自分を認めるためにやった3つのこと
この先の人生をずーっと「自分」と共に生きるのに、その「自分」を認められない。受け入れられない。
前回のnoteで「自分が嫌いすぎて苦しいのは、自分の心と頭がいがみあっているから」と書いた。
今回はそこから一歩進んで、では、自分を受け入れてあげるにはどうしたらいいの?というところについて、わたしが考えながら実践してきたことを。
【ウォームアップ】「認められない自分」に気づくことが第一歩
大前提として、前回のnoteにも書いたように「自分のことを認めないと!」と思うのはただ自分を追い詰めるだけで、自分を認めることにはつながらない。
むしろ、まずは「自分を認められない"自分"」を認識することが、最初の一歩なんだと思う。
そして、このnoteを読んでくれている時点で(過去のわたしの場合「自分を認める」について考え始めた時点で)、もうその一歩目は踏み出している気がする。
そして、そこから、もう一歩。
どういう自分が認められないのか、自分の何に満足できていないのか、なぜ受け入れられないのか。それらを書き出して、眺めてみる。
その「認められない要素」を悲観するのではなくて(自分が嫌いなので、簡単に悲観モードに入ろうとするから注意)、こう声に出してみる。
「こうして認められないのも、仕方のないことだよなあ」
だって、自分はこれまで、生きていくために必死に正しくあろうとしたんだもの。
みんなから外されないように、親から置いてかれないように、「自分を変えよう」と必死だったんだもの。
これまでずっと、そうやって生きてきたんだもの。
まずは、ここがスタートなんだと思う。
・書き出して
・眺めて
・声に出す
この3つは絶対にやってみてほしい。
声に出すの、ちょっと恥ずかしいかもしれないけれど、心の中で唱えるのとは全然違う反応を、自分の身体がするはずだから。
まずは自分の心の動きを、じっくり観察してみること。
【自分を認めるSTEP1】自分の中に「聴く自分」と「話す自分」をつくる
自分を認める方法を調べてみると、「前向きに捉え直してみる」とか「自分を肯定してみる」とか書いてあるものが多かったのだけれど、正直なところこれらはわたしには難しかった…。
なぜなら、そもそも前向きじゃないし、無理に肯定しても「認められない自分」と「認めようとする自分」が乖離していくだけで、もっと苦しい感じがして。
わたしが自分のことを好きになれないのは、そもそも「頭」と「心」の仲が悪いからで(前回note参照)。
だとしたら、それらをより乖離させるような方法ではなく、「頭」と「心」の言い分を聞いてあげることが、その仲間割れの仲裁に入る唯一の方法なんじゃないかと思った。
ということで、やってみたのが「自分の本音を聴く」ということ。
自分で自分の本音を聞き出すのはなかなか難しいので(しかもこれまで本音を無視してきたのだから、なおさら)、「聴く自分」と「話す自分」を頭の中でイメージしてみる。
「話す自分」の方には、理性による「すべき」思考の「頭」と、本来の自分の素直な言葉を話す「心」のどちらも置く。
一緒に置くとまた「頭」と「心」の言い合いになり、「頭」が勝利してしまうので、別々に話を聴くことが大事。
そして、「聴く自分」は絶対に否定しないこと。
大切な人の話を聴くときみたいに、相槌を打って、相手が話しやすいように意識する。肯定できなくてもいい。でも、否定だけは絶対にしない。
話を聴くための方法としては、わたしはノートに書き出したり、夜寝る前に目を瞑って「話す自分」をイメージし、さまざまな質問を投げかけて、話を聞いたりした。
これをやってみて思ったのは、「ああ、自分って話を聞いてほしかったんだな」ということ。ずーっと無視してごめんね、とも思った。
ずっと無視したり蔑ろにしたりしてきたので、最初はなかなか本音を話してくれない。
でも、「どうしてそう思うの?」と根気よく聞いてみたり、「つらかったよね」「頑張ったね」とねぎらったりしていくことで、徐々に本音を話してくれるようになる。自分との関係性の構築だって、友達やパートナーなど大切な人との人間関係と同じ。
【自分を認めるSTEP2】主語を「自分」に戻す
ある程度本音を聞き出せるようになったら、今度は「頭」が話す「みんなやってるからするべき」とか「世間的にはこれが当たり前」とか、そういったことの主語を「自分」に変えて考えてみる。
例えば、こういうこと。
「みんな会社に就職するんだから、するべき」
→「みんなはそうかもしれない、でも自分はどう思う?」
理性や他人基準で考えるとき、たいてい主語は「みんなは」「普通は」だったりする。
その主語を「自分」に変えて、それらに対して自分はどう思うのか、考える。
これは、思考の歪みを捉えることにもつながると思う。心理学で言えば、認知行動療法というものと近いのかもしれない。
自分を認められない"自分"は、「自分の考え」と「自分以外を主語にした考え」をごっちゃにしていたりする。
そして、「普通は」とか「みんなは」といった主語の事柄を、なぜか「だから自分もそうすべき」と考えていたり。
でも、本当はそうじゃないはず。
みんなの人生と自分の人生は別物だし、“普通の人生“を歩まなきゃいけないなんて決まっているわけじゃない。
いつだって自分の人生の主語は「自分」でいい。だって自分の物語だから。
だから、主語である「自分」を取り戻す。ここはわたしにとって、そんなステップになったと思う。
【自分を認めるSTEP3】自分の思考を少しずつ優先していく
ここまでくると、「自分」が本当は何を望むのか、どうしたいのか、少しずつわかってくる。
(ここまでくるのには時間がかかるので、ゆっくり、自分との関係を再構築する気持ちで、ていねいに進もう)
「普通はこうだけど、自分はこう思っていて、本当はこうしたい」
「みんなはこう言ってるけど、本当はこっちに行きたい」
そんな「自分の本音」を、少しずつ優先してみる。小さなことからでいい。
例えばわたしの場合、「お昼は会社のラウンジで他の女性社員と食べるのが当たり前だけど、自分は本当はひとりでゆっくり食べたいから、カフェに行きたい」という気持ちを優先して、週に1回は必ず外に食べに行ったりした。
(そんな小さな本音すら優先できていなかったほど、わたしは自分の本音を無視して「普通はこうすべき」に縛られていた)
いきなり大きな行動に出たり、誰よりも自分を最優先にし続けたりするのは、なかなか難しいと思う。
でも、少しずつ。できるところから。
そうすると、いつの間にか「自分を優先すること」もできるようになってきて、それが「自分の思考を認めること」と、ひいては「自分の存在を認めること」につながっていったのだと思う。
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まとめると、
1)自分の話を聴き
2)自分を主語にして
3)自分を少しずつ優先していく
つまりは、自分を大事にすることを、自分に許す。
自分を認められないことの何がつらいって、たぶん、自分を大事にできないところなんだと思う。
自分を認められない、だから自分は大事にされる価値がない、大事にするような存在じゃない。
そうやって卑下し続けて、自分が拗ねてしまった状態が「自分のことが嫌いすぎてつらい」だったのかもしれない。
同じように悩む人の参考になりますように。
明日は、また一歩進んで「自分を活かして自分らしく生きるには」について書きます。良かったら、また読みに来てくださいね。
おわり
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今回書いた「自分を認めるためのステップ」は、じぶんジカンSHOPの「自己探索ノート」に、よりくわしいワークとして形にしています。
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