子どもたちに「未来は明るいものだ」と心から教えたい。
教員は、「子どもの未来を考える」仕事だ。
この言葉を見ると、なんとも大層に思える。
実際に子どもを中心として捉え、日々奮闘している。
だが、現実はそう甘くはなく、途中で退職してしまう人もいる。
「子どもの未来を考える」ということは、どういうことだろうか。
「塾の先生なら難関高校、難関大学に合格させる」
「医者なら病気を治す」
一体、教員は何を意識して取り組めばいいのだろう。
「子どもの未来」というのは、実に多面的だ。
自分も含め教員として「子どもたちのことを考えている時間」がどのくらいあるだろうか。
教員の業務は多い。忙しい時には、「子どもの未来」「子どもの成長」を考えている時間は少ない。
だが、放課後、時間があるときに同僚たちと話していて気づくことがある。
それは誰しもが「子どもの未来」のことを話している。
「こうなれば、もっといいよね」
「こんな経験してほしいよね」
いつも話すことは「子どもの未来」のことだ。
「そういう職業だから当たり前だ」と言われたら元も子もないが。
「教員はブラックだ」「責任が多い」「大変だ」というマイナスなイメージが多い。教員の志望者数が減少しているほどだ。
世間からの教員への風当たりも強い。
「子どもの未来を考える」というプレッシャーが、教員を苦しめているようにも感じている。自分もそうだった。
「間違えてはいけない」「常に価値あるものを提供しなくてはいけない」そういった責任や重圧がある。
「子どもの未来を考えている」教員ほど囚われ、リタイアしてしまう。
これは、本当に心苦しい。熱心な人ほど、真面目な人ほど苦しんでしまう。
もちろん、「子どもの未来」も大事だ。
しかし、「教員の未来」はどうか。
「教員の未来」を考えられている人がいるだろうか。
忙殺される日々の業務の中で、子どもたちのことだけを考えている。
そこに、周りの教員のことを考える余地はない。
教員たち一人一人の努力と熱意で成り立っている学校、子どもたちへの教育。
教員にも目を向ける時期が来ているのではないだろうか。個人に依存している状態では危ない。
時代は変化している。
「教員の心が豊かでなければ、良い教育はできない」と思っている。
教員というのは、自分の考えを発信する機会が少ない。また、現状をあまり知られていない。
自分にできることは、発信し続けることだろう。
教員が減少する時代を終わりにしよう。
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