ヲタクは"嫌われるもの"から"目指すもの"へ

最近"オタ活"というものをよく耳にします。読んで字の如くオタクをすることだそうです。僕はこの風潮がとても嫌いで、「オタクやってる」っていう人も嫌いです。こういう人たちって「自分はオタクを"やってますよ〜"」って自分で言うくせにガチのヲタクには「オタクキモw」だの「オタクじゃん笑」などと言って軽蔑の眼差しを向けて来るんですよね。

「オタクやってる」と言うことによって元々はオタクじゃないけどね〜みたいな逃げ道を作っているように感じるんですよね。コンテンツそのものが楽しいわけではなく、「オタ活」が楽しいだけなのに、いっちょ前に愛を語るのです。そしてまた自分に"オタク"という個性をつけて、自分を主張しだすのです。

ちょっと前まではボカロ聞いてただけでやれキモいだのヲタクかよだのこっちを馬鹿にしてたような奴らが最近になってヲタク文化が公に出るようになってから掌返しであっさい知識でオタクごっこをしだして"オタクであること"に価値を見出しているんです。

そもそもヲタクって"するもの"なのでしょうか?普段はオタクじゃない人たちが沢山持っている顔の1つに切り替えるから「オタクをする」なんて言葉がでてくるのです。オタクの顔しか持っていない僕のような人間はそんなことおぞましくて言えません。それを言ってしまったら僕は「一生をかけてオタクしかしていない」ってことになってしまいますからね。

そんな根暗キモヲタたちを自称オタクさんたちは許してくれません。同じオタクなのにね。皆オタクを目指しているはずなのに"ヲタク度"か強ければ強いほど嫌われるなんて皮肉なもんですね。僕もそこまでなにかのガチガチのヲタクという訳でも無いのですが、オタクキャラ気取りたいのであったら「ヲタクはこれだけねちっこくて暗くて陰湿なんだぞ」ってところを少しでも参考にしていただけたら幸いです。

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