見出し画像

広告、嫌われている問題

広告を好きかどうか。

質問をしたら大半の人は、
「いいえ」「別に」と答えるだろう。
おそらく、広告を「好き」と答える人は
広告に携わる人が多いのではないだろうか。

実際、僕もその一人で、
仕事でたくさんの広告を知るようになってから好きになった。

広告の仕事に携わるようになってから5年が経ったが、
「広告は嫌われているから」という前提で企画を考えることが
これまで何回もあったと感じる。

むしろ、そうでしかなかったかもしれない。

広告というのはあくまでも手段の一つとしてあるので、
絶対に「好き」になってもらいたいとは思っていない。

しかし、広告を「嫌いなもの」としてみるのか「好きなもの」として見るのかで比べた時、
確実に「好きなもの」として見られた方が好意的に受け取られやすいと思っている。

つまり、広告が好きという認識を持たれていることが
広告の効果が最大化されるのではないかと思うのだ。

その為には、「広告は嫌われている」という前提で広告をつくっていくだけでは何も変わらない。

広告をつくっていく立場の人間がその意識を変えて、
これからの広告の仕事に向き合っていくべきなんじゃないだろうか。


じゃあ、どうすれば広告は好きになってもらえるのか、
という点だが、はっきり言って答えなんてわからない。

ただ、僕の中での一つの答えは「消費者にとっていい広告を作る」ということで、これに尽きると思っている。

ものすごく簡単に広告の仕事を捉えると、
「売る」ことによって広告主に利益をもたらすことだ。

しかし、広告による企業の利益は必ず消費者の利益の上に成り立つものでなければいけない。
企業の利益が先に来てしまっては、それは広告としての役割が果たされていないと思うのだ。

広告(こうこく、英: advertising)は、非人的メッセージの中に明示された広告主が所定の人々を対象にし、広告目的を達成するために行なう商品・サービスさらにはアイデア(考え方、方針、意見などを意味する)についての社会的な情報伝播活動であり、その情報は広告主の管理可能な広告媒体を通じて広範に社会に流されるものである。

「広告」という言葉を調べてみると上記のように書かれている。

「企業の利益が先に来ることが広告ではない」なんてことは一言も書かれていない。
しかし、僕らは広告で”金儲け”をしたいわけではなくて、広告の”仕事”をしたいのだ。
だとするなら、やはりここは絶対に見逃せないポイントの一つであると感じている。

何の、誰のための広告なのか。

そこだけは絶対に忘れてはいけないし、間違えてもいけない。



と、ここまでちょっときれいごとのように書いてきたが、
広告の仕事をしている人なら誰でも分かっていると思うが、
広告は決して悪いものではない。

広告を見ることで、欲しいものに出会えるかもしれない。
広告を見ることで、正しい商品理解を得られるかもしれない。
広告を見ることで、見ず知らずの人が喜ぶかもしれない。

広告って、そういうもんだと思っている。

ただ、今広告が邪魔もののように扱われてしまうのは、
ステマや不快な表現、過度なリタゲなど、
嫌われる原因を作ってきたのはこれまでの広告業界であることも事実だと思っている。

自分たちが嫌われる原因を作った広告をやっていないとしても、
それは業界全体の問題として捉えることが広告業界で仕事をする者としての一つの責任であり、向き合うべき問題であると思っている。

だからこそ、「広告は嫌われている」という前提で広告の仕事をしていくだけではなく、
本来の広告の意義を改めて見つめなおして仕事に取り組んでいきたいと思う。


自分の好きなものが世の中に一人でも多くの人に好きになってもらえたらいいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?