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「やさしい愛」を探しに飛び込んだ大企業で適応障害に。高橋佳歩さんが見つけた自分らしい世界の作り方。


みなさんこんにちは、高橋佳歩(たかはし かほ)です。
普段は、某大手企業で働いていますが、働く環境に適応できず、今年の6月に適応障害の診断を受けました。

幼い頃から、愛に溢れた環境で育ってきました。
それからずっと”やさしい愛の探究家”として、旅をしたり、歌を歌ったりしています。

だからなのか、どこかで「自分は大丈夫」と思っていました。
けれど、適応障害になって、おまけにうつ気分までついてきて、
そんな自分が見つける「やさしい愛」ってどんなものなんでしょう。

みなさんと一緒に、この記事を通して探究していけたら嬉しいです。

適応障害になった私のこと

適応障害というのは、今自分が置かれている環境に、適応していない状態のことを言います。風邪と同じイメージです。あったかいところから、寒いところに行ったら環境が合わず、風邪を引いてしまいました、みたいな。
なので、環境を変えさえすれば症状が良くなることもあります。

その環境というのが、私の場合は今働いている会社だった、という訳です。
自分の言いたいことや、考えていること、大切にしていることが伝わらない苦しさやもどかしさから、仕事がうまくいかなくなっていきました。

置かれている環境や持っている違和感のポイントなど、適応障害の症状や形は、人それぞれ違うと思います。今回は、”やさしい愛の探究家”である私の場合のお話です。なので、はじめに私が生きる軸にしている「やさしい愛」についてお話しようと思います。


やさしい愛のこと

「自分は幸せになるために生きている」その想いを大切にしてきました。
家族からはたっぷりの愛を受け取って育ちました。愛をたくさん受け取っていることや、ご縁に守られていることを実感しているからこそ、「幸せになりたい!」という想いを強く持っています。

私がずっと大事にしている「やさしい愛」のイメージは、まず愛にはいろいろな形があるという前提で、朝日が昇るときの柔らかな光や、ピンク色の空、親から子に向けられる眼差しをさします。

”やさしい愛の探究家”として、日本中を旅する企画を作ったり、ある時は友人と2人で世界一周に出てみたり、その様子をnoteやSNSで発信してみたりしてきました。
旅先では、名前も身分も分からないにも関わらず、やさしい眼差しを向けてくれる人たちに出会いました。思い返せば、いつもそばにいてくれる家族や友人も、私を信じて愛を注いでくれています。

そんな信じることから生まれる「やさしい愛」に囲まれて生きてきて、旅先で地球と一体化する感覚を知ったとき、私は一度満たされてしまったのです。「ああ、もう大丈夫だ」と。

だから、前から興味があった大企業に就職することにしたのです。周りからは、絶対に向いていないと言われたけれど(笑)。
「やさしい愛」の探究を、大企業でしてみよう。世界中どこにでもあることがわかった「やさしい愛」が、そこにもあったらそれはもう「最強!」だと思いました。


"組織"というモンスターのようなもの

そんな希望のようなものを持って飛び込んでみたら、組織というものはとんでもないモンスターのように感じました。
そしてこのことは、私を1人の地球人として生きることを難しくさせてしまいました。本来であれば、自分が幸せであるためのことをしていればいいだけのはずが、そのモンスターに服従して「組織人」として頑張らなければ”社会”では生きていけない。それが、私には難しいのだと思います。

心の病気は、目に見えづらい分、わかってもらえないことが多々あります。さらに、会社の先輩からの期待や、気遣いを思うと簡単に相談することもできず、気がつけば自分で自分を守ることもできなくなってしまいました。ありえないミスを連発してしまったり、そのミスに気が付くことさえもできない時もありました。
それまでは、ミスをした自分ではなく、ミスしたことを責めることが出来ていたのですが、あるタイミングで私自身がダメなのかもしれないと思い込んで、自分自身を責める日々が続きました。

そんなある日、身体が起き上がらなくなってしまいました。
心より体が、先に悲鳴をあげていたのです。

今まで、自分が大丈夫な状態を保てるようにしてきたたくさんの工夫や、受け取ってきた愛のエネルギーがあってもどうしようもなくなってしまった瞬間でした。

どうしようもない状態は、とてもしんどくて怖いものでした。
だから私は、この状態に名前がほしいと思いました。
名前さえあれば、自分ではなく、その病気だから仕方ないと思える。
最初に、「適応障害です」という言葉を聞いた時、「まさか」と思いつつも「助かった」とどこかほっとしたのを覚えています。

これまでの人生の中でも、「組織人」として輝ける人との違いを感じてきていました。
その違和感に敏感な自分を責めたり、言われた言葉や見えてしまうものに気がつかず割り切ることができたらどんなに幸せだっただろう、と思うこともありました。
自分では、気にしていないつもりでも、敏感な自分と周りを比べてエネルギーを吸い取られていたりする。

けれど、人と比べてしまうときに、ベクトルを他人ではなく自分に向けることができるようになってからは、その違いも仕方のないことだと割り切れた。その時初めて、適応障害の自分を受け入れられるようになりました。


なんだか、違和感がある。でも宇宙一幸せになることをあきらめたくないあなたへ

適応障害になることは、私の中で想定外のことでした。
けれど、そんな自分のことも受け入れることが徐々にできるようになった今、私はどんな風に生きていたいのだろうということを考えるようになりました。

今ある環境に適応できない。けれど、やっぱり幸せになりたい!
そのために私がやってきたことをご紹介します。
ただ、これは私がやってみたことなので、あくまでも参考程度に読んでいただければと思います。

まずは、自分の心の状態を知るために、病名をつけてもらうこと。
私の場合、病名をもらうことで、自分自身を責めずにすむようになりました。病名をもらった上で、会社や周りの人がどんな対応をするのかを見ることも大切だと思っています。
いかなるときも、自分が自分を大切にできる状況を作れること、が重要です。
そのために、自分1人でどうにかしようとせずに病院の先生に客観的な意見をもらうことは、1つの効果的な手段になります。

そして、自分の魂に素直になれる時間を作ること。
すごくリラックスした状態で、これまでに憧れた空間や、やりたかったことを思い出してみます。そうしたら、私は歌を歌いたいんだということに辿りつきました。高校生の頃に行ったライブ会場で出会った愛に溢れたあの空間。その空間を作ることを、歌を通して実現したいと思っています。

今までも、これからも「やさしい愛」から目を背けることはなかったけれど、それを作る手段をたくさん試してきました。大企業で働くことも、その1つでした。けれど、結局のところ私は好きな場所に住んで、歌を歌っていることが自分のエネルギーにとって最適だと気が付いたとき、自分の魂に初めて素直になれた気がします。
これから、夢が叶うことを信じて行動し続けて、叶えたい。24歳になった今、私の夢がやっと始まりました。今、「やさしい愛」を表現するために歌を作って、歌うことに私の魂がワクワクしています。

私には、「やさしい愛」という軸がずっと心の中にありました。
どんなに迷っても、ボロボロになっても、いつでも立ち帰れる自分の信念を持っていた。
だから、適応障害になった今も、そこがぶれることなく、私を支えてくれています。


最後に

自分の感性を信じて自分の人生を歩むには、勇気と工夫が必要だと思います。
社会に出てみてやっと、社会のことがなんとなくわかった今だからこそ、改めて自分の人生を歩み出していきたいと思っています。
こんなタイミングでみなさんと出会えたことがとても嬉しいです!

是非、Original Life Talkのオンラインイベントでも「やさしい愛」のお話しをしましょう。

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8月28日には、高橋さんを話し手に迎えて、オンラインイベント「Original Life Talk」を開催します。
自分らしく生きたい、今ある環境になんとなく違和感がある、そんな想いをもったみなさん、是非一緒にお話ししませんか。
当日は、高橋さんへの質問タイムや、参加者同士の対話の時間も用意しています!
みなさまとお話しできる事をたのしみにしています!

イベントページの参加申し込みフォームよりご応募ください!!

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話し手
高橋佳歩(たかはし かほ)

note:https://note.com/kaho081321

聴き手・編集
関野菜子(せきの ななこ)

note:https://note.com/cororonn

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