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頭のなかにある思考のエッセイ

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自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
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「あの人も経験しているんだ」が心の支えとなって

自分ひとりでは抱えきれない心の苦しさや悲しみに、押しつぶされそうになった時。 いつも助けてもらったのは、「あの人も経験しているんだ」という、『誰か』の存在だった。 学校に行きたくなくて休んだ時期も、会社を適応障害で辞めた日も、手術のために入院した時も、インターネットの中で見つけた「自分と同じ経験をした誰か」の言葉に励まされてきた。 「他にも同じ悩みを抱えている人がいるのだ」と孤独感から解放され、自分より先に経験した人の言葉に希望を見出す。そのたび、インターネット上に記録

「誰かが気にかけてくれる」という心の栄養

「誰かが自分を見てくれている」というのは、けっこう心の栄養になっていると思う。 わたしはその昔「自分なんて誰からも必要とされていない」と思い込んでいた時期があった。8年前にこんなブログを書いているから、それよりも前のことだ。 というよりそもそも、なぜだか小学生の頃からずっと「独りぼっちだ」という恐怖感にも似た感情を抱いていた。母子家庭ゆえに家にひとりで居ることが多かったのもあるかもしれない。「いましんじゃっても、だれにもきづいてもらえないし、だれもないてくれないかも」なん

心が叫ぶ、「もっとゆっくり生きたい」と。

工房の庭でのほほんと空を眺めていたら、観光客らしき年配の女性が歩いてきて、目があう。 道ゆく人に「こんにちは」と声をかけるようになったのは、都市にいた頃との大きな違いだ。挨拶に続けてそのお姉さんは言う。 「この人懐っこい猫ちゃん、飼われてるんですか? かわいいですね」 お姉さんが指をさす方向から、にゃあと声がする。このあたりは猫が多く暮らしていて、おそらく誰の飼い猫ということでもないので、そのことを伝える。 「かわいいですねえ」 「日向ぼっこしてたんですかねえ」 猫

「働く」に対する思考のブロック

この文章がさらりと「まあそうだよね」と受け取れるとしたら、きっと大きなバイアスが、わたし達にかかっているのだろうなと思う。 仕事は大変なもの。我慢が必要なもの。だからこそ、その対価としてお金が払われるもの。そんなバイアス。 たしかにそういう側面もある。働いていれば大変なこともあるし、我慢が必要な場面もある。でも同時に仕事は楽しいものであり、わくわくすることであり、休日まで待たずとも毎日おもしろみを感じられるものであったって良いのだ。 というか、人生の大きな部分を占める「

「わがまま」だって、工夫すれば「生き方」に。

心がめちゃくちゃ疲弊し、ぐったりしていたここ最近。 静岡県・伊豆高原に工房を移転して、一ヶ月が経つ。 とても穏やかな場所で、鳥たちのさえずりに囲まれて過ごす日々は本当に気持ちがよく、新たにすてきな人生が始まったなと感じている。 それなのになぜ心がすり減っているのかというと、「安心して一人になれる時間」が圧倒的に不足していたからだ。 入居した店舗の設備の点検や、カフェ内装の打ち合わせなどで毎日誰かしらがやってくることと、補助金の申請や行政とのやりとりで一日何本も電話が入

自分を褒めてあげるための秘訣

物心ついてからずっと「もっと頑張らないと」と思ってきたので、自分に対して「まだまだだぞ」「もっと努力しなきゃ」と常に声をかけ続けた。 頑張っても、努力しても、なんだかまだ足りない気がして、「やってきたこと」には目もくれず「できていないこと」にばかり意識が向く。上ばかり見て、今とこれまでの自分を蔑ろにする日々。 自分が自分を認めていないこと、頑張っても労ってもらえないことは、思っている以上に心のダメージとなり、わたしの自己肯定感はずぶずぶと下がっていった。 ただ、心の奥底

ずっと「愛を受け取る」ができなかった

「世のため人のため」という気持ちで動くことが、これまでほとんどなかった。 そういうモチベーションで活動する人のことを「すごいなあ」と尊敬しつつ、わたしにはできないと思っていたし、まあ「自分のため」を最初に置いたとしても、それは結局めぐり巡って「自分が健やかに生きられる社会のため」「自分が大切な人のため」になっていくから、それで良いと思ってきたし、今もそう思っている。 しかし最近、どうやら少しずつ自分の内部が、変化していることに気づいた。 なんだか少し「世のため人のため」

「これ、やらなくても良かったな」の方がいい

引っ越しを間近に控えた夜、心にじわじわと不安が広がるのを感じていた。 神奈川県の辻堂に越して来たときには、味わっていない不安。辻堂はそれなりに都会で、昼も夜も道には誰かしらが歩いていて、街灯もあって、割と頻繁にコンビニもあるような場所だった。だから「都市よりもちょっと自然がある場所」に、ふらりと行くような感覚だったのだ。 しかしこれから「そうではない場所」に行くのだと思うと、楽しみな反面、本当に大丈夫なのだろうかと思った。 はじめての地方移住。行く先は静岡県の伊豆高原。

時間に追われず過ごしたいのに

「時間に追われず過ごしたい」と願うのは、自分が時間を気にしすぎる性だからなのだろう。 ある一日。わたしは急いでいた。 お気に入りのパン屋さんでベーグルを買いたくて、そのあとカフェに行ってのんびりしたくて、それなのに午前中の仕事が押してしまい、焦っていた。 急いでいた理由は、「早く行かないとパンが売り切れちゃう」と「早く行かないとカフェが混んで席がなくなっちゃう」である。 それでドタバタと家を出て、パン屋さん経由でカフェに行ったものの、すでにパンは完売。カフェも満席。

当たり前は、ひとつじゃない。

伊豆高原の朝。お店となる物件の掃除中、一息つくためにウッドデッキに出てコーヒーを飲んでいると、たまたまお隣の戸建てから出てきたおじいさんと目が合った。 正式に引っ越してきてから挨拶に行こうと思っていたので、急に顔を合わせたことに戸惑い、焦る。「おはようございます、隣に越してくることになりました」と簡単な挨拶を交わしたあと、突然のことに慌てているわたし達とは裏腹に、上品な白髪のその男性は、ゆったりと微笑みながらこう問いかけた。 「ええっと、永住ですか?」 わたしは「永住」

大人になってからの「友達」のはなし

ここ数週間は、人と会う機会が多かった。 会いたい人に会いに行ったり、遊びに来てくれる人がいたり、オンラインでしゃべったり。普段あまり人と関わるタイプではないわたしにとっては、珍しいことだ。 もともと友達が多い方ではなかった。親しい人が数人いれば十分。幼少期からずっとそんな感じだったけど、23歳でいったん人生をリセットした時にLINEも含めあらゆるSNSを消してしまったので、20代中頃は特に人間関係が乏しく、端的に言えば友達は0人だった。 そもそも「友達」の定義が、ずいぶ

ガラリと暮らしを変える年

引っ越しが決まった。 人生で13回目の引っ越し。34歳という年齢から計算すると、2〜3年置きに住まいを変えていることになる。きっと前世は遊牧民で、その名残なのかもしれない。 次の住処は、静岡県伊東市。 35歳は人生のターニングポイントだと勝手に思っていたので、ついにその幕が開く。 いま暮らしている神奈川県の辻堂は、これまでで一番気に入っている街。どうしてもこの街に住みたいと思い、3年前に越してきた。だから正直、ここを離れることにだいぶ寂しさがある。 海街のゆるい雰囲

「とりあえずやってみる精神」をインストール

「とりあえずやってみる」をとても大事にしているのだけど、そうやって意識しているということは、もともとの自分は「とりあえずやってみる」ができない人間だということでもある。 10年前のわたしは、めちゃくちゃ保守的で、腰が重くて、失敗を恐れて挑戦ができない若者だった。 友達の「あんなのあり得ないよね〜」を間に受け、親の顔色を伺い、なんとかして道を外れないよう、"ふつう" を装うことに必死。 そんな自分が嫌いで人生をリセットし、新しい自分を構築しようと思ったときに、まっさらな自

「ちゃんとしなきゃ」を、もう少し手放して。

「ちゃんとしなきゃ」の気持ちがずっと強い。生まれつきの性格なのか、長女だからなのか、いろんな要因の複合なのか。 「ちゃんとしなきゃ」とは、例えば、上手く進めるために自分ができることは全部やっておきたいとか。想定できるリスクは事前に回避しておきたいとか。大切な人たちをガッカリさせたくないとか、後悔したくないとか。そんな思考のこと。 とはいえ、わたしはこの「完璧主義」に助けられて生きている。人生の端々で「ちゃんとしたいと思うわたしだからできたこと」がたくさんある。だから、完璧