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母の娘で、娘の母

こんにちは、しえるです。
もうすぐ関東にも梅雨が来そうな最近のお天気。私は梅雨のジメジメも苦手な上、梅雨が明けたらやってくる暑さや日焼けも苦手、水に入る遊びも好きではなくて、今から少々憂鬱です。
(夏の楽しみは、夜が長いことかな。)

さて、Podcastの最新エピソードは「娘と母の関係性」。

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hachiとのんこが、期待されたり依存しあったり…それぞれの母娘関係を振り返りながら、自分の人生を歩んでいるお話です。お聞きください。

私も、自分の母とは少し歪な関係かもしれません。昔から厳しかった反面子離れできず、様々な場面で自己犠牲を払っているように見える母と、そんな母を心配するばかりで頼らない子どもらしくない私。親子逆転気味…。
昔から自分の実家のことを常に心配し、気を揉み、心身ともに擦り減らしているよう見える母。母にも自分の人生を謳歌してほしいと心から思っているけれど、そんな日は来るのかな。いや、実は謳歌していて、娘にこんなふうに思われているなんて心外!と思っているのかも?
親子なのに。親子だから?なかなか直球を投げられない。

さて、私自身も3人の娘の母の立場になりました。特に長女は10歳になり、思春期に片足突っこんだような時期。
自分自身が10歳の頃は、友人関係に悩んだり、親は絶対ではない(いつも正しいとは限らない。親がいれば安心して生きられるわけではない。何かあれば自分が守らなければいけない。)というようなことを考えだした時期だったと思う。結構反抗的にもなっていた。

めちゃくちゃ厳しくて、それこそ頬にビンタされたり、お尻を叩かれたりしていたけれど(今じゃありえないな。)、小学校高学年にもなると体格も近くなり、私の頬に飛んできそうな手を、捻り上げたような記憶もある…苦笑

そんな年齢に自分の娘も近づいたと思うと、驚きしかない。

自分が子どもの頃に親にされて嫌だったことというのを、わりと鮮明に覚えている。
当時、「自分が親になったら絶対にしない!」と心に誓っていた。
例えば…

・友だちのことを悪く言われること
・「だったら自分で稼ぎなさい」「だったら家から出て行きなさい」と言われて、論点がずれた上にそれ以上話ができないこと
・(母ではなく父に付いて行って)男風呂や男性更衣室に行かされること
・高学年になっても、学校に提出するぎょう虫検査や尿検査を自分でやらせてくれなかったこと
・時間(門限)に厳しくて融通が効かなすぎること(父への門限も厳しくて、見ている子どもの方が辛かった。言いなりの父も父だが。)
・毎日やらなくてはいけない塾のドリルが滞り、怒鳴られて破り捨てられたこと

など。

男風呂や男性更衣室に行かされたり、ぎょう虫検査のためにお尻を出させられたりと、身体に関することは特に嫌で、今でも思い出すと胸が苦しくなる。当時は心を無にしてやり過ごしていた。
(以前の記事で、妊娠中に実母に身体の心配をされることが本当に嫌でしかたない、ということを書いたが、自分では妊娠中のホルモンバランスの崩れはもちろんありつつ、根はこの過去に起因していると思っている。)

母のことは今も昔も大好きだけれど、「母のようなお母さんになりたい」とか「親になって、親の気持ちが理解できた」のようなことは、親になって10年経ってもあまり感じない。いや、理解はできる。理解はできるけれど、自分だったらそうしないな、と思うというか。反面教師というやつか?

そんなわけで、子どもと日々向き合うことは自分の精神を鍛えられる。
自分で稼いでから言えー!とか、親の言うことは聞けー!とか言えばそれで抑え込めるかもしれない一つ一つを、なるべくそうしないようにしたいと思っているが故に、「確かに、なんでダメなんだ?」とか、「ここは理不尽だがそうせざるを得ないわけで、だからと言って「つべこべ言うなー!」と一蹴せずに伝えるにはどうしたら良いんだ?」とか考えていると、大変疲れる。笑

もちろん毎度毎度そんなわけにいくわけはない。時間がなかったり、何度も何度も同じことで注意しないといけなかったりすると、「うるさーい!とっととやれーーー!!」と、なることも。
でも、できるだけ。できるだけでいいから、自分がされて嫌だったことを忘れないで、ひとりの人間として対峙したいなと思う、という、ある種の決意表明的なもの。
そのうち娘も、忖度とか抗えない理不尽とか、どうしようもないルールとか、世の中のそういうことがなんとなくわかるようになって(それが良いという訳でもないけど)、こういう言い合い(?)がなくなる時期がくるのだろうから、それまでは向き合えると良いなと思います。

なんだかツラツラ取りとめもなく書いてしまいました…。

こんなことばかり書くと、私がずっと母を恨んでいるように見えてしまうかもしれないけれど、それはない。
物心ついた頃から、母の思うこと・考えることがわかってしまい(わかるだけで、同じ考えではない。)、母の相談相手は今も昔も私。祖父が体調を崩していたころは、母に後悔してほしくなくて、家のことを心配しなくて良いように学生ながら主婦を買って出た。(セーラー服姿でネギが飛び出るスーパーの袋を抱えるような高校時代だった。)
母は、いつからか私にとって守るべき存在になっているように思う。

もしかしたら、この先やっと、真に理解したり受け入れたり、自分がされて(言われて)嫌だったことを水に流せる日が来るのかもしれない。
でもその時に親が元気かどうかもわからない。
そして家族関係・人間関係でずっとずっと悩んできている母を見てきているが故に、私はもう昔の嫌だったことは忘れて、良かったことだけを胸に仲良くしたいなとも思うこの頃。

独り立ちしてもなお、基本的には親と関わり合って生きていくのは、人間くらいなのだろうか?そんなことをふと思います。

しえる





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