"個性"を自分で決めるやつはしょうもない人間

最近ではよく自分がS(サディスト)とかM(マゾヒスト)とか言っている人を見かけるのですが、それってただ自分が強気なのか弱気なのかを伝えるためにわざわざSとかMといった専門用語チックなことを広く捉え過ぎていると私は思っています。

自分がSだと言っている人は、ただちょっと強気なだけの人で、実際に異性を痛めつけたり、精神的苦痛を与えることに快楽を見出している人ではないでしょう。もし本当に自分の彼氏彼女の首を締めたり、ここではちょっと言えないくらいのアブノーマルな性癖を持っていて、それを公に出しても平気という鋼のメンタルの持ち主だったら自分を"S"と名乗っていいと思います。

逆にMだと言っている人も口先ばかりのちょっと責められるのが好きなだけの人で、実際にガチなSの人に、トラウマ植え付けられる程のプレイをされてもそこに幸福感や快楽を知ることはないと思います。そういうことをされてなお、それを"個性"として扱うことができるひとのみが"S"とか"M"とかを名乗っていいんだと思っています。

多様化している最近の社会では、自分を"無個性"だと自覚するのを恐れて、無理に自分を"キャラ付け"している人が多すぎると思います。実際はよっぽどの人でもない限り、みんな"普通"の"無個性"なのに。

さっきのSMの話もそうですが、例えば自分を"ボッチ"と言っている人がいたとします。でも「俺ボッチだからさぁ〜」って言える友達が一人でもいたらもうそいつは"ボッチ"ではないんですよ。本当に誰一人友達がいなくて、家族くらいしか話す人がいないような人だけが"ボッチ"という個性を話すことができる。そこまで徹底してやっと"個性"になると思うのです。

話題になっているアニメを見ているだけで自分に"オタク"という個性をつけたり(逆張りしてマイナーどころばかり見てる人もアレだとは思いますが)、女子と仲良さげに話しているのに"モテない"という個性を自分につけたりしているのも上辺だけのもので、自分に何も無いことを自覚したくないからああやって「自分はこういう個性の人間ですよ!!」って薄っぺらい"個性"を自分につけているのです。

なので、「どちらかというと自分はSかな」とかを語りたいなら、「肉体的に相手を苦しめるのは好きだけど、精神的に傷つけるのはあまり好きではない」とかそれくらいの領域に行ってから話してほしいですね。なので、僕はSでもMでも陽キャでも陰キャでもボッチでもない、ほんのちょっとヲタクです。



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