頭がいい=賢いとは限らない

私は、小学校のころはほとんどのテストで満点が取れていたけど、中学になって雲行きが怪しくなり、高校で赤点以上平均未満のラインをさまよってた、典型的なパターンで、ほぼオール3の成績だったのですが、「こんな勉強に意味があるのか?」なんて冗談でみんなが言うようなことをごく真剣に考えていました。

学歴社会の昨今において、勉強はできたほうがいい。というのは当たり前のことですが、かと言って学内成績トップの人たちは、私から見ればとでも社会でやっていけるような人には見えなかったのです。

「学歴よりもコミュニケーション能力がある方が社会で役に立つ」という勉強できない人のありきたりな言い訳がしたいわけではありません。そりゃあ「勉強できる人は要領がいい」だとか、「嫌なことにも投げ出さずにやり遂げられる」とかのその人の長所やメリットが目に見えるのはとても大きなことだと思いますし、英語を筆頭に学んでおいたほうが役に立つ知識もたくさんあるでしょう。でもわざわざ圧倒的に使われない確率が高い知識を詰め込んで、それを社会的地位を確立する一番の要素にするというのは、どうなのかな?と個人的に思うわけです。

「数学などの教科は学校全体の中からもしかしたら数学の世界に興味を持つ人が出てくるかもしれないから教えている」みたいなことを聞いたことがありますが、それだったら中学までである程度判断できない?と思うわけです。英語は苦手だったけど必要になってくるというのは納得できます。でも日本や世界の歴史を知ったり、細胞とかの知識を持ってたりしても、私は本気で役に立たないと思っているのです。

そのくせ勉強ができる"頭のいいやつ"はその必要ない知識を頭いっぱいに詰め込んで、ア頭の悪い奴らに自慢してくるのです。もちろん頭がいいに越したことはないと思います。流石に最低限はやっとかないと、いいことと悪いことと区別がつかないクズになっちゃいますからね。でも、頭が良すぎるやつって"賢くない人"が多いイメージがあるんですよね。いつもボケーッとしてたり、誰とも話してないぼっちだったり、話がものすごくつまらなかったりといった、明らかに馴染めてない人ばっかりだったとキョロ充並みに思っています。

そんな"学校"に対応できてないひとたちが社会に出て活躍できるんでしょうかね?その知識が生きる職を手に入れられたらいいと思いますが、普通の会社でリーマンをやる分には向いていないと思います。それでもマジで何も勉強していないお猿さんよりは役に立つとは思いますけどね。

恥ずかしながら、私は自分がどっちかと言ったら賢い方だと思っています。学校生活では人付き合いも円滑だったし、勉強もそれなりに勉強してそれなりの成績だったし、部活でもそれなりの立ち位置だったので、目立ち過ぎず目立たな過ぎずの地に脚ついた平和な生活を送れてたのです。だから勉強だけできてた人はどうしてあんなに人付き合いが下手なのだろう。どうしてあんなに運動ができないんだろう。と疑問に思っていました。

もちろん頭が良くて賢い人もたくさんいます。悪目立ちせず、でもクラスの中心的存在で、容姿もいい。そういう人も何人かはいるもんです。きっとそういう人は私のような捻くれマインドともうまく折り合いをつけて勉強して、その知識を活かして行くのでしょう。しかし、頭がよくて、賢くない学歴が全てだと思っている人たちは、社会に出たときに、本当に必要とされている人材ではないんじゃないか?と思います。

あ、でも頭が悪過ぎる空っぽのお猿さんたちには多分賢い人なんて片手で数えられる程度しかいないと思います。

と色々言ってきたわけなんですけど、結局きっとこれも勉強がしたくない理由を正当化してるだけなのでしょう。勉強しないで頭よくなる方法ないかなぁ。サプリとか飲もうかなぁ。

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