永松ひさこ

ジストニア患者さんに向けて、客観視の大切さを伝える活動をしています。 眼瞼けいれんから…

永松ひさこ

ジストニア患者さんに向けて、客観視の大切さを伝える活動をしています。 眼瞼けいれんから全身性ジストニアへと進行した私の症状。 しかし、回復し始めたのは、自分や病気を客観視するようになってから。 客観視も一つの治療法である。 そう広く受け入れてもらえるよう、発信をつづけていきます!

最近の記事

自分と向き合いたくても、できない気持ちがわかるから

私の眼瞼けいれんは、2006年の年末から始まりました。でもこの年を振り返ると、結構色々なところに遊びに行っていたようです。 3月 湯河原 4月 野球観戦 5月 USJ 8月 旅行 9月 野球観戦 10月 サッカー観戦 11月 ズーラシア、旅行 この年の3月に転職したことが大きかったと思います。 退職の理由は、いつも体調不良 それまで勤めていた会社は、2社とも遅くまで残業があったんです。どちらも体調を崩して退職。なので忙しい仕事に就くのは、もうやめようと思いました。

    • 笑顔を作るのが苦手なのは、身体に問題があったから

      写真は2006年当時の私。社会人3年目。一緒に写る友だちと比べると、上体や首を傾けてポーズを取っているような。でも、まだジストニアは出ていません。と言っても、この年の年末から眼瞼けいれんが出始めるのですが。 笑顔って大変 私は昔から、笑顔を作るのが苦手でした。なんとなく、顔がゴムのように硬くて、自然な表情が作りづらかった。笑うためには全身に力を入れる必要があって、学校帰りはいつも疲れていました。 年齢が上がるにつれて、その傾向は強くなるばかり。でも、他の人も同じなのだ

      • 私のライフワークは、病気の経験を活かして人生と社会を豊かにすること

        数年前、いよいよ体調が上向き始めた時、翻訳の仕事をしようと思い立ちました。だけど、心の電池が切れてしまいました。 ●働きたいのにストレスに負けてしまう 実を言うと、働いていて心の電池が切れる経験をしたのは、これが初めてではないんです。ジストニアになる前から、そうだった。 新卒から発病するまでの2〜3年の間に、3つの会社を渡っています。いずれもストレスが原因で退職しました。 働くことへの興味は、学生の頃から割とあったんです。ジストニアになってからも、働きに出る未来を想像

        • 私が心の内を話せるようになったのは

          私はジストニアになる前も、なってからも、心の内を人に話すことはほとんどなかったように思います。 ジストニアについては話せました。それに伴う悩みごとや困りごとも話せました。 でも、心の奥を明かすことはしませんでした。 なぜ話さなかったのだろう。 ●幼い頃からの気持ち 私は幼い頃から、何となくいつも不安を覚えていました。不安と感じるか感じないかの、本当に居心地の悪い不安。何か変という感じです。 理由が分かっていれば、対処することができたかもしれません。不安にさせる物事

        自分と向き合いたくても、できない気持ちがわかるから

          焦点を当てるのはすべての経験〜今も過去も、心も身体も

          ●誰の役に立ちたい? これから社会に出て活動するなら、 まずは過去の自分に役立つ存在になりたい。 そこは最初からブレない考えでした。 じゃあ、どんな人がいたら 過去の私は救われただろう? 日記に、 いろいろな職業を挙げてみました。 カウンセラー? 違う 医者? 違う コーチ? 違う メンター? 違う 心と体を診てくれる人? そう…かもしれない。 でも、もっと こんな人! と、ぴたっと来る人がいるはず。 ふと、 体験者が頭に浮かびました。 そうだ。 過去の私

          焦点を当てるのはすべての経験〜今も過去も、心も身体も

          ジストニア経験者として、全身を見る大切さを伝えたい

          ジストニアが回復してきて、 その経験を今後に活かそうと思っています。 でも、病院探しのコツ。 生活習慣を見直すコツ。 症状を客観視するコツ。 そういうことは 目に見える部分のアドバイス。 いわば、表面的。 それも大事だけど、 それだけではジストニアに太刀打ちできないと思っています。 目に見えない心の部分こそ大事。 見える問題と見えない問題の 繋がりが、私にとって とても大事なテーマなのではないか? そう思っています。 ●自分責めした過去 過去を振り返ってみる

          ジストニア経験者として、全身を見る大切さを伝えたい