていうと第二次世界大戦後の世界における、秩序構築の雛形だったと言う話もあるんだとか。

国連主体の戦後秩序を作りたい平和主義者の理想を集めた

国連幻想は戦後に作られただの50年代の頃で戦後はなかったと言う風に言う人も居るにはいるんですが、雛形がなければそんな幻想を作る事はできないんですよね。
つまり、国連中心の社会というか国際連合と言う世界政府の夢を持つには十分すぎるほど当時の人類には経験し得ない戦争であり残酷な事が起こったと言う認識がそこにあった訳です。

なので、日本と言う国が主権を回復して国際社会に復帰する時にその世界的雛形となる憲法、国際連合の組織を維持し中央に存在する上位機関としての意味合いが欲しくなるのですね。
故に、国連の憲章などは「各国の憲法の上位にある」と言う形になるそうです。
この結果、国連平和維持軍等の存在は国連が決めた国際間の救世軍と言う感じに意識している面はあるのですね。

実際、第二次世界大戦ではそういう感じで動きましたし、ナチスの蛮行と言う事でドイツの愚行も追求しきっていはいないです。
そういう面で現行の日本国憲法を見直すと前文や各条項等にちらちらと、正義や平和や自由と平等を愛する世界の人との強調が謳われている面が見えてくると思います。

実際にはそんな世界ではないですけどね

現実の世界はしかし残酷なモノでして、世界では朝鮮戦争が起こり中東でいざこざが起こり、東欧諸国はスターリニズムの独裁による苦難への道へと進んでいきます。
特に、共産主義革命は初期の武力革命、暴力革命を肯定している状態ですからあちらこちらでの共産主義革命は、武力を伴うテロ、無差別に人を傷つけるテロによる内紛からの内戦って形が顕著になってきます。

この様な状況下では少なくとも国連すなわち国際連合と言う名の連合軍国家には不向きでもあるのですよね。
過去の枢軸国やその同盟国を相手にしていた、また現状においても敵国条項を作りある意味では差別していた国連の存在がひび割れていく。

実際、本来の戦勝国であった中華民国=台湾が、中華人民共和国に押されて常任理事国の座を降ろされた時もソ連の多大なバックアップがあってこそ、なんて言われています。

加えての核軍拡競争の勃発、冷戦の激化は理想として集めた平和主義と平等と正義と不戦の理念や理想なんて軽々と壊していた訳ですけれど、核兵器が存在し(両陣営に)新たに核兵器を手に入れる国が東西陣営に増えていくと国連は、世界大戦を押さえるので精一杯。
より良い世界の構築なんてのはそれこそ妄想でしかありえない状況になる訳です。

そんな世界の流れの中で早々にいろんな事が有名無実化した日本国憲法も9条の存在が様々なネックとなるのですよね。

9条=パリ不戦条約コピペ

パリ不戦条約と言うのがあって、これに批准した国はほぼ9条類似の条文や条項などを設けておりまして、当然ですけど常任理事国だったソ連もまた中国も類似条項があります。
そうなるとソ連を継承したと言っているロシアも持っている事になるので、「国権の発動たる戦争」や「交渉に代わる武力行使」てのを禁じていると言うのはあるんですね。

ただ面白い事に、9条も不戦条約のコピペであるためにあくまで国権の発動たる戦争や交渉に代わる武力行使を禁じているだけで、主権を守る、国民を守れる武力や防衛の為の自衛軍までは禁止していない、と言うのは解釈というか条文を素直に読んでも解る事なのだそうでして、90年代終わりから2000年代初頭までは共産党も自衛隊とそれに伴い行われる自国と領土、主権や国民の生命財産を守る事まで否定していなかったんですよね。

ここでもっと面白いのは当時の共産党の議員の中には自衛隊の解散、国連等に準じた形での防衛軍と国際救助隊に分けて運用していけばいい、なんて言ってるのもいました。
共産党のだれだったか忘れてしまった上に資料もでてこねえんですが、国際救助隊の装備に関しても日本の企業が作ることを一切禁じないし日本の技術をこういう事に使え!といっていたり防衛軍も護衛軍としてのみうごけなどまあ、初期の国連中心社会の夢想を忠実に再現してる感じとアップデートしてる感じが絶妙な言い分だったんですけどね。

その後小泉政権やPKO、PKF等が現実の問題として出てきたらそれを言っていた人も消えた感じなんですけれどね。

ともあれ、9条はパリ不戦条約であり、その不戦条約は国を守る力、主権を守る力、そして国民を守る力は否定しない、としています。
そのため、国民を守る為の出兵は他国に出向くことであっても有効と言う解釈がされてしまうのですよね。

なので、ナチスを最初は責めきれない面もあった。

ナチスの電撃戦も飛び地のドイツ人が迫害されているから救援に行く!と言う名目。
これは、別に条約違反でもないし、ドイツ国防軍であったとしても自国民の防衛のために出動したって事になっているのでアメリカなんかはなかなか参戦しなかったていう話も無い訳ではないです。

また、アメリカは第一次世界大戦からの疲弊+厭戦気分(ロスト・ジェネレーションと言う言葉もこの頃には定着しておる訳で)でなかなか参戦できない訳ですね。
フォードなんて、ヒトラー礼賛だったりする訳ですし。
なので、欧州の戦線は激化しようともアメリカが参戦する事は予想できてなかったんですよね、ドイツ側も。

そこに日本が真珠湾やってしまったので、アメリカも重い腰を上げたと言えますが、この辺はハル・ノートだのコミンテルン関係の暗躍なんてものもありました。

ところで、この時期にパリ不戦条約がなかったかって言うとあって。
1928年にできてドイツも参加してんですよね。
で、アメリカとソ連も参加してるわけですけどね。
でも戦争は起きちゃった。
自国民救済名目で動けるし、反撃されたら当然守るために戦いましたてへ!で済むと言う事なんですよね。

なので、不戦条約に批准しそして条文に盛り込んだ程度ではなんら意味はないって事になるんですよね。

実際、2019年には欧州議会でナチスとソ連と言う全体主義国家の密約が大戦への道を開いたっていう議会決議が採択されてしまってるそうでして、その様なものが存在する以上、条約の有効性に疑問が持たれてる状態ではある、と言えます次第。

日本は七十年傍観者です

日本は、戦後70年あまり傍観者であり当事者になる事はありませんでした。
故に、戦争をしていない!参加していない!と言う言い分も成り立つという話にはなるのですが、実際には朝鮮戦争では掃海任務を行っていたりします。

ところが実際に自衛隊がでると言う場合には近隣諸国感情がと言って出さないなどがありイラン・イラク戦争での邦人救出はトルコの航空機に助けられる始末。
これは過去にエルトゥールル号遭難事件における日本の救助や第一次世界大戦での難民支援なんかもあっての事らしいですけど、それでも自国民救助にすら動かない政府や自衛隊への問題ってのを国際社会から突き上げられちゃう訳で、戦費を出す事で納得してもらう等ありました。

このときには平和主義を唱える人なんかが、他国の戦争に首をツッコミ戦争できる国になろうとしてる!なんて声もありましたが、たとえばコソボであれルワンダであれなんであれ、戦争の被災者を救うためには武装集団からの防衛なんてのも出てくる訳ですね。
この時、武力が無いと守るべき民間人も守れない。

また、アメリカの戦争に巻き込まれるって言う論調もあり、国連の通達に従ってうごけ!なんて言い分もありましたけど、実際には国連も日本に出てほしいという事は言ってきている訳ですね。
これに対して国連主導でと言ってた人達も、戦争に出ることで日本人が戦争を肯定するからだめだ!と言ってたり(赤旗にもあったし)。

なので、世界的に見れば人の血を金で買っている国という事を言うひとも無いわけじゃないですが、じゃあどうするか?ていうと毎度おなじみ、9条の精神で対話でもって平和をという事になるんですね。

ただし、対話をするには相手が話を聞いてやろうという姿勢にならないとだめで、ここでも結局金という事になるのはお約束です。
ただし、戦後復興費用と引き換えの企業の利益なんてのもでては来ますがそれとて血を実際に流した国が偉い!理論の国連=連合軍思想では弱いもの。
金だけだす国ではなんの発言力もねーんですわ。

金を取るなら武力で脅せなんてのもありますからね。
日本ではデモだけで平和や反戦が実現するような意識が蔓延した時に、忌野清志郎はCOVERSの中でデモをするだけで平和が来るなんて甘い夢なぞみちゃいない、って言ってはいます。
そういう時代になってきてなおデモが効力を持つと思ったのは日本と、またGHQ支配が思いの外平和裏に終わったアメリカの夢よもう一度な面は無い訳ではないのですよね。

で、平和憲法の妄想が崩れる

憲法9条で世界平和をってポスターをまだ日本共産党も貼っていますし、9条をノーベル平和賞にという事を言っていたひと達の記憶も当たらしいところ。

理念としての9条は既にパリ不戦条約で出来上がっているし、実際に9条を掲げての平和活動って国内事情だけで何も起こしてないのですよね。
9条を世界に広めろよ、といったところでパリ不戦条約あるじゃん、で終わってしまう訳ですよ。

これは平和憲法!って盲信してた部分と反省する必要がこういう方たちにはあると思うのですけど、各国の憲法は国際条約が締結されそれに批准するとそれに類した条文を書き加えていたりします。
なので、アメリカも何十回、中国も何十回、なんでも韓国は何百回と書き換えていると言いますしフランスだってイギリスだって同様。

日本だけが70年あまり変えずに来たこと、そして戦後最新の理念で作った(はずの)憲法なので今だ通用しないといけないって言う面があったりします。

最も、それだって70年も立てば時代は変わります。
あの時に大陸間弾道弾はありましたか?あの頃に原子力潜水艦がミサイルぶっ放すってなってましたか?という事もありますし、なにより超音速の空中戦!なんて想定されていましたか、なのですよね。
実際、中華民国がソ連のバックアップを受けた中華人民共和国によって追い出されてしまうような、理不尽が国連の中で起こるのか?って事も理解して作ったモノではないのですよね。

ただ、相変わらず国連憲章や安保理の決定は各国憲法の上位になりますし、それによって憲法の効力が停止する事もある訳です。
この様な状況で果たして、今のままで良いのか?自分達の拠所の憲法、平和憲法がなんら意味の無いモノ、今どきこの様な戦争が起こるなんて思っても居なかった部分によるアイデンティティの危機なんてのを考えると、実際の精神的状況は思った以上にひどいかもしれないですよね。

事実、ウクライナにも憲法9条類似条項があり、また核兵器の廃棄と同時に軍縮を行っているという事実もあると、ロシアが正義の側でないといけないかのような事、また今までの言説投げ捨てて逃げろとか降伏とか言い出す始末の知識人界隈が続出し、末世よのう、と思う事を多く見る様になるんですよね。

今こそうごけば良いじゃない!

ロシア大使館前で北方領土抗議デモをしたウクライナ人が居て、本邦右翼何やってんのwwとなっている中、ウクライナ侵攻で同様にロシア大使館に抗議してるのは在日ウクライナ人。

ロシアという実際に反撃してきそうな的には怖気づいている?みたいな状態をみせている平和団体が居ては所詮、傍観者それも卑怯な傍観者の言い訳にしか見えなくなった平和憲法を維持する、または9条にノーベル平和賞をというのをまだやるのであるならば、せめてロシア大使館前での抗議は必要だと思うし、憲法を守れと言っている政党の長は大使に会って話す位はしないと無意味なんだと思うのですよね。

好悪賛否様々なベ平連ですけれど、当事者のアメリカの新聞に対して殺すな広告を打った行動力はあった訳ですし、抗議活動もしていた事実はあったりします。
それがアメリカだけ限定だったとなると、言われているKGBからの資金があった事などを事実として認める事になるでしょうし、またイラク戦争の時の抗議活動も同様にアメリカに対抗する国や組織からの資金援助や工作を事実としてしまうだけ、かもしれないのですよね。

恐らくは新しい戦後秩序てのが出てくると思いますけれども、平和や反戦を謳う人達が戦争の現実を知らずに無条件降伏を市民に進めたり、国から逃げれば良いというのをSNSやTVで口にしている所などを多くの国の人が見ている訳ですよ。

平和だ反戦だ、またアベが戦争をおこすと言っていた人達等がこぞって侵略戦争をするロシアに尻尾振る様な姿を晒していたら信用なんてされないでしょうし、彼ら彼女らのいう反戦平和が結局は事なかれ主義で強者に阿る卑怯者理論となったら、平和がどうのこうのと言ったところで今度は排除されるのは反戦平和主義者、って事になるだけなんですよね。

恐らく現行憲法は廃止して新しい憲法を作る必要もでてくるでしょうし、その時の発言権を遺すためにもちゃんとした「前を向いて」「強い相手の横暴に負けない」「平和思想」というものをみせて行かないといけないと思うのですよねえ。

果たして、この世界規模の修羅場を乗り越えることができるのか?
それができないとなると、現行の憲法すなわち平和憲法はただの妄想であった、と言う事で終わるだけ、なのですよねえ。

正念場だよ、っての判ってるのかなあ??
判ってたらパニックさらけ出すような事してないか。

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