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「僕が社長にならなかったワケ」 ~基礎的自治体って、意外にクリエイティブ!論~

 はじめまして、埼玉県草加市の高橋です。
さて、格調高い文章を書こう、と唸ってみましたが、ただ真っ白い画面を見つめるだけ。これは、これまでの人生をありのままに書くしかない、と腹をくくり、「半生記」ならぬ「反省記」とすることにしました。 
 僕の前は、自治経営で一緒に監事を務めるコーミンの入江さんのコラムでした。入江さんは、公務員から民間に転じて、大東市で大規模な公民連携事業を手掛ける大東公民連携まちづくり事業株式会社(コーミン)の社長さんです。
 入江さんのコラムはこちら
 翻って僕は、38歳の時に民間から公務員に転じました。早くも12年が経ちましたが、次から次へと沸き起こる課題に、異種格闘技戦を仕掛けているような毎日を楽しんでいます。
 では、少し前置きとしては長くなりそうですが、民間時代の昔話から始めてみたいと思います。

〇事業再建はうまい男?
 僕は新卒で地元新潟の教育ビジネスを主業とする企業グループに就職しました。もともと親戚に教員が多い家系で、磁石に吸い寄せられるように体が教育という仕事に引き寄せられていきました。では、なぜ教員にならなかったのか、それは学校や教員という世界が嫌だったから。一時期不登校になったことなど、切ない思い出が多く、何の根拠もありませんでしたが、民間教育で公教育を凌駕してやる!という具合に教育ビジネスの門をたたいたのです。
 学習塾の広報や社会人向けスクールの全国展開などの業務に携わったのち、30代前半で転機が訪れます。
 東京に本拠を置く別法人が経営する社会人向けスクールに僕の担当していた赤字事業を統合する、東京にいって再建せよ、そして株式を公開せよ、と。
 正確には、赤字事業を再建するために、東京の社会人向けスクールのビジネスモデルを活用したい、なので事業統合してくれ、と提案したので、いいだしっぺなのだから、お前東京行って、せっかくだからキャピタルゲイン稼げるまで伸ばしてこい、という話です。
「お前、事業再建はうまいよね」 
 新規事業はなかなか軌道に乗せられないという言葉の裏返しですが、確かに、苦手意識はなかったのです。事業再建って、簡単に言うと、事業がうまくいかない本質的な課題を抉り出して、やれない条件を全部排除して、組織で処方箋を共有して、実行するだけ、です。そこには、組織のモチベーションを上げるために、すぐ成果が上がる改善を組織で体験して、「やれる」という達成感を共有することから手をつけるとか、多少のテクニックはありますが、要するに、課題をたくさん並べてため息をついて何もしないから再建が進まないどころか、事態は悪化していくのであって、本質的な課題に2つから3つ本気で取り組めば、ほかの課題は自然に解決したりして、きちんと経営持続力が身につきながら業績は回復していく、と思っています。
 単純にしかものを考えられない僕は、たくさんの課題を並べても訳が分からなくなるので、これとこれだな、と絞り込んで的を絞って事業を再建する、という経験を入社2年目と6年目、8年目ぐらいで経験して、都合4回目の事業再建でしたから、事業をしっかり見つめれば何とかなるだろう、と荷物をまとめて東京に向かいました。
 4回目の事業再建、統合した赤字事業もビジネスモデルの転換とスタッフの皆さんのたゆまない努力の賜物で年3億円ぐらいの赤字事業が統合初年度には黒字化しました。執行役員となりその後もいくつかの事業部の再建を担当して、あっという間の4年目、会社の財務状況も改善して株式公開が見えてきました。さて、そろそろ役割を終えたかな、と思っていたあるとき、グループの代表にこう言われます。

〇40になったら、社長頼むな
 昭和の感覚からしたら、小さいけれど上場企業の社長になれる。身の引き締まる思いです!とでも答えて、夜のまちに飛び出すところだと思いますが、僕は、断ることにして、即座に退職を決意しました。
理由は、2つ。
 一つは、ビビりだったこと。社長とかいう器じゃない。と感情が拒否しました。
 もう一つの理由は、これからもずっと教育ビジネスに携わることに、つまらなさを感じてしまったのです。教育ビジネスがクリエイティブなものとは当時は感じられなかったから。教育ビジネスの課題については、生意気ですが苦労した分、だいたいの処方箋を持っていて、その引き出しから時折出して対応する、という感覚しかなかったので、この後、自分が成長するイメージを持てなかったのです。少子化や人口減少は、教育ビジネスとしては最大の脅威といわれましたが、それは課題ではなくて、経営環境。付加価値の高い教育サービスを提供すれば生き残れますから、全く心配していませんでした。それには絶え間ないブラッシュアップが必要ですが、それは当たり前のことですから、そこにはクリエイティブさを感じていなかったというのもあるかもしれません。
 今にして思うと、仙台市の下村さんのように、クリエイティブスクールなど、もう少し広い視野での発明ができなかったからクリエイティブさを感じなかったということのような気もします、既に頭が固くなっている自覚があったからこそ、裸一貫、ゼロからもう一度という意識になっていったのだと思います。
下村さんのコラムはこちら
 そんなときに、僕は不登校だった時期があって、教育ビジネスの門を叩いたことを思い出します。そうだ、教育ビジネスで限られた教育効果と稼ぐことはできたけれども、公教育を凌駕することはできなかった、であれば、残りのサラリーマン人生は公教育に携わるために公務員になろうと。
 若干の紆余曲折を経て、今草加市にお世話になっておりますが、その理由がこれです。
 なので、「志望動機は?」と面接で聞かれた時の回答は、「40歳で一丁上がりの人生が嫌でした」というもの。よく採用してくださったな、と草加市の心の広さに心から感謝しています。 

〇正午にチャイムがなり、お昼休みがある職場
 そして、僕は幸運にも草加市の職員として採用されます。最初は市役所の1階、国民健康保険の担当でした。
 初日びっくりしました。市役所ってお昼にチャイムがなって、当番の方を除き、一斉に休憩に入るのですね。社会人人生初めてでした、毎日決まった時間にお昼をたべ、一時間休憩するのは。お昼は仕事の合間におにぎりかパンをかじるものだと思っていましたから。これだけでも僕は、健康的な職場に来たものだと自分を褒めてやりたい気持ちになりました。
 でも表面的な「穏やかさ」とは裏腹に、市役所の仕事や直面している課題は壮絶なものでした。少子高齢化、医療費の増大と財政問題。担当している国民健康保険の現状だけを見ても、これはどんどん手を打っていかないといけないと危機感を覚えました。
 そして、2年目に特定健診・特定保健指導の担当になります。特定健診とは、高齢化に伴い増え続ける医療費の伸びを抑制するために、何とかピンピンコロリの長寿社会に変えていこう、そのために40歳以上の方の生活習慣の改善を促そう、と平成20年に始まった制度です。おなか周りをメジャーで測って、運動しましょう、食事に気を付けましょう、というアレです。
 つまり、ここでも事業再建みたいな仕事をすることになります。生活習慣の改善や重症化予防を通じて医療費を抑制したい、しかし、なかなかその対象者把握の入口である特定健診の受診率がなかなか上がらない。ここを何とかしてください、というのが僕の担当としてのミッションだと理解しました。
 この部分は経緯の詳細を失念してしまったのですが、もともと草加市保健センターが生活習慣病予防の取り組みで頑張っていたことがきっかけで、埼玉県のモデル事業の対象となります。髙橋さん、なんかやりましょう!手伝いますから!と、埼玉県国保連合会から熱意あふれる援軍がやってきました。
 ここで、当初の議論の中で、発想の違いが現れます。
 最初に提案されたのは、受診料を無料にしましょう、受診していない方に何度も手紙を送りましょう、とか、でした。確かに、課題があれば、ルールや制度にメスをいれるのは正しいことではありますが、僕は、少し引っかかりました。そこにはエビデンスがない、と。
 始めて2年目ぐらいの事業で、そもそも受診しない理由もわからない、なのに受診料がかかるからだ、知らないからだとジャストアイデアの対策を実行するのはおかしい。
 さらにいえば、そもそも生活習慣病の予防は、自律的に生活習慣を改善しなければ実現しない、であればいま必要なのは。動機づけでしょう。意味があると思えば、受診料がかかるとかは、課題にはならない、と。それでも動かないときに原因を精査して制度やルールにメスをいれるべきではないか、そう考えたのです。
 さてどうするか、僕は思考回路が営業マンですから、思いつくことは一つ。チームを組んで、特定のエリアに絞って、受診していない方を一人ひとり訪ねて、話を聞き、動機づけをする。受診する方を少しずつ増やしながら、広報活動を並行させて、ムーブメントを起こそう、と。
 埼玉県国保連合会と獨協医科大学、そして草加市の合同チームを編成して、暑いさなかに一軒一軒訪ね歩きました。
 お話を伺うと、多くの方が現状の健康状態に特に問題がないから、日常の中で健診の優先順位が低いだけだったのです。それには将来への不安をあおる(笑)ことで背中を押していきましたが、人が人のことを心配して問いかけるから心が動くのであって、決してダイレクトメール一つで代替できるものではない、ということが合同チームの仮説通り少しずつ結果に繋がっていきます。
 エリアを絞ったこともあり、全体としては統計的に有意だとわかる程度でしたが、不可能だといわれた受診率が向上していきました。そして、県内の先進事例としてご紹介する機会をいただいたりしながら、率直に言えば、受診率の向上についてあきらめムードだった各基礎的自治体が、共同しながら大型ショッピングモールや駅のコンコースでイベントを開催したりと、受診率の向上に向けた機運が高まるきっかけにはなったのかな、と思います。
 市民が自らのこと、家族のことを思い、行政は行動の後押しをする仕組みを用意する。仕組みを活かすためには、そのきっかけとしての動機づけに行政は全力で汗をかく。この取り組みのエッセンスを一言でいえば、こういうことだと思います。
 この後、後任の志ある担当者の皆さんによって、仕組みが抱えた課題もエビデンスが伴って顕在化し、引き続き改善が進められています。

〇同じアプローチで、「リノベーションまちづくり」へ
 次に配属されたのが産業振興課、早いもので8年間、未だに在籍しています。
 「中心市街地を再生せよ」と、当時のトップからオーダーをいただき、中心市街地活性化基本計画を作成する、しないから始まったこのプロジェクトも、「リノベーションまちづくり」に出会い、行政主導から民間主導のまちづくり、市民自らがほしい暮らしをつくる、という施策にシフトチェンジしていきました。
 ここでも僕の最初の役割は動機づけ。きっかけづくりです。そしてその後、市民の皆さんが思いを実現する際にそれを支える行政の計画と体制づくり。特定健診受診率の向上とリノベーションまちづくりへのアプローチは全く変わっていません。
 地域プレイヤーや重鎮の皆さんと、全国初の専門セクションとして設置した「リノベーションまちづくり推進係」の皆さんの熱意と行動力ががっちりかみ合い、4年の間に次々に都市経営課題の解決に繋がるビジネスが誕生し、先進地と呼んでいただけるようになりました。詳しくは、絶賛販売中の「公民連携ケーススタディブック2019」に特集が載っていますので、ぜひお買い求めください。
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 こちらに書いていないその後のことを少しだけ追記しておくと、今「そうかリノベーションまちづくり」は次のステージに進んでいます。2つ目の対象エリアに取り組みを拡大する、公共空間の利活用、特に道路空間の利活用にむけ、都市再生推進法人制度の導入や道路指定の廃止など、民間プレイヤーが活動のフィールドを拡げやすくなるよう制度改善を進めています。志ある民間プレイヤーが行動によりエビデンスをつくり、それに応えて市役所がルールを創設したり、改善する。まだまだ取り組むべき課題は山積ですが、少なくとも市民の皆さんが望む未来の方向に歯車は回転している、と思っています。

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〇基礎的自治体は、意外とクリエイティブ
 僕は、そもそも市区町村という基礎的自治体の職員の皆さんは、市民の役に立とう、地域に貢献しようと思って、この世界の門をたたいていると思います。住民のことを考えたら、改善した方がいいルールがまだまだたくさんあることも知っているはずです。
 そして、ルールが邪魔をしている、というより、ルールがないことが動けない障害になっていることもたくさんあります。
 でも、ルールが変えられない、既存の枠組みから逃れられない。こんな経験の繰り返しの中で、少しあきらめムードになってしまっている、そんな空気を感じることがあります。
 そんな時は視点を変えて、アプローチを変えてみようと思っていただけるといいかな、と思っています。
 いきなりルールそのものを変えようとしても、エビデンスが弱いものを熱意だけでは変えられません。上司も、さらに上司や議会に理解していただくことが必要ですから、それでは「気持ちはわかるよ!」が精いっぱいということもあると思うのです。では、エビデンスはどこにあるか、机の上ではなくて、まちにあるのです。
 自分の頭の中だけで考えず、まちにでる、話を聞き、ニーズとウオンツを捉える、データと照らし合わせて定量的にまとめる。事実を武器にすれば、どこの基礎的自治体の職員さんも本当に優秀ですから、理詰めで組み立てるのはさほど難しくない、と思います。そして熱意です。ここまで事実と理論の裏付けができれば、自信がわき、説得しようという熱意がわいてくるはずです。「根拠ある自信」をぜひ自律的に身につけていきたいです。
 あとは、こんな風に行動していると、都道府県や関係省庁の方の目に留まります。こういう方たちは、そもそも適切なルール作りが仕事だったりしますから、その改善提案には敏感です。そして基礎的自治体に先行事例があれば、それがエビデンスになって、ルールの創設や改善が進んでいきます。
 つまり、ルールは降りてくるものではなく、運用しながら変えていけるもの、なのです。新たに創ることも含めて。
 僕は、どのような部署に行っても、大なり小なり可能な部分があると思っています。こういう心づもりで民間でいえば転職ぐらいの変化を伴っていろいろな部署を渡り歩き、地域の抱える課題を解決することができる。民間企業では味わえない醍醐味ですし、基礎的自治体だから経験できること、だと思います。
 だから、僕は基礎的自治体って、意外にクリエイティブじゃない!って、声を大きくして、これからも基礎的自治体ライフを楽しんでいきたいと思います。
 半生記ならぬ反省記、駄文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

髙橋 浩志郎 
特定非営利活動法人自治経営 監事
草加市自治文化部産業振興課長

1970年東京都生まれ。父親のUターンにより新潟へ。両親以外は多くが教員という家系に育つも、外の世界が見てみたいといいう衝動に駆られ、東京に出たい一心で、東京学芸大学教育学部に進学。案の定教員免許を取得せず、新潟に戻る。教育事業が主体のコングロマリットに就職、コンサルティング営業を通じ、地域活性化の肝はひとづくりであることを実感。教育行政にかかわることを志し、40歳を目前に埼玉県草加市役所に転職。保険年金課を経て、2016年より現職。公民連携手法や事業者連携手法を各種施策に導入し、地域産業の活性化に取り組んでいる。

髙橋 浩志郎
特定非営利活動法人自治経営 監事
埼玉県草加市 産業振興課長