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【朝活謀叛】本能寺の変から440年経った即興トークの朝活のテーマは「明智光秀」

Change Talk,Change Life.
"喋りを変えれば生き方も変わる!"

「蝶想喋楽(ちょうそうちょうらく)」
「喋りは生き方が9割」
「Free Talk Entertainment
~自分という楽器で言葉を奏でよう!」

22世紀に「広辞苑」から"人見知り"をなくしたい
誰もが自分を解放し喋りを楽しむ社会を実現
喋りに対する意識を変えて人生を好転させる
一般社団法人日本フリートーク協会代表理事
フリートークアドバイザーの“TURKEY”です

こんにちは!
僕のブログに来ていただき
本当にありがとうございます!

1582年6月2日の夜明け頃

今朝も元気にTalkin'Crazy!!
440年前の1582年6月2日払暁 

本能寺の変勃発

明智光秀が織田信長を討ったと伝えられる
敢えて「伝えられる」とするのは理由がある
今日はそんな謎の話も交えながら進めました

・事実は真実ではないこと
・見えることだけがすべてじゃない
・嫌われる勇気を持つこと

明智光秀が現代に投げかけるメッセージ
(メッセージはあくまで僕の持論です)
そんな事を感じながらの即興トークでした

まずウォームアップトークは・・・

《くじ運に纏わる思い出》

本能寺の変の直前、5月28日
光秀は愛宕神社へ戦勝祈願に行きます
その夜に愛宕百韻という連歌会を開催 
様々な憶測が飛び交う句を詠んだのです

『時は今 雨が下しる 五月哉』

そんなエピソードがあるのですが
その日に御籤を引いたと伝えられます
「大吉」が出るまで2度3度引いたそう
そんな個人的なことまでなんで分かる?
(このあたりもフィクションぽいねん)

まぁそれはさておき
そんな言い伝えがあるとして
《くじ運》の思い出を語りました
シンキングタイムは40秒で喋りは3分

「高校文化祭バンドライブ順番決め」
「スーパーのくじ引き」

そして続いては・・・

《裏切られたぁ~!って話》

歴史では光秀が信長を裏切ったとされる
なので「裏切り」に纏わるエピソードです
(今日は裏切りの日でもあるらしい…)

「”ラストサムライ”試写会MC」
「中学時代の友達」

このトークをランダムワードふたつ
直前で与えられる適当な言葉をふたつ
その言葉を強制的にエピソードに入れ
3分以内で話を終えるというワークです

変わっては・・・

《いい意味での裏切り》

裏切りにも良い裏切りもありますよね
今度は「いい意味」での裏切りの思い出
予想以上期待以上でかなり嬉しかった
そんなエピソードを聞かせてもらえれば

「高校3年の富士登山」
「The Michael Schenker Group」

お次のトークは《黒幕の存在》

本能寺の変は「黒幕説」もありますね
誰かが後ろで糸を引いていたのでは?
室町幕府?朝廷?伊賀忍者?秀吉?家康?
そんな話も交えながら進めましたよ

「PTAの校長先生の存在」
「あるラジオ局の営業担当者」

光秀が投げかけるメッセージ

今日はかなり歴史の蘊蓄も語りました
明智光秀の見方が根底から覆るような
本能寺の変は「でっち上げ」の茶番か?

変のあと焼失した本能寺からは
肝心の信長の遺体が発見されていない
探しても探しても決して見つからない
それは「本能寺の変の真相」も同じ

そもそも・・・

光秀は本当に信長を討ったのか?

そんな大胆な仮説も立ててみます
見た訳でもない確証もない出来事
信じる信じないは個人の自由です
様々な説や光秀の印象もあるでしょう

でもそれは断片的なものでしかない
単に教科書で学んだに過ぎない知識
物事のほんの一部分しかないのです
だからこそ「仮説」を立てるのもあり

「本能寺の変のホンマの首謀者は誰?」

そういう疑いを持って
自分なりの考えをまとめてみる
それもまた歴史の浪漫であり醍醐味ですよ

「それは違うで!!」

よく頭ごなしにそう言う人がいる
それもまたひとつの意見かもしれない
でも凝り固まってしまうのは勿体ない
色んな可能性を検証してもいいではないか

何度も言うよ

それが「歴史の浪漫であり醍醐味」です

所詮我々現代人の立場や視野からでは
歴史はあくまで「憶測」でしかないのです
信憑性が高い史料と言われていたとしても
所詮それ自体の信憑性も完璧ではない

教科書に載る歴史だけが歴史ではない
むしろ載らない歴史の方が圧倒的に多い
だからこそ「見えるもの」だけを信じ
「見えないもの」を蔑ろにしてはいけない

ひょっとしてひょっとしたら
見えないところが真実なのかもしれない
勿論これも「かもしれない」と憶測です
でも可能性は五分五分ではないでしょうか

大河ドラマでだいぶ印象は変わりました
『裏切り者』『三日天下』『叛逆者』
そんなイメージが本当に強かったです
前は「光秀が好き」といえば変人扱いでした

仮にね

仮にですよ

光秀が信長を討ったとして
光秀が謀反をおこしたとして

理由は何なんでしょうね?

この理由を考えたことはありますか?
討つからには必ず理由があるはずです
討たなければならなかったのかもしれない
そういう意味で真相は光秀のみが知ってます

でもこれも大切なことなんです
「1582年に本能寺の変が勃発」
「明智光秀が織田信長を討った」
社会のテストはこれだけで「正解」です

でも「人間が取った行動」ですよ
その理由にもちゃんと目を向けたい
短絡的に結果だけで人を決めつけず
その経緯は何だったのかを知ろうとする

そこに正解や不正解はなく
ただ「真実」があるのみです
白黒つけられないものもあります
つまり世の中はほとんどがグレーです

これは現代でも同じことです
メディアから流れてくるニュース
その「情報」だけを闇雲に信じて
その「事実」の「真実」に目を向けない

例えばこんな言葉があります

「みんな違ってみんないい」

このままの意味ではあまりにも短絡的
ともすれば問題から目を逸らし無関心
そんなふうにも思える言葉なのです
だから取り扱いに気をつけたい言葉です

しっかりとその違いに目を向けて
その違いが何故生じているのかを
しっかりと向き合って考えること
ここが大切だと僕は感じています

でないと

「みんな違ってみんなどうでもいい」 

こうなってしまいます

ちょっとテーマが壮大になりましたが
僕は光秀が現代に投げかけるメッセージ
こういうことも伝えてくれている
そんな気がしてならないのです

物事出来事事象には理由がある
その経緯にもしっかり目を向けて
常に様々な視野視座視点を持ちたい
すると色んなものが見えてきますよ

今日も読んでいただき
本当にありがとうございます
また明日!!


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