たとえわずかであっても、可能性を信じて前に進みたい
大多数の人が信じている考えが常識となる。
常識とは異なる考えを持っている人のことを、変人、不思議ちゃん、宇宙人、奇人、頭がおかしい、病人と言う人もいる。
目には見えないけれど、存在しているものが確実にあるということを信じられるようになってきた。
地動説を唱えたガリレオの言葉は信じてもらえなかった。
多くの人が信じなかった言葉が、今では常識となっている。
あの人はおかしい。
あの人の言っていることは間違っている。
何を言っているのかわからない。
変な人。
関わらない方がいい。
そうやって遠ざけて排除して、事を荒立てないように、なかったことにして丸く治めて終わりにする。
一見、終わったように見えるけれど、無理矢理封じ込めたものは、どこかで反発的に膨れ上がり、いつか爆発する。
常識という枠を超えた理解不能な考え。
いつしかそれが常識になる可能性もゼロではない。
わけのわからない話をする人が間違っているのか、その人の話を理解しようとしない人たちが間違っているのか。
正解探しをしているうちは、おそらくその溝が埋まることはないんだろう。
溝を埋めたいのなら、することはお互いに歩み寄ろうとすることなんだろうなぁ。
と私ひとり思ったところで、他者に歩み寄る姿勢を感じられなければ、それは叶える事ができない。
その叶えることのできないもどかしい想いが膨らんでいくと、いつしかそれは自分の想いを理解してくれない他者への責め心として、恨みつらみ憎しみという攻撃の形へと変わっていく。
大切な人の心も自分の心も憎しみで支配されていくのを止めたい。
だけど、止める手立てが見つけられない時、その様子を見届けるしかないのかもしれない。
でも、諦めてしまえばそこで終わる。
たとえわずかであっても、可能性を信じて前に進みたい。
その先に希望の光があるって信じて前に進みたい。
弱虫で臆病で諦め癖のある私だけど、手放せるものは手放して、手放せないものは持ったままでもいいので、力強く前に進む!!
決意表明です😄🤸