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不登校だった過去の自分へ。岩田奈南子さんがカナダから伝える、素晴らしい人生の作り方。

みなさんこんにちは。ジブン研究編集部です。

幼い頃、こんな大人にそばにいてほしかった。
そんなことを考えることがあります。例えば、幼心に感じた疑問や違和感を否定してほしくなかった、とか、自分の興味関心を自由に伸ばしてくれるような選択肢をみせてほしかった、とか。

特に悩みを抱えている時や、大きな壁にぶち当たっている時。幼い私の前に広がる世界はあまりにも狭く、自分ではどうしようもないことばかりでした。


今回、話し手を務めてくれた岩田奈南子(いわた ななこ)さんは、中学生の時不登校になった経験があります。
彼女は、『(不登校になっていた時に)「人生は素晴らしい」と言ってくれる大人が周りにいてほしかった。』と語ります。
そして、自分自身もそう胸をはって言えるようになるための道のりを、少しずつ歩んでいます。


なりたい自分になるために、過去とうまく付き合っていく。
そのための秘訣を、彼女が教えてくれました。

第五回Original Life Talk「不登校と教育−人生は素晴らしい?−」
どうぞ、お付き合いください。


はじめに

はじめまして。岩田奈南子といいます。

私は、中学1年生から約一年半、不登校になりました。
その後、鬱屈とした学生生活を経て、文化と環境を変えるためにカナダへ渡ります。
そして現在も、カナダ・トロントのアパートで5年来の友だちと一緒に暮らしています。トロントでの暮らしでは、色んな国の料理が食べられることや、若いクリエイティブな人たちが多く、エネルギーが充満しているところが気に入っています。

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仕事は、ディスプレイヤーとしてトロントエリアにある4つの店舗を担当しています。季節やローカルのトレンドを反映した商品の見せ方、人の動線の作り方を日々研究するディスプレイヤーとしての日々はとても充実しています。
それ以外では、フリーランスアーティストとして企業とコラボなどもしています。

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この場所には、私が幼い頃に出会いたかったような人たちがたくさんいます。様々な生き方に触れ、私自身も「人生は素晴らしい」と胸を張って言えるように、日々を過ごしています。


私が不登校になるまで

まずはじめに、私がどのような経緯で不登校になったのかをお話しします。

小学校1年生から、父親の転勤や転職をきっかけに、生まれ育った福島から静岡へ、そして茨城へと転々としていました。
その度に転校を繰り返し、文化の違いや言葉の違いに違和感を持っていました。馴染むまでに時間がかかり、子どもながらに苦労していました。家族に話しても「そんなもんだよ」と言われてしまい、もやもやが発散されずに残っていたことをはっきりと覚えています。

大人になってから気づきましたが、家族はみんな気を遣うタイプだったように思います。だからこそ、引っ越しを繰り返すことで家族全員、何かしらの緊張やストレスを抱えていました。
中学に入ったとき、そのひずみが一気にきて、食欲不振や、耳鳴り、不整脈など身体にも目に見えて症状が出ていました。
自分のこと、家族のことを考え続ける重みに、堪えきれなくなっていたように感じます。

そうして私は、学校へ行かなくなりました。


不登校中に感じていたこと

突然学校に行かなくなった私を見て、母親はすぐに精神科の予約をし、連れて行ってくれました。

しかし、その時の私は、自分でもどうして学校に行けないのかはっきりとわかっていませんでした。明確な何かがあったというわけではなく、それまで抱えてきた漠然としたストレスや、小さい体で無理をしていたものが積み重なっていた感覚でした。
なので、病院の先生という知り合ったばかりの大人に分かるはずがない、とあまり自分のことを伝えることができませんでした。

周りの大人に対する諦めと、自分の内面と向き合うことにのみエネルギーを注いでいた当時の私。
しかし、それを変えるきっかけをくれたのもまた、大人の存在でした。

ある日、連絡を取っていた幼馴染や担任の先生が修学旅行に行こうと誘ってくれました。
しかし、自分の思考の中だけで生きていた私は、「ありがたいけど、本当に興味はないし行きたくない」と消極的でした。
すると、近くで励ましてくれていた先生が、「あなたは結局、私たちがいくらあなたのことを気にかけようとどうでもいいんですね」と、少し距離のあるところから私に言葉をかけたんです。その言葉にハッとさせられ、先生や友だちに失礼なことをしてしまっている、と自分を鼓舞するきっかけになりました。
それでもクラスには通うことができず、保健室で自学を続けながら、徐々に学校へ復帰していくことができました。

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未来へ、一歩ずつ

私の幸せを願ってくれた家族や、連絡を取り続けてくれていた幼馴染、手を離さないでいてくれた担任の先生にはとても感謝しています。
そしてなによりも、私自身が自分を諦めることがありませんでした。
友達とも普通に接することができ、人の役に立つこともできていた幼い頃の自分を”本来の自分”として捉えていました。そして、不登校中も自分の上にかぶった埃を払うことができれば、その頃の自分を取り戻せると信じていました。
また、未来のなりたい自分を思い描いていました。
今は理想からはかけ離れている部分もあるけれど、いつかはその自分になってやるというエネルギーに変えることができていたように思います。

学校に通えるようになってからは、未来のことも考えられるようになっていきました。
学びたいことがあったので、進学を考えましたが日本の教育にどうしても違和感を覚えていました。それは、学校という小さな社会で守られている小さな約束事や当たり前を強要される感覚が強かった。
転校を繰り返し、様々な学校の文化に触れ、「変だ」と感じる部分が他の人とずれていると考え始めると止まらなくなってしまいました。不安のスパイラルに入っていく感じです。
他の同級生たちは当たり前にやっているのに、私はいちいち立ち止まっていて「おかしいのは自分なのか」と考え込んでしまいました。
さらに、その増幅していく不安や疑問を誰かに伝えることや表現することはできませんでした。集団の中で孤立することへの恐れや、自分の意見への羞恥心から自分自身を苦しめてしまっていました。
一つ一つの決まりが窮屈でストレスで、自分は社会に居場所なんてあるのかと思っていました。

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思い切って飛び込んだ世界で、出会ったもの

この違和感から、日本で教育を受け続けるのは違うと感じていました。そんな時、母が「留学して環境を変えたらいい」と言ってくれました。
その一言で、私は高校卒業後、単身カナダへ留学することに決めました。


カナダの多様性を受け入れる文化や、英語という言語の性格(日本語よりもストレートに伝えます。)などが運良く私に合っていたのか、調子が明らかによくなっていきました。その時は、もう後には戻れないという覚悟と責任を持っていたこともよかったのかもしれません。
高校生まで続いていた不調のサイクルは嘘のようになくなり、楽しい生活を送っていました。

しかし、やはり海外での生活という全く別の文化の中で落ち込んでしまうことや苦労もたくさんありました。
初めは日本と異なるカルチャーの真新しさに心弾ませていましたが、一度自分が組織や社会の中に取り込まれると、女性として、外国人として、そして日本人としてのアイデンティティが不利に働き始めたように感じていました。どんどん自分を嫌いになって、私と周りの人達の間に再び大きな壁を感じるようになっていきました。

そんな時、一人の女性、リアとの出会いが私に大きな影響を与えてくれました。
彼女とは4年以上前に、現在の職場の面接で出会いました。今も、人生の先輩として、そして友人として大切な存在です。彼女はとにかく、正直な人。「自分の人生だから」と、周りに振り回されることなく心から人生を楽しんでいる姿に、私自身大きな影響を受けました。
リアから伝わってきたメッセージは、「人生は素晴らしい」ということ。
それは、私が中学生の頃に出会いたかった大人の姿、そのものでした。

ここから世界が広がっていきました。不器用かもしれないけれど、自分の人生を生きていたり、歳をとっても同じ悩みを抱えていたりする人に出会い、私もこのままで大丈夫だと思うことができました。
私自身の中では、「人生は素晴らしい」と信じることはできています。次は、若い人たちにこれを胸を張って伝えらえるようになりたいと思っています。

中学生時代の私は、建前とか綺麗事じゃなく、生きている素晴らしさを体現している大人に出会いたかったのだと思います。周りにいた大人の持っている価値観と、私のゴールが違うように感じていたのかもしれません。
色々経験して自分の目で世界を見て、「人生は素晴らしい」と実感を持って言ってる人に会ってみたかった。先生やお医者さんではなく(自分が必然的に下位になってしまうので)、立場や職業を超えて話せる大人と出会いたいなと思っていました。

自分が不登校という脱線状況にあったので、こんな“普通じゃない”自分でも活躍の場がある社会であってほしいという願いを持っていたのかもしれません。

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最後に

いつか若い人たちと一緒に、カッコいい空間で絵を描きたいと思っています。強制や押し付けからくる“創作”行為じゃなくて、その場の時間と体験を共有することに重きを置いた場所で自分の感性を信じるままに。
たくさん変化しながら生きていい。そして「人生は素晴らしいって思うよ!」と笑顔で伝えられるように、自分をもっと磨いていきたいと思います。


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最後まで読んでいただきありがとうございました。
今回のインタビューは、人生を通してなにを信じたいのか、私自身考えるきっかけになりました。

人生の道をどんな風に歩むのかは、本当に人それぞれだと感じます。
世界はとても広い。想像できないような生き方をしている人も、たくさんいます。
一見、道を外れてしまったように思えても、それも自分の道だと思うことができればきっとまた、歩き出せると私は信じています。

これからも、自分が幸せと思える人生を精一杯生きていきたいです。
そんな勇気と励ましをくれたななこさんに、改めて感謝しています。


ななこさんのお話をもっと聴きたい方は、イベントへのご参加お待ちしています!
不登校を身近に感じている方や、自分の生き方に迷いがある方、教育に関心がある方など、ぜひ一緒に対話の時間を持ちましょう。
みなさまにお会いできることを楽しみにしています。

イベント参加は、
以下のイベントページ内応募フォームよりお願いいたします!
https://www.facebook.com/events/622241865159664/


聴き手・書き手
関野菜子(ジブン研究編集部)
聴くこと、書くことが好き。「心地よい生き方」に興味があります。
毎日noteはじめました!(https://note.com/cororonn)

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