自分が嫌いで苦しいとき、自分の中で起きていたこと&その対処法
自分が嫌いすぎて、苦しい。生きるのがつらい。しんどい。
暗い言葉から入って申し訳ないのだけど、これらはすべて数年前にわたしが思っていたことで。
この社会に、そして生きること自体に、向いてない。どうしたって自分を好きになれそうもないし、そのせいで毎日生きづらい。
周りのみんなは、こんなに苦しくないのかな。どうしてみんなは楽しそうなのに、わたしだけこんなに苦しいのかな。
そこから今まで、わたしはどうにか試行錯誤して生きて、「そんなに自分のことが嫌いじゃない」というぐらいにはなった。
どんな道のりを経て「自分が大嫌いでつらい」が「そんなに嫌いじゃないし、つらくない」になったのか。
今回は、これまで考えてきた「自信」や「自己肯定感」について。
自分が嫌いで苦しいときはこんな状態だった
「自分が嫌いすぎて苦しい、生きるのつらい」と感じていたのは、社会人になってすぐの頃。
それまでも中学高校大学と「集団の中で生きるの向いてないな」と思いつつ、今思えばそれなりにうまくやっていたと思う。いじめにあったりもしたけど、友達もいたし、人といるのが嫌なときは一人で行動して、生きづらいなりに気ままに生きていた気がする。
ただ、会社に入ってからはそうもいかず、もう最初からずっとつらかった。
何をやっても自己嫌悪。同期や先輩と自分を比べて落ち込み、できない自分、誰にも必要とされない自分を、どんどん嫌いになっていった。
あのときは本当に、生きているのがつらかった。
自分が嫌いすぎるときに起きていたこと
自分のことが嫌いすぎてあまりに苦しかったので、「どうにかしたい」と考えた。
変わらなきゃ、今の自分のままでは、自分の首を絞めるだけだ。
――でも、今思えば、この「変わらなきゃ」がいけなかったと思う。わたしの場合。
わたしはますます自分が嫌いになった。認められない、受け入れられない。自分が自分として生きていくのが、つらくなっていくばかりだった。
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そこから今までもがきながらも考え続けてわかったのは、「自分が嫌いすぎて苦しい」という状態は、自分の中で「心」と「頭」がいがみあっていたからではないか、ということだった。
自分の中に「心(=気持ち)」と「頭(=思考)」という2つの人格をイメージすると、わかりやすいと思う。
心と頭のそれぞれが得意なことは、以下のようなことだ。
どちらも必要なものだと思う。どちらが欠けても人間生活が成り立たない。
そしてきっと、自分のことが好きなひとは、「心」と「頭」の仲が良いのだと思う。
「自分が嫌いすぎて苦しい」頃のわたしの中では、この2つがいがみあっていた。
「心」と「頭」の仲が良くない場合、たいてい喧嘩で勝つのは「頭」だと思う。「頭」はいつだって「心」を論破できる。すべてを否定できるから。
「心」は、何も言えない。だって、小さな子どものように、素直に気持ちを言葉にしているだけだから。
「みんなやってるんだから、やるべき!」「ふつうはこうなんだから、こうするべき!」「そんなこと考えるなんて、世間の常識的にありえない!」
そうやって、"「頭」が「心」を論破する" を繰り返していく。
「今の自分」の否定=「自分が嫌いすぎて苦しい」
話しが通じないあまりに、「心」と「頭」はお互いを忌み嫌っていく。
そのうちに、話そうとも、本音を言おうとも、向き合おうとも思わなくなる。
そしてその「心」も「頭」も自分だから、つまりは自分が自分をどんどん嫌いになっていく。
極めつけは、「自分が嫌いで苦しい」と悩む自分(=心)に対して、「頭」が放った一言。
「自分が嫌いでつらいのなら、好きになるべき!」
好きになれない今の自分がいけない。多くの人ができているんだから、自分も自分を好きになるべき!
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つまりこれらはすべて、「今の自分」への否定の言葉だと思う。
「今の自分」はダメで、嫌われて当たり前で、だから変わらなければならない。
でも、そうじゃなかった。本当は違った。
「頭」が「心」を否定するように、「自分の本音」を否定してばかりでは、いつまでも自分のことを好きになんてなれっこない。
自分が嫌いで苦しい状態を抜け出すには
そう考えると、この苦しい状態を脱するのに必要なのは「今の自分の否定」ではなく、「心」と「頭」がお互いの話を聞き、適切なバランスに戻ることだと思う。
つまり一言であらわすと「自分と向き合うこと」。
その先にしか、自分を認めることとか、自分らしく生きることはないのだと思う。
ということでわたしは、「自分が嫌いで苦しい」状態から抜け出すために、とことん自分と向き合った。
「心」の言うことも、「頭」の言うことも聴いた。
「頭」がなぜそのように思考するのか、その背景にはどんな想いがあるのか、そこまで「心」を追い詰めようとするのはなぜなのか。
そして「心」は本当は何を思っているのか。「頭」から抑圧されて小さくなってしまった「心」を見失わないように、そっと。
どちらもていねいに、丹念に、やさしく聴く。
それでも、「今の自分の否定」をやめるのは、なかなか難しかった。時間がかかった。
でもそれらは無駄じゃなかったと、今は思う。
だって、わたしは「心」の声も「頭」の思考も、今はどちらもちゃんと聴けるし、何より自分のことが嫌いじゃないから。
自分が嫌いで苦しい状態を脱するための、わたしの結論
結論、「自分が嫌いで苦しい」を抜け出すのは、なかなか難しい。でも、できる。
まず、今の自分の否定から入らないこと。自分の「心」と「頭」の声を聴き、整理してみること。
ノートを開いて、いや、もう裏紙でもコピー用紙でもなんでも良いから、つぶさに書き出してみる。そうやって自分から切り離して、「心」と「頭」の声として認識してみる。
つまりは、自分を知ること。
それがまず、その苦しい状況から脱するための一歩になるから。
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ここまで読んで「もっと簡単に解決してくれる方法はないのかな」と感じるんじゃないかな、と思う。わたしもそう思ったから。
ただ、これだけはハッキリと言う。そんな簡単な答えは、なかった。
だって答えがあるとしたら、それはノウハウとして広がっていくはずで、そうしたらこの悩みを持つ人って、そもそもいなくなるはずだから。
だから、わたしには「わたしがやったこと」と、その状況から脱するための「問い」しか渡せないのだけど、それが同じように苦しむ人にとって、何かのきっかけになったら嬉しいな。
次のnoteでは、一歩先のステップとして「自分を認めるには」について、書いてます。良かったら、また読みにきてくださいね。
おわり
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