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当たり前は、ひとつじゃない。

伊豆高原の朝。お店となる物件の掃除中、一息つくためにウッドデッキに出てコーヒーを飲んでいると、たまたまお隣の戸建てから出てきたおじいさんと目が合った。

正式に引っ越してきてから挨拶に行こうと思っていたので、急に顔を合わせたことに戸惑い、焦る。「おはようございます、隣に越してくることになりました」と簡単な挨拶を交わしたあと、突然のことに慌てているわたし達とは裏腹に、上品な白髪のその男性は、ゆったりと微笑みながらこう問いかけた。

「ええっと、永住ですか?」

わたしは「永住」という言葉にピンとこず、一瞬固まる。どう返答するかを決めかねているわたしに、おじいさんは優しい口調で「わたしはここが別荘なので、隔週ぐらいでしか居ないものですから」と付け足す。それでようやく「あ、別荘なのかどうかを聞かれているのか」と理解し、事務所として使うことと、近くに別に住居があることを伝えた。

新しい拠点の静岡県・伊豆高原は、自然豊かな別荘地。定住している人もちらほら居るが、おそらく半分以上は別荘利用なのだろう。

わたし達が工房とお店を構えることにした建物も、かつて別荘として使われていた平家だし、両隣の豪華な戸建ても別荘らしい。

これまで暮らしてきた東京や千葉、神奈川では、引っ越してきた時に「永住・定住かどうか」を問われたことはなかった。その地において「そこが定住地である」ことは、一般的に「当たり前」とされることだったからだ。

しかしここ伊豆高原では、永住であることは、当たり前ではない。

それが形となって現れた「永住ですか?」という質問が、新しい世界への合言葉のようで、なんだかわくわくしてしまう。

日々が息苦しく感じるとき、それは「当たり前」が自分を締め付けていることが原因だったりする。

その場所やコミュニテイにおける「当たり前」。国や地域、学校や会社、一緒にいる人達によってつくられた「当たり前」。

それが自分にフィットしていて、心地よければ問題ない。けれど自分に合わずに生きづらく感じることだってある。

そういうときは、この「当たり前」は現在居る場所での「当たり前」なだけで、一歩外に飛び出せばまた違う常識や思考があるのだと気づけると、「この場所で永遠に生きていかなければならない」なんて思わずに済むから、少し心が楽になる。その気になれば、自分次第で外に踏み出すこともできる。

きっと多くの人が経験していると思うけど、旅をしたり、新しいコミュニティに入ったり、転職や転居をしたりすると、「当たり前」の違いを実感しやすい。わたしが学生の頃、たくさんの大人から「今のうちにいろんな場所や国を旅してみると良い」と言われたのはきっと、それを伝えたかったのではないかと思う。

お店を構える伊豆高原は、知らない鳥の声が聴こえ、リスが木をのぼり、別荘利用の人と定住の人が入り混じり、夜は東京では見えない星が空で煌めく。

この地の「当たり前」は、わたしには新鮮に響く。

またひとつ、新しい世界をのぞくような気持ちで、新鮮な「当たり前」を自分の引き出しに追加していこうと思う。


おわり


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