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「地域に根ざす社会科教育」から社会科教育80年を考える(4)

今回は、「地域に根ざす社会科教育」における「地域」の視点を解明する前提として「地域」の概念規定を検証します

「地域」という概念には、1970年代以降の社会科教育において、「科学(学問)の系統」と「学ぶ側の論理(生活の系統)」を結合させる=両者が螺旋階段のように相互連関・補完しながら「子どもの科学的社会認識」をはぐくむ何かが包含されていると捉えられてきました(少なくとも私はそうみています)

では、今回の前段、第四回目(4)の内容です

第Ⅱ章 「地域」概念の考察
 第1節 「地域」概念をめぐって
  (1)地方(じかた)と地域について
  (2)「地方(じかた)」について
  (3)「郷土」について
  (4)「地域」について

第Ⅱ章 「地域」概念の考察

 本章では、「地域」概念をめぐる先行研究を整理し、その成果と第Ⅰ章の考察をふまえて「地域に根ざす」という場合の「地域」概念を解明する。

第1節 「地域」概念をめぐって

(1)地方(じかた)と地域について

  ※「地方」を「ちほう」と読むときは「地方」と表記し、「じかた」と読むときは「地方(じかた)」と表記する。

 地域あるいは地方という概念を考えるために、まず地方(じかた)という日本語について考えてみよう。近世の経世論において地方(じかた)論はその一分野をなすほど多くの著作をうみだしているが、最も古いものとみられる『地方(じかた)一様記』(葛間勘一、年代不詳、一説1689年)をみると、「それ地方(じかた)は井田として聖人の法たり。町、反、畝、歩、畸、畔等まで、ことごとく書籍に自由という(ママ)。しかれども高(たか)を結ぶ法しるし見へず・・・近代は斗代石積の法を用ゆと見え(ママ)たり。田畠山野川まで高を結ぶといえ(ママ)ども、其根元を押究執行の者なし。・・・石高・・・海陸の運送を量ること、・・・基本なきは有るべからず。」(34)と、あり、「井田」の法をよく承知していないと、「地方(じかた)執行の事は覚束なき儀なり」、と強調している。「井田」が、地積をはかり、地味・地力を測定し、収穫高を計量することを考え合わせれば、地方(じかた)は、この時期には、田制・土地制度のみならず、民生・統治一般の執行技術を表していたことがわかる。
 地方(じかた)論として最も新しい『地方(じかた)凡例録』(大石敬、万延元年校訂、1871年出版)では地方(じかた)はどう捉えられているだろうか。「夫地方(じかた)ト云テ、外ニ可求道ナシ、相困リ相養フノ本、聖人利用厚生ノ道ニシテ、仁政ヲ行ヒ、井田ヲ以テ地方(じかた)ノ始元トス。」(35)とあり、「御当代地方(じかた)始之事」という節では、「俗ニ地方(じかた)ト云ハ、政務ノ事ニテ、アナガチ田畑収納等ノ取リハカラヒノミニ非ズ」、と念を押し、土木工事、民事訴訟を適切に行うことなどを説いている。ここでは、地方(じかた)は、幕藩体制の基盤を成す土地領有制と農業生産力をそのまま維持し、とくに土地・土壌の生産性を保持させ、労働力としての農民そのものを土地に縛りつけ、収奪の対象としてしまう「政務」として捉えられている。
 地方(じかた)論をみる限り、地方(じかた)という概念には、農民ないし人民の生活共同と自治が含まれていないことが解る。そして、この地方(じかた)こそ、明治国家の制度概念としての「地方」に引き継がれていくのである。
 一方、近世においては、「地域」という言葉も地方(じかた)であり、地方(じかた)論は、周制のもとでの地域制度に依拠しつつすすめられたものであった。(36)要するに、階級国家の成立と領域の区分(行政区轄)、人民のそこへの附属物化が中国語の「地域」であり、その統治・収奪の技術体系が日本語としての地方(じかた)であった。そして、両者を一緒にしたものが、明治国家の地方制度であった。

(2)「地方」について
 「地方」の既成概念は、およそ次の三つの側面から成り立っている。(37)
Ⅰ.「地区」・「地域」・「地帯」を意味する「地方」
 「地方」は、「近畿地方」・「関西地方」・「大阪地方」・「神戸地方」というような、地区・地域を示す地理的呼称である。
Ⅱ.「郷土」を意味する「地方」
 「郷土」については、(3)「郷土」について、に譲る。
Ⅲ.「中央」に対する「地方」
 「『中央』と『地方』」の既成概念で捉えられている「地方」の既成概念で、以下の三つの側面を持つ。
 ①「地方」は、「都」・「京」に対する「くに」・「いなか」・「ひな」であり、「都」の政権の統治をうける地域的範囲である。「都」は中央で上位にあり、「地方」は周辺で下位にある。「中央」は全体を統治し、「地方」は全体の一部である。「中央」の政治に対して「地方」は従属し、「中央」の文化は高く、「地方」の文化は低い。つまり、「中央」と「地方」とは、上下の関係、全体と部分の関係、尊貴と卑賊の関係にある、とみなす考え方である。
 この考えから導き出されて、現在、通念化しているものに次の②・③がある。
 ②「地方」は「国家」の統治機構の一部分となっている「地方行政体」または「地方公共団体」=「地方自治体」である。これに対して、国家権力は「中央」である。つまり、「中央」=国家権力、「地方」=自治体または行政区画とみなす考え方である。
 ③「地方」は、組織・機構・機能・運動の「中央」に対する「下部機構」・「末端組織」・「底辺」である。政党・組合・団体は、「中央」と「地方」の組織・機構をもっており、「中央」の情勢、とか、「地方」の情勢、とか、「地方」は「中央」の指令で動く、とか、動かない、とか、という通念がある。
 (1)(2)の考察より、「地方」とは、「中央」に対する「地方」であり、「中央」の統治機構の末端組織という性格をもっており、「中央」に従属するものである、と考えられる。その「地方」に生活する人々にとって「地方」は、「中央」の矛盾が生活に影響を及ぼす場、「中央」の統治が貫徹する場、したがって、住民の生活共同と自治が阻害、あるいは否定される場として捉えられる。

(3)「郷土」について
 ここで、「地方」の同意概念である「郷土」について考察する。(38)
 「郷土」は、生まれ育った土地としての一定の地理的範囲をあらわし、住んで働く「風土」であり、生活の共同体である、とされる。生死と居住と労働との一体的な共同の場が「郷土」であり、その共同の場を離れて住み、離れて働けば、「郷土」は「故郷」となる、とされる。(2)Ⅱに関連させると、人びとにとって生まれ育った「地方」は「郷土」であるが、他の「地方」は「郷土」ではない。すなわち、「地方」は、「郷土」である「地方」と「郷土」でない「地方」とに分けられるのである。この例からも明らかなように、「郷土」という捉え方は、静的・固定的で排他的である、という性格を持っている。
 この点を、教育と結びつけて更に深めてみよう。郷土教育(39)において、「郷土」は常に立脚しなければならない拠点であり、それ故、その範囲は一定の枠にとどまり、科学・学問の成果を教育科学に照らし合わせて編成した「郷土」教材も、「郷土」の科学的認識にとどまってしまう。すなわち、「郷土」概念(40)の問題点について以下の点が指摘されている。
 ⅰ)「郷土」が学習の拠点として、あたかもそれが社会科教育のすべてであるかのように郷土教育的方法が主張された。
 ⅱ)「郷土」の学習だけでは、究極において、体系的な知識や理論をつかませることができない。
 ⅲ)歴史や地理などの時間・空間にわたる広汎な学習を系統的にさせることができない。
 ⅳ)「郷土」の理解は、郷土に内在する条件の究明だけではできないのであり、通史の学習知識なしには、郷土の個別的事象についての正しい理解はできない。
 以上みたように、「郷土」は、静的・固定的であるが故に、一定の枠である「郷土」を越えた理解へとはつながりにくい、という限界をもち、それを克服・発展させる概念として「地域」が提起された。

(4)「地域」について
 「地域」は、「地方」の対立概念であり、「郷土」を克服する概念である。「地域」には、「そこに生き、住み、働き、学び、闘う地域住民」が、世界・日本・地域と基本的に一貫した体制的・階級的矛盾を克服し、より良き地域社会を創造するべく成長する過程がある。故に、「中央」に従属するもの(「地方」)ではなく、「地域」は、住民の連帯・生活共同・自治を内含し、個性があり、価値がある。また、住民の連帯・自治という民主主義的な普遍的価値を内実としているだけに、生活地域を越えた理解へと発展しうる。
 このような、地理学上の「地域」(ある一定の空間・境域を表す)概念とは、また別の意味での「地域」概念がどのように提起され、理論構築がすすめられたかは、第Ⅲ章第1節でみることとする。

<註> 

(34) 森田俊男著『地域の理論 森田俊男教育論集第2巻』民衆社1976 162頁より引用

(35) 森田俊男 前掲書164頁より引用

(36) 森田俊男 前掲書167頁より引用

(37) 愛媛近代史文庫編『愛媛資本主義社会史第一巻』近代史文庫1968年74~83頁参照

(38) 愛媛近代史文庫 上掲書75頁

  梅根悟著「戦前における社会科」(『現代教育学 社会科学と教育Ⅰ』岩波書店1961年)

  関根鎮彦著「郷土教育と地理教育」(『歴史地理教育』3号1954年10月)

  桑原正雄著「戦後の郷土教育(二)」(同上、19号1956年7月)

  福田和著「郷土教育の諸問題」(同上、31号1958年1~2月)

  なかのすすむ著「“郷土教育について” 私はこう考える」(同上、31号1958年1~2月)

  木村博一著「社会科教育と郷土学習」(同上、115号1965年12月)

  以上参照

(39) 戦後の郷土教育を推し進めた民間教育研究団体に郷土教育全国連絡協議会(郷土全協)があるが、郷土全教がめざした郷土教育は、科学・学問の成果を教育科学的に選択し、活用することにより、学習の拠点を「郷土」に据え、「郷土」の科学的認識を深めることにより、あらゆる科学・学問の成果を子どもの主体性において統一的に把握させることであり、その一般的教育方法として「郷土」を重視する、というものであった。

(40) 郷土教育あるいは郷土を扱った教材編成における「郷土」の概念は、
 ⅰ)子どもの生活の場であり、直接経験できる具体的な素材があり、従って、子どもたちが興味をもって主体的に立ち向かっていける場である。
 ⅱ)観察や調査するのに容易な場であり、それによって得られた結論または、一般的な知識や法則を、自分の目と耳(マ)と手足(マ)で確かめたり応用したりできる場である。

「地域」概念規定の整理をしておきます

「地域」や「地方」という概念は、日本の歴史を通じて、土地制度、民生、統治技術など様々な側面で使われてきました

「地方」は地理的な地区や地域を指す呼称で、「郷土」や、中央に対する地方としての側面も持っています

また、「地方」の同意概念である「郷土」は生まれ育った土地としての地理的範囲を表し、生活の共同体としての性格を持っています。「郷土」は、静的・固定的であるが故に、一定の枠である「郷土」を越えた理解へとはつながりにくい、という限界をもち、それを克服・発展させる概念として「地域」が提起されました

「地域」は、「地方」の対立概念であり、「郷土」を克服する概念です

愛媛近代史文庫・愛媛県歴教協の「地域社会史論」では、
「地域」には、「そこに生き、住み、働き、学び、闘う地域住民」が、世界・日本・地域と基本的に一貫した体制的・階級的矛盾を克服し、より良き地域社会を創造するべく成長する過程がある。故に、「中央」に従属するもの(「地方」)ではなく、「地域」は、住民の連帯・生活共同・自治を内含し、個性があり、価値がある。また、住民の連帯・自治という民主主義的な普遍的価値を内実としているだけに、生活地域を越えた理解へと発展しうる。
と捉えられました

「地域」は「地方」や「郷土」の概念を超え、住民の連帯、生活共同、自治を内含する価値あるものとして提起されたのです

これらの概念は、地理学上の空間・境域を表す概念とは異なる意味を持ち、地域社会の創造や発展に関連し、「地域」に関する理解を深めるための基礎となります

次回、第五回は、1970年代以降の社会科教育における「地域に根ざす社会科教育」に繋がる地理学上の「地域」(ある一定の空間・境域を表す)概念とは、また別の意味での「地域」概念がどのように提起され、理論構築がすすめられたか、「地域理論」研究史の整理を行い、第六回でみる愛媛近代史文庫・愛媛県歴教協の「地域社会史論」が提起した新たなる「地域」の視座につなげていきます

何かのきっかけで、現場の生徒たちや先生方が幸せになっていくような議論が拡がればと願います

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします

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