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闘病記録(病院/4~8月)

 病院の先生に、今一番不安になっている「統括である兄」の希死念慮ならぬ、消失念慮?を相談しました。

 「どうしたら兄の消えたいを止めれますでしょうか?」と。先生の答えは「記憶があれば良いじゃん」と言われました。その瞬間は、その言葉の意味が良く分かりませんでした。しかし、帰宅し、先生のいったことを、考え直してみた時、「それは、兄が消えても記憶さえ残るなら良いと言うこと?」と頭が真っ白になりました。

 他の子達の中には既に理解していた子も居るようで、「人格ってさ、そんなに簡単に消えていい(消えても構わない)存在なのかな?」と問い掛けてきました。

 その時、絶望に支配されてしまっていた僕は「先生にとっては、そうなんだろうね」と言ってしまいました。その子は悲しみ、僕の「皆で死のう」という言葉に何も言い返しませんでした。


 パニックと「死んでやる」という気持ちが混ざった僕は、市販薬を二箱(80錠近く)ODしました。かなりやけくそで、きちんと死ねるか……というよりも、とことん身体に悪い事をしてやりたいと思っていたのかもしれません。

 薬が効き始めると視界や脳が回ったり、ふわふわする感覚と共に、四肢の間接に激痛があり、時折フラッシュバックの様に聞こえる「記憶があれば」という言葉に、叫ぶように何時間も呻き続けました。その時、新たな人格解離を起こしてしまったようです。


 未遂を切っ掛けに、僕は人格として目を冷まさなくなり、その時に出来た、ここなという子がずっと主人格の代理、日常生活を送ってくれていました。

 その後、僕が再びここなと混ざって、存在出来るようになるまでに3ヶ月近くかかりました。ここなも、その時の先生の言葉を辛く思っており、お酒を常に飲んでいないと泣き出してしまうような状態でもありました。


 現在、その病院からは転院しており、新しい病院の先生の言葉で、僕、❄️も単体で存在できるようになりました。新たな病院の闘病記録についてはまた次回書いていこうと思います。

 とにかく……とにかく大変な4カ月でありました。

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