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【読書レビュー】くじ引き民主主義

政治の門外漢である自分が、筆者のことも知らぬまま読み始める。「くじ引き」という政治に使われ難いタイトルだけを見て、奇をてらった内容もありそうな印象を受けていたが、正攻法でまさに政治へのイノベーションを期待できる提言が連続する内容だった。過去の日本、海外各国での実例も挙げながら、メリット、デメリットを説明し、自分の様な政治や選挙の素人にも「くじ引き民主主義」を理解させ、今後の民主主義の在り方を考えさせてくれる。

くじ引き民主主義 政治にイノヴェーションを起こす 吉田徹 

民主主義は、どのような形であれ完璧なものにはなり得ないこと。それを前提にして、今の民主主義がこれからの時代に変わっていく形の一つの方向性、補完する考え方として「くじ引き」による選民政治が挙げられている。

日本に限らず世界各国で高まる政治不信の背景として、幾つかの具体例があり。まず、現在の選挙の仕組みの必然性として、選ばれた「代表」が選んでくれた集団(利益団体)を最優先して、仕事をせざると得ないという事実。この場合、政治課題が挙げられ、議論が起こり、結論が出るという一連の政策化が機能したとして、どのような経緯を経て、どのような結果となったとしても、利害関係が一致しない何れかの集団には納得を得られず、集団間での分断が必ず発生してしまう。利益を得られなかった集団、集団に属さない個人は、不満をため、それが解消されないまま時間の経過と共に、政治不信に昇華される。

また、世襲議員が続ける政治は、市民が政治参加する機会と意識を奪ったままであり、一部の人しか立候補できず、一部の人しか投票しないという事態にも繋がり、政治不信に大きく影響している。

現在の政治不信に対する対策の一つとして、選挙による政治家ではなく、「くじ引き」による一般市民の無作為な抽出方法を筆者は挙げている。まず、誰でも政治家になる可能性が存在することによって、市民の政治に対する意識は高まる。また、公平な仕組みで選ばれた市民の代表者が、政党や支持団体、利権団体に影響されることなく、イーブンな立ち位置で、意見を交換する。また、無作為に選定されたバラバラの個人が、市井の視点でそれぞれの立場の意見を持って、議論を積み上げることが可能となる。またその議論自体も、公平な結論となることで、議論に参加していない市民にとっても納得性が高いものとなりえる。それにより政治へのコミットが高まり、市民がより能動的に政治に参加していくことで、国全体の行政、国力が成長していくことが期待される。

議論の結果についての責任が曖昧になる等のデメリットがあるものの、既存の代表民主主義との組み合わせによる活用も含めて、今後の可能性は大きいと感じた。

このコロナ禍での各国、地方自治の対応は、TVが伝えることが、真実となり、それが世論を形成し、その世論に政治が付いていくという事態が発生した。専門家達は、どのように選定されたのか市民には不明のまま、利権団体との繋がりを強く感じさせる意見を継続した。本来であれば、公平な専門家の意見を元に、公平な政治家の間での議論があり、公平な政治判断に基づいた政策がある筈だが今回はそうなっていない。利権団体と政治家、専門家、官僚が結びついている既存の体制が、混乱を今も継続させていると感じる。分断が残ったままの仕組みでは、今の政治の機能不全は解消されず。ウイルス以外の形でも、将来出てくるであろう新たなグローバルサイズでの難局に対して備える意味でも、「くじ引き」思想が、広まって欲しいと思う。

これからの風の時代において、個人が自分を大事にし、自分のやりたいことに集中していく動きが増え、政治に限らず、集団の合意形成は難しくなっていかざるを得ない。一方で社会コミュニティや企業といった人間が生活するために必須となる基盤集団も、その機能を維持していくには、この筆者が提案する「くじ引き」思想をベースにした「偶然」によって、個人が能動性や納得性を持てるような集団意思形成が更に増えてくるだろう。役職者をくじで選定する等。

個人としても、偶然の中に生きている。そもそもは、自分の生まれ持った能力、性格や生まれた家、土地、過ごす環境も偶然のモノであり、今自分がいるところが偶然の積み重ねで辿りついたものだと改めて自己認識するところがスタート地点かもしれない。今自分が持っているものを手放すことに抵抗が無くなれば、身軽に何物にも縛られない自由で、自分以外に影響されない判断が出来るだろう。

以前に、「自然主義」という言葉を書いた。超然主義に捕らわれた官僚組織が、権力を振りかざしてしまうのは、生物として当たり前の本能(自然の摂理)によるものとして捉え、その自然の流れに対して、逆らうだけ、逃げるだけという分断の形で終わるのではなく、まずは、受け止める。そこから、思考停止せず、自然の流れを踏まえて、しっかりと自然を感じながら、次に向かう、という超然主義に対抗した造語。

誰もが、自分や大事な人のために努力をしているだけなのに、対立を生み出したり、合理的でない流れから逃れられないという状況に陥ることがある。それに対して、対立し、分断するのではなく、どんな人間も自然の摂理の一部、偶然だと受け入れることで、分断を生まずに見えない「壁」や「山」を生み出すことを避ける。それが、生きやすい「平坦」な世界になり、道に迷うことがあっても、歩き続け易くて、誰もが楽に自然を満喫しながら過ごせる世界になると思いたい。「くじ引き」思想が、投げかける偶然による創造が、自然の摂理に従う行為であるようにも感じる。

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