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当たり前の「地獄」の家業を事業として捉え直す

新型コロナウィルスが日本で流行し始めて約1年が経過しました。大分県で初めて感染の報告があったのが2020年の3月3日。我が家でも妻が妊娠中ということもあって、いよいよ気をつけなければいけないと、自分事化したのがちょうど1年前。率直な感想を言うと、あっという間の1年でした。真夏でもマスクをするし、季節行事はほぼ全て中止で、時の流れのメリハリがなく惰性感がありましたよね。四季折々を大切にする日本特有の文化の大切さを改めて実感しました。

一方で、施設運営事業者としては苦しい1年であったことは間違いなく、経営の健全を維持すべく、あの手この手を駆使しながら、試行錯誤を繰り返しました。そういった意味では、自社と真剣に向き合って社内を洗練させる機会となった方も多いのではないでしょうか。僕も施設としての価値、地域としての価値を改めて見つめ直す時間をかなり濃くとることができました。最初に僕が施設・地域の価値について自問自答したのは、別府にUターンした2014年頃。しかし、新型コロナウィルスによってそれにドライブがかかりました。そこで今回は、どのように事業に対する考えを整理してきたのかを綴っていきたいと思います。

実家の当たり前な景色を、事業として捉え直す葛藤

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※1986年、海地獄前で父と僕。(いや、着ぐるみのクオリティ!首が露出してしまってるし笑)

僕は東京の小学校に通っていたのでずっと別府育ちという訳ではないのですが、故郷が別府ということは認識してましたし、実家が海地獄の近くにあったので夏休みなどの長期休みの度に帰省しては散歩したり遊んだりする場として海地獄を捉えていました。もうひとつ、僕は3人兄弟の末っ子だったので、家業を継ぐことに関してはUターンすることが決まる27歳のギリギリまで他人事として考えており、幼少期の原風景のまま、海地獄を実家の庭の延長のようなものだと思っていました。なので、施設としての価値や課題を客観的に考えたことがなく、家業の将来に無責任な親不孝者でした。

その後白羽の矢が立ち、僕がアトツギ候補となって、いよいよ海地獄という施設に対して責任ある立場となった訳ですが、なにせ幼い頃から何千回と見ているし、尚且つ実家の庭的な感覚で捉えていたので、心の中では「何が良いのだろう…」と密かに思っていました。(友人知人には、実家の庭を見せてお金もらって、いい商売だよな、とからかわれたりもしました笑)
対照的に、父は「海地獄は凄いんだ」と熱量をもって語るし、全国から、そして海外から多くのお客様に日々訪れて頂いていることに対して、自身の心情とのギャップに悩んだこともあります。とはいえ、僕は根が真面目な方なので、せっかく海地獄に訪れて頂いたからには、お客様にその価値に共感してもらい「来て良かった」という感動を少しでも持っていただければと、前向きに創意工夫を模索していました。その第一歩として、海地獄に対する誇りを父に負けず劣らずもっていかなければいけないと、実家を事業として捉え直し、真剣に分析する日々が始まった訳です。(この一連の流れって、家業を継ぐ予定のなかったアトツギの方にとって、あるあるなお話ではないでしょうか。)

家業を客観視し、違和感を探る

過去の記事でお伝えしましたが、父は海地獄の真価をその美しさと説いており、とても深い愛で海地獄を経営しておりました。「地獄を美しい庭園で彩る」という父が生涯を通じて守り抜いた価値は、実は別府温泉のポテンシャルを象徴するとてもユニークな価値で、是非全国の皆様に知っていただきたいところです。

ちなみに、僕がこの景観の価値について納得したのもここ2、3年のことです。「確かに美しいけど、全国では他にも美しい景観が山ほどあるでしょ」と、ユニークさを理解できていませんでした。本当に当初は、ご先祖様に申し訳ないくらい、ネガティブな感情で家業を捉えていたのです(笑)。とはいえ、今思えばそのスタンスが良かったなと思います。
企業の代表になる以上、自社のサービス・商品には自分の意志が半分以上乗り移っているものであるし、誇りをもって市場に送りださなければいけません。僕は基本的に自分に自信がないので、家業を見直す時も、自然と課題を発見する方に目がいっていました。そこを解消していくことで、少しずつ会社に誇りをもっていけるかな、といったとても消極的なアプローチをとっていました(笑)。ただ、これも事業承継において大切なことだと考えており、家業というと幼少期から身近な存在なのでこれからの未来も当たり前のように存在し続けると思いがちになるのですが、どんなに老舗の企業でも時代に応じて進化し続けなければいずれは淘汰されることになります。コロナショックみたいな、とんでもない劇薬がいつ投下されるか分かりません。僕は、自分に自信がないといった個性の部分と、アトツギを考えておらず家業を冷めた目でみていたといった境遇が功をなして、このままでは駄目だという危機意識を自然ともった上で海地獄での仕事をスタートできたのです。

そこでまず、海地獄は実家の庭の延長といった感覚を一切排除して、客観的にみながら違和感を探る作業を続けていきました。細かいものは(特にIT分野において…)沢山あったのですが、僕が最も違和感を覚えたことは、海地獄という施設が設立された背景について、施設内のどこをみても詳細に発信されていなかったことです。そもそもUターンするまで知らなかったこと事態が問題なのですが、それなりに古い施設であることは認識していたので、やはりどういった背景で施設運営をするに至ったのかといった原点の話はとても興味があったのです。色々と調べてみると「海地獄をアップデートするヒントはここにある!」と思える程のとてもユニークな背景がありました。ここまでの話で長くなってしまったので、その詳細については次の記事で記載していきたいと思います。長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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